知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い住友電工(1) 住友電工の長距離は、渡辺康幸氏が監督になってから大きく変わったと言われている。「世界に羽ばたき、世界のトップで戦える選手を育成する」と語る監督のもと、個性を生かすことを主とした指導…

知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い
住友電工(1)

 住友電工の長距離は、渡辺康幸氏が監督になってから大きく変わったと言われている。

「世界に羽ばたき、世界のトップで戦える選手を育成する」と語る監督のもと、個性を生かすことを主とした指導で、田村和希、遠藤日向といった日本のトップランナーを輩出している。



2015年4月から住友電工で指揮を執る渡辺康幸監督

 渡辺監督が住友電工陸上部の指揮をスタートさせたのは、2015年4月である。それ以前は、2004年から早稲田大競走部の監督として指揮を執り、大迫傑らマラソン界のトップ選手を輩出しつつ、チームを立て直し、2010年には出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の学生3大駅伝を制した。そんな名将が次の戦いの場として選んだのが、住友電工だった。

「住友電工を選んだのは、松本正義会長の『日本の陸上界を考えた時、実業団は駅伝の強化ばかりしている。そうではなく、個人の選手を育てるチームにしてほしい。長距離だけでなく、短距離も含め陸上競技全体を強くしてほしい』という想いに共感したからです。日本人は駅伝やマラソンが好きですから仕方ない部分はあるのですが、世界で戦える選手が出てこないと本当の意味でマラソンに強い日本にはならないですし、陸上界を盛り上げることにはつながらない。私は個人を強くしたいですし、住友電工はその個を育てることに理解があるので、ここに来ることを決めました」

 渡辺監督の就任後、入社する選手の顔ぶれが変わった。箱根駅伝で活躍した田村、坂口裕之ら大学トップクラスの選手はもちろん、高卒で世界を目指す遠藤など、個性豊かなランナーが次々に入ってきた。渡辺監督がスカウティングで重視する点は3つだという。

「まず、走りのフォームです。基本的にフォームがきれいじゃないと強くならないと思っています。腕の振りがきれいな選手は伸びるんですよ。2つ目は、志が高く、強くなりたいという意欲があること。そして3つ目が人間性です。陸上は個人種目ですが、いろんな人がいるチームにいるので、組織のなかできちんと生きていけるかどうかということです」

 もちろん、タイムや主要大会での結果も選考要素に入る。選手の力量を計るうえでタイムは重要な物差しになり、大会で勝つというのは心身の強さを意味し、将来を見据えても重視すべきポイントになるからだ。

 そしてもうひとつ、渡辺監督が大事にしていることがある。

「箱根などで優勝を経験したチームにいたかどうかです。たとえば、青山学院大がそうですけど、絶対に勝たないといけない、負けは許されないという環境のなかで過ごしてきているのはすごいことです。そういう選手は勝つことの大変さを理解していますし、勝ち方を知っている。そうした選手は組織として絶対に必要です」

 ただ、「同じ大学ばかりでは組織の繁栄につながらない」と、いろいろな大学から個性ある選手をスカウティングしている。今年入社の阿部弘輝は明治大でひと際強さを発揮した選手で、西川雄一朗は東海大の箱根駅伝初優勝のメンバーのひとりである。

 スカウティングを続けるなか、最近の学生の競技志向やマインドは、渡辺監督の目にどう映っているのだろうか。

「今の学生は実績もあり、高いポテンシャルを持った選手が多い。その一方で、効率がいいほう、楽なほうを選ぶ傾向にあります。今は情報過多の時代なので、海外のトップチームをはじめいろんなチームの練習を見て、『これがいい』『あれがいい』と言ってくる選手が多い。それで強くなる選手もいるけど、長い目で見たら土台づくりはしっかりやらないといけない。自分がやりたくないこと、嫌なことも選択させるという教育も必要だなって思います」

 渡辺監督が教育の必要性を説くのは、競技力を高めることはもちろんだが、選手が引退したあとのことを考えてのことでもある。

「陸上競技者は個人種目なので基本的にわがままなんですよ。社業もほかの社員からしたらほとんどやっていないですし、足りないところだらけです。プロならそれでもいいと思うのですが、そうじゃない。スポーツ選手とは違う景色のなかで生きているので、普通の景色も見せておかないといけない。仕事あっての陸上ということを理解しないと。そこを勘違いしてほしくないですね」

 現在、陸上にはマラソン、100m、そして駅伝という人気コンテンツがある。なかでも箱根駅伝は正月の風物詩となり、多くの人が楽しみにしているスポーツになった。社会人には、正月にニューイヤー駅伝がある。早稲田大を長年、指揮し、箱根駅伝を経験してきた渡辺監督から見て、ニューイヤーはどんなふうに見えているのだろうか。

「やはり、箱根との違いをすごく感じますね。箱根駅伝は、コンテンツなんですよ。選手個人や大学を応援するために見る人も多いけど、さらに多くの人が『箱根駅伝』を見るためにテレビを見ているんです。それは大きいですよ。箱根を経験した社会人の選手は、箱根であれだけ応援してくれたのに、なぜニューイヤーは盛り上がらないのだろうと思っていると思います。正直、多くの選手を含め、私もニューイヤーがこのままでいいとは思っていないです。今はスポンサーがついて、テレビで放送されていますけど、この後、何年つづくのか。そろそろ改革していかないと今後、開催自体が厳しくなると思っています」

 だとすれば、どんな改革が必要だと考えているのだろうか。

「ひとつの案としては、まずシード権でしょうね。例えば、8位までがシード権を得られるなら、どのチームもまずは8位内を目指す。次は5位以内、そして優勝というように目標を設定しやすいと思います。開催時期をニューイヤーにこだわるなら大都市でやればいい。沿道のファンが増えますし、駅伝自体がもっと注目されます。魅力あるコンテンツにするには、駅伝を作る人たちがもっと努力していかないといけないですし、思い切って改革を引っ張る人が出てこないといけない」

 渡辺監督は早稲田大を指揮し、結果を出していた指導者であるし、今は実業団のチームの監督に就いている。両方の世界を知り、知名度も高く、改革を発言していくのには、最適の人物だと思うのだが、改革のリーダーになる野心はないのだろうか。

「青学大の原(晋)さんは、競技実績がない中で結果を出して陸上界を変えるのは今しかないと、いろんな仕掛けをして改革をしているじゃないですか。でも、私は原さんとは真逆の性格なんですよ(苦笑)。どちらかというと、そういう人について改革をするタイプです。ひとりで大木に挑むタイプではなく、組織の中でバランスを考えてしまう。そういう一歩踏み出せないところが、指導者として甘いところなのかなって思いますね」

 渡辺監督は、実業団のチームや実業団連盟に対して一歩踏み出して発言していくためには、結果が必要だと考えている。ニューイヤーで優勝するか、あるいはチームからオリンピアンを輩出する。そうして初めて住友電工の監督としての発言に説得力が得られると思っている。だが、時間が潤沢にあるわけではない。

 コロナ禍の影響で社会が変わり、多くの企業が経営的な厳しさにさらされている。東京五輪が終われば、アスリート支援に冬の時代がやってくるという声も聞く。

「DeNAが規模縮小を発表しましたが、今後はそういう企業が増えていくでしょうし、東京五輪が終わればサポートの仕方が変わっていくかもしれません。陸上界も今までのようにスポンサーがついて、テレビ局がついてという花形商売のような考えではつづかない。危機感を持って変えるべきところは変えていかないと。その中で私ができることは住友電工の陸上競技部を長く存続させていくことです。企業スポーツがなくなると学生の就職先がなくなりますし、陸上界もしぼんでいってしまう。社会が変わる中でも生きていける、そして私がいなくなっても存続できるようにチームを作っていきたいと思っています」

 渡辺監督の言葉からは、強い覚悟が伝わってくる。就任から5年、選手育成、強化に手応えを感じているのだろうか。

「まだまだです。田村も遠藤もまだ日の丸をつけていないですし、ニューイヤー駅伝も11位が最高なので‥‥富士山の5合目に向けて、車を走らせている状況です。この先、本格的に上を目指せば困難も多くなる。歩いて山頂まで行くには、もう少し時間がかかりそうですね」

 来年も優秀な選手がチームに入ってくるだろう。

 渡辺監督が欲する選手が加入し、選手層は着実に厚くなっていく。いずれ、日の丸ランナーの誕生が実現し、ニューイヤー駅伝では10位内、トップ5、優勝へと確実に階段を上がっていくはずだ。そうして住友電工独特のスタイルで結果を出し続けた後に、実業団に「改革」という大きな風が吹くだろう。