近年は山上りの5区が注目を集める箱根駅伝だが、もっとも華やかな区間といえば、エースたちが名勝負を繰り広げてきた"花の2区"を挙げるファンが多いだろう。第37回大会(1961年)から、逆行する9区とともに最長区間(第82回から第92回までは…
近年は山上りの5区が注目を集める箱根駅伝だが、もっとも華やかな区間といえば、エースたちが名勝負を繰り広げてきた"花の2区"を挙げるファンが多いだろう。第37回大会(1961年)から、逆行する9区とともに最長区間(第82回から第92回までは、小田原中継所の位置の変更で5区が最長)となり、各校のエースが集まるようになった。
現在の2区は鶴見中継所から戸塚中継所までをつなぐ23.2㎞。再計測による誤差などで距離の数値は変わっているが、第59回大会(1983年)から現在まで、エースたちは同じコースを駆け抜けてきた。歴代の区間賞を見ると、中央大・岩下察男、順天堂大・澤木啓祐、東京農業大・服部誠、早稲田大・瀬古利彦といったレジェンドたちの名前が記されている。
筆者は当時の箱根駅伝を見ていないが、第69回大会(1993年)からの3年間はかなり熱心に視聴して、第72~75回大会(1996~1999年)には、関東学連に所属する陸上部員として箱根駅伝を経験。その後はスポーツライターとして取材を重ねてきた。そこで強く印象に残っている"花の2区"を彩ったエースたちを振り返ってみたい。
華麗な走りが真っ先に思い浮かんだのは、早稲田大の渡辺康幸(現・住友電工監督)だ。2区は1年時(1993年)、3年時(1995年)、4年時(1996年)に走り、いきなり日本人1年生最高の1時間8分48秒をマークした。
早稲田大のエースとして、ファンに語り継がれる渡辺康幸
3年時には、ライバルである山梨学大のステファン・マヤカの見えない背中を追いかけて、ハイペースで突っ込み、区間記録(1時間7分34秒)を一気に46秒も短縮する1時間6分48秒という大記録を打ち立てている。マヤカに勝つために「1時間6分台」という目標タイムを掲げたことが、前人未到の記録につながった。
10000mで27分48秒55の日本学生記録を樹立した4年時の箱根では、トップと37秒差の9位から8人抜きでトップを奪い、前年に続いて1時間6分台で走破。2位に1分35秒の大差をつけ、チームの往路優勝に大きく貢献した。
当時は「不滅の記録」と言われた渡辺の区間記録だが、その3年後に早くも突破する選手が現れた。3年連続でエース区間を担った順天堂大・三代直樹(現・富士通コーチ)だ。
4年時(1999年)の2区で首位と22秒差の8位でスタートを切ると、2km過ぎでトップを奪取。ライバルたちを振り切り、1時間6分46秒の区間新記録を樹立した。特に驚異的だったのが、ラスト3kmの上り坂だ。20km通過(57分51秒)は渡辺の3年時よりも13秒遅れていたが、そこから爆走して"大逆転"につなげている。この年、三代の快走で波に乗った順天堂大は10年ぶりの総合優勝に輝いた。
2区は留学生ランナーが旋風を巻き起こしてきた区間でもある。"初代ケニア人留学生"のジョセフ・オツオリに続き、3度の区間賞を獲得した山梨学大のメクボ・ジョブ・モグスはひたすら強かった。
2年時(2007年)は終盤に失速して区間6位に終わったが、1年時(2006年)は12位から、3年時(2008年)は7位から、4年時(2009年)は4位からトップに立っている。タイムの面では、3年時に三代が保持していた区間記録を23秒塗り替える1時間6分23秒をマーク。さらに4年時には記録を1時間6分04秒まで短縮した。10000m27分27秒64、ハーフマラソン59分48秒の日本学生記録を持つ実力は半端じゃなかった。
タイムではモグスにかなわなかったが、日本大のギタウ・ダニエルもインパクトのある走りを見せている。2年時(2008年)は15人抜き(19位→4位)、3年時(2009年)は20人抜き(22位→2位)、4年時(2010年)は11人抜き(13位→2位)。1学年上のモグスに阻まれ、区間賞は4年時の一度だけだったが、3度2区を走り46人を"ゴボウ抜き"。ダニエルは、1年時にも3区で5人抜き(6位→1位)を演じており、4年間で衝撃の51人抜きを演じたことになる。
そのダニエルも越えられなかったのが、「1時間7分の壁」。渡辺、三代、モグスの3人しか入ることができなかった1時間6分台の領域に、東海大・村澤明伸(現・日清食品グループ)が踏み込んだことには驚かされた。
1年時(2010年)も10人抜き(14位→4位)の区間2位(1時間8分08秒)と快走したが、2年時(2011年)はさらに凄まじかった。20位でタスキを受け取ると、10kmを10000mのベスト記録(当時28分44秒23)を大きく上回る28分20秒前後で通過。本人も何人抜いたのかわからないというゴボウ抜きで、タスキを3位でつなげている。タイムも1時間6分52秒とすばらしかった。
村澤のあと、1時間6分台に到達する日本人選手はなかなか現れなかったが、順天堂大・塩尻和也(現・富士通)が2019年に大仕事を成し遂げる。
2年時に3000m障害でリオ五輪に出場し、3年時には10000mで27分47秒87をマーク。「学生ナンバーワン」と言われていた塩尻は19位でスタートし、終盤を意識した走りでじっくりと攻めながらも10人抜きを演じる。タイムも、先輩・三代直樹が保持していた記録(1時間6分46秒)を1秒上回り、日本人最高記録を20年ぶりに塗り替えた。
そして記憶に新しい前回大会(2020年)では、四半世紀の間で1、2秒ずつしか上書きされてこなかった日本人最高記録が一気に更新されることになる。主役となったのは、花の2区でランデブー(並走)を見せた東洋大・相澤晃(現・旭化成)と東京国際大・伊藤達彦(現・Honda)だ。
全日本大学駅伝3区の区間記録保持者である相澤が14位で走り出すと、同2区の区間記録を持つ伊藤に6km付近で追いつく。ここからふたりの激しいバトルが始まった。
相澤が前に出ると、伊藤もペースを上げて抜き返す。並走が続く中で、何度もペースチェンジが繰り広げられた。20.5km付近でようやく伊藤を突き放した相澤は、最後の上りも激走。"モグス越え"を果たしただけでなく、新時代への扉を開く1時間5分57秒を叩き出した。一方の伊藤も1時間6分18秒で走破し、塩尻が前年にマークした日本人最高記録(1時間6分45秒)を大きく上回った。
社会人となったふたりは12月4日の日本選手権10000mでも激闘を演じて、ともに日本新記録樹立&東京五輪参加標準記録突破を果たしている。箱根から世界へ。花の2区から、次はどんなヒーローが生まれるのだろうか。