日本を代表する野球人として、多くの尊敬を集め続ける野村克也氏。野村氏は現役引退後、ヤクルト時代の「ID野球」が代名詞となり、名将として確かな結果を残してきた。しかし、野村氏から信頼を寄せられ、ヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや2軍監督を務…

日本を代表する野球人として、多くの尊敬を集め続ける野村克也氏。野村氏は現役引退後、ヤクルト時代の「ID野球」が代名詞となり、名将として確かな結果を残してきた。しかし、野村氏から信頼を寄せられ、ヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや2軍監督を務めた松井優典氏は「『ID野球』は野村さんの本来の考え方じゃない」と明かす。では、本当の野村野球とは一体どのようなものだったのか。

■野村野球は「ID野球」ではない!? 野村克也氏が本当にやりたかった野球とは…

 日本を代表する野球人として、多くの尊敬を集め続ける野村克也氏。現役時代は名捕手でありながら歴代2位の通算657本塁打を放ち、南海では兼任監督としてもプレー。現役引退後は評論家を経て、ヤクルト、阪神、楽天で名将として手腕を発揮した。

 ヤクルト時代には9年間で4度のリーグ制覇、3度の日本一を達成。阪神では3年連続最下位に終わったが、多くの選手を育て上げた。そして、社会人シダックスを経て就任した楽天では、09年に球団創設5年目で初のクライマックスシリーズ(CS)進出に導き、退任した。

 野村氏は現役引退後、ヤクルト時代の「ID野球」が代名詞となり、名将として確かな結果を残してきた。しかし、野村氏から信頼を寄せられ、ヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや2軍監督を務めた松井優典氏は「『ID野球』は野村さんの本来の考え方じゃない」と明かす。では、本当の野村野球とは一体どのようなものだったのか。

 野村氏から2軍監督を任される際、松井氏が要求されていたことは、ただ1つだという。

「それはみなさんが想像できないことだと思います。想像できないことを野村さんは私に言った。『こういう風な野球をしろ』とか『データを集めてやれ』とか、野村さんはそういうことは一言も言わなかった。特に2軍監督をやっている時には『人間教育をしろ』と。その一言だけでした。それ以上は細かいことは何も言わない」

 この「人間教育」という言葉に、“野村野球”の正体が隠されているという。

■野村氏の理想のチームとは…

「そもそも、ヤクルト時代になぜ『ID野球』になったかというと、いきさつがありました。毎年、監督会議の時にその年のキャッチフレーズ、スローガンを発表するのですが、その前に野村さんの家に行って話をしたら、『まだ決まってない』という話でした。それで自分も考えていて、『ID野球ってどうですか?』と言ったんです。『どういうこと?』と聞かれたので、『データ重視というか、レポート解析とかデータ解析とか、そういうことなんです』と。IDカードとかICチップとか言われている時代だったから、『ちょうど良いんじゃないですか』と提案したんです。そうしたら『俺は性に合わん』と。それでなければ、『シンキングベースボール・パート2』で行こうと(笑)。

 監督会議が終わって、野村さんが出てきて『どうしました? シンキングベースボールですか?』と聞いたら、『いや、ID野球で行くわ』と。本人はその時は乗り気じゃなかった。でも、それが1つのキャッチフレーズになって、勝って、『野村野球って何だ』と言われる時に大きなキーワードとして理解しやすかった。それがスタート。だから、野村さんの本来の考え方じゃないんです」

 一方で、野村監督が本当に目指していた野球は、阪神時代のスローガンから見て取れるという。

「阪神にいた時に、その時のこと忘れてしまっている人が多いと思うけど、『TOP野球』というスローガンをつけました。阪神に行く時に、野村さんから電話がかかってきて『キャッチフレーズを考えろ』と。あと、『野村の考えの作戦とフォーメーションをやれ』と指示を受けたんです。フォーメーションとかサインプレーはまとまっている。ただ、キャッチフレーズを考えるのが大変でした。

 野村さんはトータルの能力で、ということを考えている。走ったり、投げたり、ということだけじゃなく、体力、気力、知力という言葉をいつも言う。特に、体力とか気力より、知力の部分をしっかりやらないと、プロ野球じゃないと。知力を打ち出すためには、トータル(total)ということをどうしても出さない。いわゆる人間力と言われる中でのトータル。人間のトータルというのは外せない。そのトータルの能力を上げるのは、やっぱり練習ではない。実戦でです。オブジェクトレッスン(object lesson)というのは、そういうことに当てはまる。そして、それは段階を追ってやっていかないといけない。それはプロセス(process)。その言葉に突き当たってT、O、Pの頭文字を作った時に『TOP』になる。

 これを合わせて、『意味はこういうことなんです』と言ったら、野村さんは『これでええやないかい』と。それで『TOP野球』になりました。ただ、負けてばかりだったから浸透しなかった。そういう形の野球が、野村さんが本来やりたいもの。だから、自分が前面に出て『エンドランやれ』とか『こう投げろ』とか言うのは本来の“野村野球”じゃない。本来はそこに行くまでにどれだけ選手を育てて、やることを自分で考えてやれるようになるか。これが野村さんが一番求めている野球です。だから、2軍でやることは『人間教育しろ』ということでした。それが野球に対する考え方の根本です」

■野村氏の本当の凄さは「データ分析より観察力」

 もちろん、野村氏はデータも重視する。松井氏も、1軍ヘッドコーチ時代にはデータ整理などに力を割いたという。「スコアラーに対して要求が厳しい。だから、ヤクルト時代はスコアラーが育ちました」と振り返る。そのデータを分析し、特徴を洗い出し、試合に生かしていった。

「そこ(データ分析)から派生しているものはいっぱいあります。『野村ノート』と呼ばれるものとか、我々が研修で書いたノートとか、阪神に行ってからの『野村の考え』とか。それをまとめる能力が凄い。どの打者だって、追い込まれたら三振はしたくありません。三振したくないというバッティングになると、当然みんなが思っている。でも、それを文章にしようと誰が思いますか? 『その心理が働くから、逆をつく』。こういうことを文章にした人って、それまでに誰がいましたか? これが素晴らしいところです」

 ただ、「(凄いのは)データ分析よりも観察力だと思います。それが1つのIDといわれる部分かもしれない」と松井氏は言う。

「一流バッターとしての視点、キャッチャーというバッテリーの視点。野村さんには、この2つがミックスされています。その視点が素晴らしいところ。『盗塁されたら嫌だな』というのは、ピッチャーにはないキャッチャーの視点です。だから、盗塁されたくないと思った時に、野村さんはランナーを見た。じっと走者の動き見て『これ走ってくるな』と。こういう感覚はすごいと思います。ヤクルトに来て1年目のオープン戦で、ピッチドアウトを3回やって、3回ともバシバシ当てたこともありました」

 確かに「ID野球」は、本来の野村野球ではないのかもしれない。ただ、野村氏の類まれな観察力に野球人は一目を置き、「ID野球」は球界をリードした。名将の実績は、いつまでも輝き続ける。