野﨑舞夏星インタビュー(1)どすこい!女子相撲編ドンマイ!AD編はこちら>>「部活の引退間際は、早くステキなOLになりたいと思っていました」 そう笑いながら話してくれたのは、野﨑舞夏星(まなほ)さん、24歳。昨年4月、フジテレビに入社し今年…

野﨑舞夏星インタビュー(1)
どすこい!女子相撲編

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「部活の引退間際は、早くステキなOLになりたいと思っていました」

 そう笑いながら話してくれたのは、野﨑舞夏星(まなほ)さん、24歳。昨年4月、フジテレビに入社し今年で2年目。テレビ局の社員として働いているが、名前とその顔を見てピンとくる方も多いだろう。



世界女子ジュニア相撲選手権で優勝したことがある野﨑舞夏星(まなほ)さん

 野﨑さんは、小学2年生の時に相撲を始めると、めきめきと力をつけ、数々の大会で優勝するなど好成績を収める。そして、2014年。高校3年生の時に台湾で行なわれた世界女子ジュニア相撲選手権で優勝。日本人としては、軽量級で初めて世界一に輝いた。

 その後、立命館大学に進学してからも相撲部に4年間在籍。相撲の実力に加えてそのルックスから「美女アスリート」としてさまざまなメディアに取り上げられ、スポルティーバでも2016年に取材を行なっている。

 取材した当時から野﨑さんが話していたのは、「将来はスポーツ番組のディレクターになりたい」ということ。「中学の時からずっとそう思っていました。大学4年間もその思いは続いていて、大学3年時の就職活動ではいろいろ苦戦したのですが、ご縁あってフジテレビに入社できました」

 将来の夢をかなえるべく、テレビ局に就職し、第一歩を踏み出した。そんな彼女に、まずは大学生活を振り返ってもらった。

「スポルティーバさんに取材をしてもらったのは大学2年生の時です。その時は確か右肩のケガのリハビリ中でした。その後、3年生の時に復帰するのですが、世界大会の選考にかかわる大会(国際女子相撲選抜堺大会)の1週間前にまた脱臼してしまって。

 その大会には出場したのですが、試合中にまた脱臼するなど良い結果を出せませんでした。その後、いろいろ悩んだ結果、3度目の手術を受けました。それまでは肩を脱臼しないように軽く骨を固定するぐらいの手術だったのですが、その時は骨を他のところから移植するという大掛かりな手術でした」

 半年間のつらいリハビリに耐え、大学4年の時に復帰。再び世界を目指すも、10月に行なわれた全日本女子相撲選手権でまさかの1回戦負け。最終的には大学で目標にしていた「世界一」を実現することはできなかった。

「それでも、学生最後のインカレ(7月開催)の軽量級で優勝することができました。とてもうれしかったし、今、客観的に大学生活を振り返ると、ケガを乗り越えられたことが自分にとって大きな財産になったのかなと思います」

  ケガの影響で思うような成績を残すことができなかった野﨑さん。ケガ以外にも勝てなかった要因があるとすれば何だったのか。

「大学に入学するまでは相撲とレスリング、柔道の3つをやっていて、それを大学でひとつに絞ったのですが、自分の相撲スタイルに悩むことが多かったですね。

 大学に入って相撲を極めようとやっていたのですが、最終的には自分自身は、レスリングや柔道をやってきたことを生かしたスタイルのほうが合っていたのかもしれません。

 でも、そのことに気づいたのが遅かった。そういうスタイルにすることは肩には危険な技が多かったので、迷いどころだったんです」

 それでも最後のインカレで日本一になれた。自分がやるべきことはすべてやった。大学生活を振り返ってくれたその表情に悔いがあるようには見えなかった。

「4年間やりきったという思いはあります。フジテレビに入社して、もし土日が休みの部署に配属されていたら、選手として続けられるかなと思ったこともありました。でも、部活を引退する間際は、早く引退してステキなOLになりたいなってずっと思っていました(笑)」

 大学生活は「相撲づけの日々」だった。あえて「相撲以外のことで大学時代の印象深い思い出は?」と聞いたところ、少し考えてから話してくれたのは、やはり相撲に関わることだった。

「全日本女子相撲選手権が4年生の10月にあって、その後11月に日本代表の選手たちがロシアに行って親善試合や練習などで交流する事業があり、それが私にとって最後の取組になったんです。

 ロシアにはシニアにもジュニアにも強い選手がたくさんいるのですが、そこでロシアの選手に勝つことができました。

 10月の全日本選手権では、1回戦負けだったんです。優勝するつもりで行っていたのにあっけない終わり方をして、それが引退試合だったのかと落ち込んでいたところ、ロシアの遠征が最後の大会になって。

 そこで自分が納得のいく相撲、それまで十何年かやってきた集大成みたいな相撲を取ることができ、とてもうれしかったです」

 試合の結果以外にも行ってよかったと思えることがあった。

「ロシアの大会では、土俵にだけスポットライトが当たったり、会場にBGMが流れたり。カメラもいろんな角度から試合を撮っていて、それがモニターに映しだされて。日本のアマチュアの大会では考えられないような演出の仕方でした。

 これから日本で相撲を盛り上げていくために、そういう演出の仕方が必要なんだなということに気づくことができました」

 野﨑さんは、今、目標のディレクターになるべく、スポーツ局のADとして働いている。仕事の関係で土日にも出社し、どちらかというと夜型の生活だ。知人から東京の相撲道場に来るように誘われることもあるが、まったく行けていない。

「相撲は完全に辞めたわけではないんです。ただ、本格的にやろうとすると、どうしても大会に出て結果を出すことを意識しますし、仕事を辞めて相撲一筋でやりたいということになってしまいます。でも、今はそこまでの思いはなくて、小さい子たちに指導するという目的で関わりたいと思っています」

  2016年に取材した時には「相撲のない生活が正直わからない」と話していた。今、まさにそういう日々を送っているが、どう変わったのだろうか。

「すごくアクティブになりました。今までは相撲のことでいっぱいいっぱいで、休みの日もなるべく家にいたいとか、2つ以上予定があることが考えられませんでした。でも、最近は仕事のシフトが決まって休みを取れる日がわかったらすぐ予定を詰めています。フットワークが軽くなりましたね」

 では、憧れていたOL生活は送れているのだろうか。

「ちょっと想像と違って。......仕事内容というよりは、肩幅が狭くなって、かわいい服を着て、きれいな感じのOLになりたい!って思っていたんです。でも、体格もひと回りぐらいは小さくなったはずなのに、まだ筋肉が落ちないし。私の筋肉ってそんなに粘り強いものなんだ。筋肉、落ちないじゃんって(笑)」

(つづく)