東海大・駅伝戦記 第84回 「先手必勝。往路優勝を獲り、その勢いで総合優勝を勝ち獲る」  レース前、東海大・両角速監督はそう語っていた。その言葉どおり、序盤は両角監督の打つ手が次々に決まり、理想的な展開に持ち込んだ。  最…

東海大・駅伝戦記 第84回

「先手必勝。往路優勝を獲り、その勢いで総合優勝を勝ち獲る」

 レース前、東海大・両角速監督はそう語っていた。その言葉どおり、序盤は両角監督の打つ手が次々に決まり、理想的な展開に持ち込んだ。

 最初の一手は選手変更だ。1区に市村朋樹(3年)に代わって、主将の塩澤稀夕(4年)を入れて勝負に出た。個人的には、過去のレースから見て、塩澤を4区で起用すると思っていた。ここ2年間、館澤享次(現・DeNA)、名取燎太(4年)と最も信頼できる選手を4区に置いてきたからだ。



石原翔太郎が3区区間賞の走りで、一時トップに躍り出た東海大だったが...

 だが戦前、両角監督は「高速レースになる」と読み、遅れが致命傷となると判断して塩澤を1区に入れた。

 しかし、レースはスローペースで始まった。これでは塩澤を入れた意味がなくなってしまう。そう思っていると、1キロ手前で塩澤が前に出てペースを上げた。

「ハイペースを予想していたけど、スタートからスローになってしまって......あのペースであのままいくことはできないし、あそこでストレスを溜めて走るよりは、自分のペースでいくほうが気持ちよく走れるかなと思って、前に出ました」

 塩澤のギアチェンジで全体的にリズムは出てきたが、(1キロの)ペースは3分前後を推移し、選手が塊となって走っていた。

 六郷橋を下り、残り1キロちょっととなると、塩澤が前に出た。法政大・鎌田航生(3年)と早稲田大・井川龍人(2年)が続き、壮絶な競い合いが始まった。残り800mぐらいで鎌田が前に出ると、塩澤は必死の走りで食らいついていった。

 区間賞こそ鎌田に譲ったが、5秒差の2位で2区の名取につないだ。

「1区を任せてもらったので、区間賞は絶対条件かなって思っていたんですけど、もうひと頑張りできなかった。自分の弱さが出てしまった」

 塩澤はそう悔しさをにじませたが、いい位置で襷(たすき)を渡すことができたし、必死の走りは2区以降の選手たちに勇気を与えた。

 2区の名取は、1.4キロ地点で首位の法政大を抜き、トップに躍り出た。その後、東京国際大のヴィンセント・イエゴン(2年)、創価大のフィリップ・ムルワ(2年)に抜かれ後退。14キロ地点では日体大・池田耀平(4年)に追いつかれたが、必死に並走し、前をいくヴィンセント、ムルワを追った。

「ずっとひとりで走っていたんですけど、あとから池田選手が来たので、その流れを借りて前を追っていこうと思っていました。それほど前と大きな差は開かなかったので、最低限の走りはできたかなと思います」

 名取は区間8位ながら3位を維持し、レースをつくった。

 そして両角監督の2手目は、3区に選手変更で石原翔太郎(1年)を入れたことだ。両角監督が「気持ちが強く、走りも強い。可能性を感じる」と高く評価している選手で、ここでトップに立つというプランを描いていたのだろう。

 石原はその期待に応えて、懸命に前を追った。

「ハーフマラソンを走ったことがないので少し不安だったんですけど、総合優勝という目標があったので、自信を持って走ることができました」

 藤沢ポイントでは、戸塚中継地点で1分1秒あった東京国際大との差を35秒縮めた。石原は苦しそうな表情を浮かべながらもスピードを上げ、12.9キロ地点でついにトップに立った。

 全日本大学駅伝に続く快走を見せた石原は、「4年生への感謝の気持ちが大きかった」と語った。

「4年生は練習だけでなく、生活面でも引っ張ってくださった。それに自分たちがついていくことで成長することができた。4年生にとっては最後のレースなので、優勝という目標に向かってなんとかしたいという気持ちで走りました」

 3区までは選手の能力、気持ち、采配が見事にマッチし、東海大にとってはほぼ完璧なレースを展開した。

 しかし、4区に魔物が棲んでいた。4区の佐伯陽生(1年)は全日本大学駅伝1区でレースをつくり、上々の駅伝デビューを飾った。その時、箱根駅伝について「今までその距離(20キロ以上)のレースを走ったことはないですけど、安定したペースだといける自信があるので、それほど心配していないです」と語っていた。

 おそらく今回、両角監督からは「自分のペースでいこう」と伝えられていたのだろう。実際、最初はいいペースで走っていた。だが、酒匂川で駒澤大、東京国際大に並ばれると、粘ろうとするが足が前に出ず、最後は力尽きて6位で5区の西田壮志(4年)へとつないだ。

 トップ創価大との差は2分20秒になっていた。5区の西田は、序盤はまずまずの走りを見せていたが、その後は持ち前の軽快なテンポで坂を駆け上がっていく走りができない。

「誰にも抜かれない区間新を出して、山の神になる」

 レース前、そう宣言していた西田だったが、芦之湯で帝京大に抜かれ、往路優勝は絶望的となった。結局、東海大はトップの創価大と3分27秒差の5位に終わった。

 東海大の個人区間記録は1区2位、2区8位、3区1位、4区19位、5区7位だった。やはり4区の19位が大きな穴になってしまった。これは佐藤俊輔(2年)が走れなかったことが大きいが、しかしなぜ4区に1年生を起用したのかという疑問も残る。4区は両角監督が重視し、これまで一番信頼できる選手を置いてきた区間である。

 全日本大学駅伝の走りで信頼を得たとはいえ、4区に1年の佐伯を入れるのは最善の策だったのだろうか。それまでのプランがうまくいっていただけに悔いが残る。

 復路で勝負に出るしかないが、前回のような強力メンバーが揃っているわけではない。計算できるのは、9区の長田駿佑(3年)ぐらいで、おそらく当日のメンバー変更もあるだろう。

 前評判が高かった青学大や明治大が苦戦し、往路は創価大が制した。もはや強豪というくくりが存在しなくなった箱根駅伝で、東海大が存在感を示すには、少なくとも3位以内に入るレースが求められることになる。