箱根駅伝は、日本の正月の風物詩として長く愛され続けてきた。97回目を迎える今大会、史上初めて“無観客”で開催され、出場チームも声掛けや円陣が禁止となった。例年とは異なる環境の中で戦うことを余儀なくされる選手たちには、どんな影響があるだろうか…

箱根駅伝は、日本の正月の風物詩として長く愛され続けてきた。97回目を迎える今大会、史上初めて“無観客”で開催され、出場チームも声掛けや円陣が禁止となった。例年とは異なる環境の中で戦うことを余儀なくされる選手たちには、どんな影響があるだろうか――。

(文=花田雪、写真=KyodoNews)

中継所で次のランナーにたすきを渡す際の声掛けも禁止に

新型コロナウイルスの感染拡大は今年、私たちの日常生活はもちろん、スポーツ界にも大きな影響を与えた。感染拡大が叫ばれ始めた春先以降は、プロアマ問わずほぼ全ての大会、試合が中止に追い込まれ、夏場以降、少しずつ開催に踏み切る競技が現れ始めたものの、無観客や観客動員に制限を設けるケースがほとんどだ。

私たちがスポーツを楽しめる「日常」は、いまだに戻ってきていない。

年明け、2021年1月2日~3日の2日間にわたって行われる箱根駅伝も、その例外ではない。

「正月の風物詩」として毎年、驚異的なテレビ視聴率を誇る学生駅伝最長にして最大のモンスターイベントも、今回はコロナ対策を余儀なくされている。

今大会は開閉会式、表彰式が中止、スタート・フィニッシュ地点での声掛け、胴上げ、円陣、さらには中継所で次のランナーにたすきを渡す際の声掛けも禁止されている。また、給水ポイントでは給水員がマスク、ゴーグル、手袋を着用し、感染予防策を徹底。ボトルの回収後は専用ポリ袋に入れて密封するという念の入れようだ。

メンバーの変更枠も選手の体調不良に備え、従来の4人から6人に拡充するなど、コロナ禍において明らかに例年とは違うレギュレーションが採用されている。

そんな中、最も注目を集めているのが「沿道での応援自粛」だ。

今年無観客を経験した選手たちのリアルな声

大会を主催する関東学生陸上競技連盟は「応援したいから、応援にいかない。」をキャッチコピーに、スタート・フィニッシュ地点、中継所、コース沿道での観戦自粛を呼び掛けている。

いわゆる観戦料を取った上での動員ではないため、「禁止」「中止」という措置ではなく、あくまでも「自粛要請」にとどめざるを得ないが、開催地である東京・神奈川が連日のように過去最多の感染者数を出しているこの状況であれば、限りなく「無観客」に近い形で開催されることは間違いないだろう。

公式発表ではないが、箱根駅伝では毎年、2日間合わせて100万人以上の観客が沿道から声援を送るという。

スタジアムのように1カ所に観客が集まるケースとは違うが、一競技の、しかもアマチュアのスポーツイベントとして考えたとき、この動員数はやはり驚異的といえる。

アスリートにとって、観客の生の声援が大きな力になるのは、間違いない。筆者は今年、プロアマ問わず多くのアスリートに取材を行ったが、そのほとんどが「無観客」での試合について従来とは異なる「違和感」を持っていた。

例えば、あるプロバスケットボール選手はこう語る。

「無観客の試合を1試合だけ経験しましたが、やはりいつもの試合とは違うというか……。よくないことかもしれないけど、どうしてもテンションというか、心のギアが上がりきらない部分もありました。もちろんパフォーマンス自体はいつも通りを心掛けましたけど、どこかに影響は出たかもしれない」

また、夏の独自大会を経験したある高校球児は、こんなコメントを残している。

「いつもはたくさんの方が球場に駆けつけてくれて、吹奏楽の応援などもあるんですけど、今年はそれがなかった。試合になれば周りの音は気にならないはずなんですけど、やはりいつもとは違う、独特な雰囲気だったのは間違いないです」

早稲田大学で2年連続、山上りの5区を走った選手の話

観衆の応援と選手の肉体的なパフォーマンスにどこまで因果関係があるかは分からないが、少なくとも「メンタル」に大きな影響を及ぼすことは間違いない。

長距離種目、特に駅伝競技はチーム競技であるとはいえ「孤独なスポーツ」の一面も持つ。

レース展開にもよるが、前走者からたすきを受けて次走者につなぐまでの約20kmを、ほぼ一人で走り切ることも珍しくない。

そんなとき、大きな力を与えてくれるのが周囲の声援だ。

以前、早稲田大学で2年連続、山上りの5区を任された安井雄一主将(現トヨタ自動車)が、こんな話をしてくれたことがある。

「3年時に5区を走った時、前半が予想以上に走れなかったんです。足が重くてペースも上がらず、『これはまずいな……』と思いながら走っていました。確か宮ノ下の通過時点で予定より2分くらい遅かった。でも、家族が沿道に応援に来てくれていて、そこでふと冷静になれたんです。それまでは頭が真っ白だったのが急にわれに返れて、そこから気持ちを切り替えることができました」

名門・早稲田大学で勝負どころの5区を任される実力を持った安井のような選手ですら、冷静さを失ってしまうのが箱根駅伝の怖さだ。しかし同時に、そこで力になってくれたのも、箱根の沿道から届く声援だった。

「後半、追い上げる中で沿道にいるファンの方が『(トップの)青学(青山学院大学)まで何秒!』と教えてくれるんです。そのタイム差が徐々に縮まっていたので、自分が追い上げているのも分かりましたし、力になりました」

「応援したいから、応援にいかない。」 どんなドラマが生まれるか?

アスリートにとって周囲の声援は「無形の力」に直結する。科学で説明できるようなものではないが、精神に大きく影響を及ぼし、それが時にパフォーマンスの向上につながるのだ。

しかし、今年に限ってはそれが、なくなる。

そうなったとき、選手に求められるものは何か――。

声援が「無形の力」の源なのであれば、今年はより一層、「有形の力」が試されるのではないだろうか。

有形の力、すなわち、純然たる「実力」だ。何にも左右されず、どんな環境下であれ、自分が持っている実力を、自分自身の力で100%発揮する。

沿道の観客、そこからもたらされる声援が排除されることで、箱根駅伝を走るランナーたちは例年以上に「孤独な戦い」を強いられる。東京・大手町と神奈川・箱根間を走るランナーに、沿道から大勢のファンが声援を送る――。そんな光景を、今年は見ることができない。

しかし、だからこそ、選手個々が持つ本来の力が、発揮される可能性もある。

もちろん、本来であれば例年通り、沿道から多くの声援を受けながら走る、210人のランナーの姿が見たい。それが、箱根駅伝の本来の姿だ。

「応援したいから、応援にいかない。」ことを余儀なくされる今大会。間違いなく、過去とは違った選手の姿、戦いが見られるはずだ。

ここまで来たら、いつもと違う箱根駅伝を思う存分に楽しみたいと思う――。

<了>