ロコ・ソラーレ代表理事・本橋麻里インタビュー(前編)2010年夏、本橋麻里がロコ・ソラーレを結成して10年が経った。その間、チームは平昌五輪でメダルを獲得するなど、輝かしい実績を残してきた。だが、自称「カーリングの変態」という彼女の挑戦に終…

ロコ・ソラーレ
代表理事・本橋麻里インタビュー(前編)


2010年夏、本橋麻里がロコ・ソラーレを結成して10年が経った。その間、チームは平昌五輪でメダルを獲得するなど、輝かしい実績を残してきた。だが、自称

「カーリングの変態」という彼女の挑戦に終わりはない。今後の、さらなる"野望"について、話を聞いた――。

――2020年夏、ロコ・ソラーレ結成10年となりました。おめでとうございます。

「ありがとうございます。アニバーサリーということで、いくつかのメディアでチーム結成当時の映像や写真を紹介してくれたのですが、若き日の自分の姿を見ると、ひたすら恥ずかしいですね」

――あらためて10年間を振り返って、率直な感想を聞かせてください。

「そうですね、チーム発足からずっと目の前のシーズンをどう過ごすか、夢中で走り続けてきました。だから、正直(これまでのことを)振り返る余裕なんてなかったのですが、今あらためて思い返してみると、失敗して、周囲に迷惑をかけて、反省した10年、であると同時に、『チャレンジしてよかったな』とも感じています」

――チーム発足当時、24歳だった本橋さん。以後、アイス内外での変化がいろいろとあったと思います。

「私個人で言えば、結婚して、妊娠・出産を経験。その間、チームにはちな(吉田知那美)やさっちゃん(藤澤五月)が入ってくれて、という動きのあった10年でした。チーム発足時に誓った『個を大切にしながら、それぞれの人生を大切に過ごす』ということを、意識した時間でもあったかもしれません」

――10年間の活動の中で、何より大きかったのは、2018年平昌五輪での銅メダル獲得。そこから派生した、流行語大賞受賞などもありました。

「オリンピックでのメダル獲得も、流行語大賞をいただいたことも、カーリングを広く知ってもらう契機としては、いいことだったなと思っています。でも、もうそれは過去のこと。大切な過程ではありますが、いつまでも(平昌五輪の)メダルにしがみついて、生きていたくはないです。むしろ、あの経験を糧にして、選手個人、チーム、カーリング界がうまく活動していかなければいけない、と感じています」

――チームのことで言えば、10周年ということで、記念グッズなども作成されたようですね。

「一昨年から、チームのみんなとは『来年は10周年なので、オフになったらいろいろ企画しよう』と相談していたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で世界選手権が中止になるなど、区切りが曖昧なままオフに突入してしまって......。

 本来であれば、親子で参加できるカーリングキャンプであったり、常呂で陶芸を体験してもらったりと、地域貢献も同時にできるような『ロコ・ツアー』も考えていたのですが、最終的にはオンラインで楽しんでもらえる企画がメインになりました。ただ、新型コロナウイルスの感染状況にもよりますが、落ち着いた状況を迎えられたら、そういった当初考えていた企画も動き出そうと思っているので、気長に待っていただけるとうれしいです」

――本橋さんご自身は、コロナ禍をどう過ごしていらしたのでしょうか。

「その10周年企画や、流動的な今季(2020-2021シーズン)のことについて、オンラインで、さまざまな人とやり取りしていました。これまでメールでやり取りしていたことも、Zoomでのオンラインミーティングを試してみたりして、新しい仕事の仕方が増えたりしたので、結構忙しくしていたような気がします。でも、私はどちらかと言えば、多くの人に直接会って話や意見を聞きたいタイプなので、早く気兼ねなしに人に会いにいける世の中に戻ってほしいですね。

 仕事以外は、育児に励んでいました。(2020年の)年明けに、次男を出産したので。ステイホーム中はずっと一緒にいることができて、それはよかったかなと思います」

――2021年はチーム結成11年目になります。次の10年に向けて、目標を聞かせてください。

「ロコ・ソラーレとしては、大きく変わることはありません。基本的に、育成、強化、普及の3本柱ですね」

――「育成」の部分で言うと、本橋さんもセカンドチーム『ロコ・ステラ』で選手として復帰しました。

「2020年の春くらいから、小野寺亮二コーチとも相談していたのですが、どうしてもチームの外側からでは伝え切れない部分があって、『じゃあ、(チームの)内側に入ってやってみよう』くらいのニュアンスです。投げる(デリバリー)、履く(スイープ)といった技術だけでなく、メンタル的な部分や、チーム作りという点において、サポートをしていきたいと思っています」

――メンタル的な部分のサポートなど、具体的に教えていただけますか。

「これはロコ・ステラだけに言えることではないのですが、ジュニアの世代では、もっと工夫して、恐れずにチャレンジして、失敗しないと強くならない。その失敗には、もちろんゲームでの負けも含まれます。ミスが怖いから、負けるのが嫌だから"チャレンジしない"となると、個々の成長は見込めないですし、チームとして行き詰まってしまいます。

 ロコ・ソラーレの4人も、今でこそ楽しそうに笑顔でプレーしていますが、そこに至るまでにはみんな、その倍は挑戦して失敗して泣いているし、時にはぶつかることもありました。強いグループを作るには、そういう時間も必要です。

 どのタイミングで成長できるか、チームに貢献できる個としての役割など、そのあたりの理解を促しつつ、選手自身がまだ見つけられていないスイッチを、こっそり押すような仕事をしないといけないと考えています」

――「強化」と「普及」に関してはいかがでしょうか。

「カーリングは1998年長野五輪に正式種目となって、それから20数年が経ちました。今季から大澤明美さんや小笠原歩さんが協会の理事に就任したように、近年は指導者やサポートスタッフにも、オリンピアンや実績のある方々が就いてくれています。現場の風通しはよくなった気がしますし、実際に小学生の親御さんから『カーリングをやってみたい』と相談される機会が増えてきました」

――「普及」は進んでいる、と。

「そうですね。ただその一方で、世界を見渡して日本と比べると、ジュニア世代の強化面での課題が見えてきます。たとえば、平昌五輪で金メダルを獲得したスウェーデンや銀メダルの韓国では、ジュニア世代のチームがすでにワールドツアーの最高峰タイトルであるグランドスラム大会に出場を果たしています。日本のジュニア世代も能力の高い選手は多いので、ジュニア世代から世界トップレベルで戦える環境を作っていかなければいけないと思っています」

――そういう意味では、ロコ・ステラが日本選手権などに出場できれば、モデルケースになるかもしれません。

「はい。先ほど3本柱として挙げた育成、強化、普及は、それぞれが独立したものではなく、お互いがリンクしているのがベストに近い形です。私たちは地元密着のクラブチームなので、そこで"才能の種"のキャリアをスタートさせるのも役割のひとつです。芽が出たら、それを蕾に育てる。もちろん、そのまま常呂や北見で花を咲かせてくれるのが理想ですが、日本には実業団のチームや大きなスポンサーがついているすばらしいチームが増えました。『強くなりたい』と願っている選手は、どこを経由しても必ず世界へ出てくれると信じています。そのためにも、まずはロコ・ステラを国内トップレベルのアイスに立たせることは非常に重要なことです」

――第38回全農日本カーリング選手権(2021年2月/稚内)につながる予選で、ロコ・ステラはオホーツクブロックを突破しました。

「久々の公式戦を戦い、やっぱり正確なアイスリーディングは難しいなと改めて思いました。ただ、そこがしっかりできれば、まだまだ戦えそうなので、収穫と反省を同時に得た感じですね。チームとしても若い選手が多いなか、緊張感のあるゲームを重ねることができて大きな経験になりました」

――次は1月13日から開幕する北海道選手権です。意気込みを聞かせてください。

「国内トップチームも参加するレベルの高い大会ですから、1試合1試合が本当に大きな経験になってきます。試合ごとに成長できるようなゲームをしたいですね。私もスキップとして、ラスト2投でチームにポジティブな要素をもたらすショットを決めたいと願っています」

――日本選手権の出場を果たせば、ロコ・ソラーレとの"姉妹対決"が実現します。

「日本選手権出場はそんなに簡単なことではないので、まずは目の前の試合に集中しますが、実現すれば、楽しそうだなとは思います。『さっちゃん、この作戦、どう思う? トライすべきかな?』とか、試合中にうっかり聞いてしまいそうなので(笑)、そこは気をつけながら。まずは北海道選手権でベストを尽くします」

(つづく)


本橋麻里(もとはし・まり)
1986年6月10日、北海道北見市生まれ。12歳で本格的にカーリングを始め、2006年トリノ、2010年バンクーバーの両五輪に『チーム青森』のメンバーとして出場。2010年夏に『ロコ・ソラーレ』を結成し、2018年平昌五輪では日本カーリング史上初のメダル獲得を果たした。2018-2019シーズンからチームを社団法人化し、代表理事に就任。今季からセカンドチームの『ロコ・ステラ』で選手としても復帰し、活動の幅を広げている。最近、ハマッている食べ物は

「干し芋や干し柿など、干したフルーツ全般」