丸山城志郎との24分ちょうどの死闘を制し、東京五輪の柔道男子66キロ級の代表に内定した阿部一二三は、「冷静に戦えた」と繰り返し話した。「本当に長い試合になった。集中力を切らさず、前に出る柔道を貫き通した結果だと思います。相手が前に出てきた…

 丸山城志郎との24分ちょうどの死闘を制し、東京五輪の柔道男子66キロ級の代表に内定した阿部一二三は、「冷静に戦えた」と繰り返し話した。

「本当に長い試合になった。集中力を切らさず、前に出る柔道を貫き通した結果だと思います。相手が前に出てきた時はしっかり耐えきる。そうした判断もしっかりできた。自分自身、冷静に、落ち着いて自分の柔道をやり通せたことが勝因だと思います」



丸山城志郎(写真左)を破り東京五輪の柔道男子66キロ級の代表に内定して阿部一二三

 心は熱く、頭はクールに。柔道の総本山である講道館の大道場を舞台にした、柔道界では異例のワンマッチによる東京五輪代表決定戦において、阿部は常に攻撃的な姿勢を貫きながら、リスクを負う技を避け、一度もヒヤリとすることなく丸山を完封した。

 まず、丸山の伝家の宝刀である内股を警戒した。両者が対戦した過去の7戦で、丸山が勝利した4戦のうち、内股によって勝負が決した試合はない。

「体幹の強い阿部に丸山の内股はかからない」

 戦前の予想でそうした声も柔道界から出ていたが、五輪切符のかかった大一番で、阿部は序盤から喧嘩四つとなる丸山の左の釣り手を、自らの釣り手(右手)を使って徹底的に潰していき、丸山が一瞬でも掴めば自身は奥襟を掴んで距離を詰めていく。明らかに内股を徹底して封じる作戦に見えた。

 阿部にとって最初の技は袖釣り込み腰。それは空砲に終わる。その後も右手(釣り手)だけの背負い投げを連続して繰り出していく。2分30秒が過ぎ、まず消極的姿勢の丸山にだけ「指導」が宣告された。

 4分間の本戦の終盤は、阿部が畳みかけるように背負い投げを仕掛け、一方の丸山には技らしい技を掛けられず、試合はゴールデンスコア(GS=延長戦)に突入する。時間無制限で、技のポイントが決まればその時点で試合は終了である。

 GSに入ってさらに丸山は「指導」を受ける。3つ目の指導が宣告されれば、その時点で丸山の反則負けである。あとのない丸山はギアを入れ替え前に出て、すぐに阿部にも「指導」──。

 そして、この日初めて、丸山が巴投げに入る。

 内股以外にもうひとつ、阿部が警戒していたのがこの技だろう。前に出続ける攻撃柔道が持ち味の阿部だが、GSに入ってから不用意に前に出て、巴投げで敗れるのがこれまでの負けパターンだった。同じ轍を踏まないように、相手に圧をかけながら、重心を低く構えて、丸山との間合いを詰めていく。

 丸山も巴投げだけでなく、肩車などで阿部を倒そうと試みるも、阿部はピクリともしない。阿部も担ぎ技だけでなく、この日は小内刈り、支え釣り込み足、そして大内刈りと足技も多投するが、凛とした姿勢で丸山は対処する。

 これまで丸山の4勝3敗という拮抗した両者の実力に、はっきりとした差があったとしたら、スタミナだ。試合開始からフルスロットルの阿部がGSに入ってから動きが鈍くなる傾向は確かにあった。

「これまで負けた試合は、ゴールデンスコアに入ってから柔道が雑になる部分があった。(コロナで自粛生活中に)しっかり走り込んだので、長い時間戦ってもスタミナが切れなかった」

 そうは言うものの、この日の試合で阿部の息が上がっているように見えたシーンがなかったわけではない。最初は試合時間が12分を経過した頃。阿部の動きがやや鈍くなり、丸山が組み手争いで優位に運んでいた。

 もうひとつは、阿部に2つ目の「指導」が宣告されて両者のポイントが並び、しばらく時間が経過した22分過ぎだ。

 しかし、いずれのシーンでも阿部は指の裂傷や鼻からの出血で、一時、試合を止めた。息が詰まるような試合の中で生まれたちょっとした間によって、阿部は呼吸を整え、試合終盤の怒濤の攻撃へとつなげていく。

 そうした迎えた24分。阿部は一度、大内刈りを繰り出し、さらにもう一度──。体勢を崩された丸山は返そうと試みる。が、背中を畳につけたのは丸山だった。

「技あり」

 そう宣告した天野安喜子主審は、ビデオでの確認を待ち、そして阿部の勝利が確定した。

 勝負を分けたのは2度のブレイクタイムではなかったか。もちろん、阿部が恣意的に試合を止めたとは思わない。両者の顔にはひっかき傷が残り、柔道着には血がにじむまさに死闘のなかで、結果として時間の使い方でも阿部は冷静だった。

「ここまで長くなるとは思っていなかったですけど、想定外ではなかった。これまではゴールデンスコアで敗退することがありましたが、そうしたことが頭をよぎることはなかったです。あの大内刈りは、想定内というか、冷静さのなかで出た技でした」

 丸山にも勝機はあった。だが、阿部のリスクマネジメントが、丸山の美しく切れ味鋭い内股や、巴投げのような大技を封じた。

 昨年の東京世界選手権で優勝し、代表レースで一時は阿部を大きくリードしながら、五輪切符を逃した丸山は、こう声を落とした。

「ひたむきにやってきたんですけど......。自分を信じて、妻を信じて。毎日、一緒に稽古をしてくれた大野(将平)先輩に感謝の気持ちでいっぱいです。肉体的にも、精神的にも強くなれたのは阿部選手の存在があったから。彼の存在が僕を成長させてくれた」

 ライバルの存在が大きく自身の成長を促したのは阿部も同じだろう。

「丸山選手がいたから強くなれた。大きな存在だった」

 ふたりの世界王者がどの階級よりも長い代表レースを繰り広げた日本の男子66キロ級の代表決定戦は、そのまま世界の頂上決戦でもあった。

 無事に東京五輪が開催されれば──阿部は妹の詩(うた)とともに、同じ日、日本武道館の畳に立つ。

「今日、内定が決まって、ようやくスタートラインに立てた。オリンピックでは、兄妹で輝きたい」

 東京五輪の兄妹Vが果たせたなら、日本のオリンピック史に輝く偉業となろう。その陰で、24分に及んだ死闘の末、夢敗れた柔道家がいることもまた語り継がれていくはずだ。