知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い三菱重工マラソン部(1)「ウチは全国唯一のマラソン部であり、目標は世界一のマラソンチームになること。その目標を達成できる選手をつくっていくことです」 三菱重工マラソン部(前MHPS)の黒木純監督は…

知られざる実業団陸上の現実~駅伝&個人の闘い
三菱重工マラソン部(1)

「ウチは全国唯一のマラソン部であり、目標は世界一のマラソンチームになること。その目標を達成できる選手をつくっていくことです」

 三菱重工マラソン部(前MHPS)の黒木純監督はそう語る。部は1982年に誕生し、昨年のMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)には井上大仁(ひろと)ら3人を送り出すなど、日本の実業団のトップシーンを走るチームに成長した。



三菱重工マラソン部を率いる黒木純監督

 国内には多くの実業団チームが存在するが、マラソン選手を輩出するのを目標とし、マラソン部と称しているチームはここだけだ。だが、なぜマラソンなのか──。

 もともと九州の実業団は旭化成をはじめ、トヨタ九州、安川電機、九電工、黒崎播磨などがマラソンの日本代表選手を輩出してきた。その土壌に加えて駅伝人気が高く、伝統的にロードを走る文化が育まれ、九州は地形的に練習環境に恵まれていることも大きい。

「長崎のメリットは山坂が多く、その地形を生かして選手をつくっていくことができる。あと、地方ですからいろんな情報にとらわれず、純粋に陸上に取り組んでいける」(黒木監督)

 車でわざわざ遠くに行かなくても近くに山があり、毎日、近くをジョグするだけで足が鍛えられる。生活環境も充実していて、市内に大きな寮があり、食事など生活面で困ることはない。しかもチームには井上を筆頭に木滑良、定方俊樹、岩田勇治といったトップランナーがおり、間近で彼らの強さを見ることができる。マラソンを目指す選手にとっては、これ以上ない環境である。

 だが、スカウティングは簡単ではない。とくに箱根駅伝の常連校の選手を獲得する際、競争相手が関東圏の実業団だと苦戦を強いられる。

「実力とスター性のある選手が『マラソンをやりたいのでお世話になります』と言ってくれるとありがたいですけど、なかなかそうはいかない(苦笑)。地方のチームですし、選手が自然と集まってくることもない。だから、地元の選手が多い。戦略的には2番手、3番手の選手を取りながら、しっかり育てていくのがウチのやり方です」

 では、三菱重工が求める選手とは、どのようなタイプなのだろうか。

「ウチは派手さのあるチームではないですし、すごく素質のある選手が来るわけでもない。タイムも見ますが、コツコツと練習を積み重ねる粘り強い選手。それが一番マラソンに合う選手だと思います」

 黒木監督はスカウティングに行く際、選手の目標などを調べ、その際、口説き文句も考えていく。スカウティングをするなか、最近の学生の競技志向に変化が見られたという。

「MGCをきっかけにマラソンをやりたいという学生が増えました。以前は、ただやりたいみたいな感じだったんですが、『マラソンをやりたい。ここに行きたい』とはっきり言ってくれるようになりましたね」

 MGCはオリンピック本番さながらの注目を集め、非常に盛り上がった。実際、黒木監督もその熱のすごさを感じた。MGCがかつてない盛り上がりを見せた要因をどう考えていだのだろうか。

「初めてのことですし、一発選考のレースで、その緊張感が伝わったんだと思います。僕は何回も見返しましたけど、中村(匠吾)、服部(勇馬)、大迫(傑)の3人が競ったレースは、見たことがない迫力でした。こういうレースに慣れた選手がメダルを獲れる選手になると思います。私たち指導者もMGCのような場で勝負させたいという気持ちがありました。MGCでどこにも負けないマラソン部というのを見せたかったですし、ウチから代表選手を出せればよかったんですけど......」

 MGCには井上、木滑、岩田の3人が出場した。なかでも2018年のアジア大会マラソンで金メダルを獲った井上は、とりわけ大きな注目を浴びた。しかし、まさかの27位という結果に終わった。

「MGCはアジア大会とはまったく別ものでした。練習もマンネリ化してしまったのか、井上の心に火をつけられなかった。正直、ここで失敗するのか、情けないって思いましたね」

 東京五輪のマラソン代表を決めるMGCは、劇的な展開、注目度を含めて成功に終わった。その一方で実業団のレースは、位置づけ、規模ともMGCとはずいぶん異なるが、注目度は高くない。

 ニューイヤー駅伝に出場する選手は日本のトップクラスだが、箱根駅伝ほど盛り上がらない。実業団の大会のなかにMGCのようなレースをつくるべきではないかという声もあるが、いくらレースを設けても選手のレベルが上がらないと盛り上がらないという意見もある。

「選手のレベルがワールドスタンダードになっていかないといけないですね。8月に田中希実が出場したゴールデングランプリの女子1500mはテレビで放映されたけど、男子1500mはなかった。出場した的野(遼大)には『タイムが出ないし、タレント性がないから放映されないんだ。とにかく日本記録を出そう! そうしないとずっと前座だよ』と言いました」

 選手の強化は一朝一夕には進まないが、MGC開催で国内マラソンのレベルが上がったのは事実だ。選手の努力と、その能力を発揮できるのにふさわしい場を与えることが、競技力を高めることにつながる。

「マラソンの実業団選手権があってもいいかなと思います。マラソンの日本一を決める大会で、賞金もつく。それを陸連主催ではなく、実業団でつくる。賞金はスポンサー次第ですが、あったほうが選手のモチベーションが上がります。表彰式も古風な感じにやるのではなく、ゴールした瞬間に優勝カップと賞金を渡す。ライブ感があるほうが絶対に盛り上がると思うんですよ」

 マラソンはプロ野球のように年間100以上の試合があるわけではない。年間1、2レースで、あとはひたすら練習の日々だ。そんな修行僧のような日々に報いるためには、名誉だけでなく、賞金という形で勝者をたたえるべきではないだろうか。海外ではむしろそれが普通である。

 そういう意味で、スポンサー付きのマラソン日本一を決める実業団の大会は、自然とトップ選手が集うことになり、実現すると非常に面白い。

 ちなみに、三菱重工は9月1日付でMHPSから名称が変更になった。

「会社にスポーツ推進センターができて、浦和レッズ、ラグビーのダイナボアーズ、それに野球とマラソン部もそこに入って強化するそうです。レッズをはじめ、いろんなスポーツとコラボできると思うので、そういう楽しみはあります。僕は『名前を変えてやるんだったら、トヨタに勝とう!』と言っています。ウチと同じくサッカーも野球部もラグビーもマラソンもあるので、いいターゲットですよ。やるなら日本一を目指さないと。その先の世界が見えないので」

 本社は東京になるが、選手の拠点は変わらず長崎である。「みんな長崎で強くなったので、この土壌は失いたくない」と黒木監督は語る。では、指揮官が描く理想のチームとはどういうものなのだろうか。

「いまウチのチームにはマラソンのサブ10(フルマラソンを2時間10分以内で完走すること)が5人います。それを10人いるチームにしていきたい。そんなチームになれば、ニューイヤー駅伝は区間配置に関係なく、マラソンに強い選手だけで優勝できるんじゃないかと思うんです」

 ニューイヤー駅伝は、前々回は2位、前回は17位に終わった。だが今回は、選手の顔ぶれを見ると優勝を狙えるだけのメンバーが揃っている。

「前回はMGCの失敗を引きずってしまいました。気持ちを切り替えて挑んだつもりだったんですが......。今年はコロナ禍で大会もなく大変でしたが、選手は成長しています。今回は優勝を狙っていきます」

 駅伝に強い選手を獲得して勝つのではなく、マラソン選手を育成していくなかで駅伝を優勝する。そんな独特のスタイルを持つチームが勝てば、また新しい動きが出てくるかもしれない。