12月13日、故郷高知で凱旋興行を行う岡林裕二。毎年チャリティイベントとして開催していた「ピッサリ祭」は、新型コロナのため中止に。今回は「ピッサリ復活祭」として開催。BJW認定世界ストロングヘビー級王者として、ベルトを持って故郷高知で大会を…

12月13日、故郷高知で凱旋興行を行う岡林裕二。毎年チャリティイベントとして開催していた「ピッサリ祭」は、新型コロナのため中止に。今回は「ピッサリ復活祭」として開催。BJW認定世界ストロングヘビー級王者として、ベルトを持って故郷高知で大会を行う岡林選手に話を聞いた。

--いよいよ今週末、地元高知での凱旋興行ですね。これまでも高知大会は定期的に行われていたのですか?
岡林:今年は初めてになります。去年は2年ぶりに行われました。それとは別にチャリティイベント「ピッサリ祭」というのが行われます。それは兄や兄の友達、地元商工会・青年部のメンバーが、自分がデビューした2009年夏から毎年開催してくれるんですよ。
ただ、その「ピッサリ祭」は、残念ながら今年コロナの影響で開催できませんでしたが、地元の皆さんに支えて頂き10年以上続いています。
それとは別に四国のプロモーターに関さんという方がいて、昨年に引き続き2年連続で高知大会を開催してくれてました。

--今回、改めてBJW認定世界ストロングヘビー級王者として凱旋するので地元の方も喜んでくれますね。
岡林:先日、11.23大阪で関本さんと闘ったんですけど、地元で応援してくれる方々から「(関本に)ベルトを取られたら高知に帰ってくんな!」って言われてたんですよ。それが凄いプレッシャーで(笑)
それも直接じゃなくてTwitter上でツイートされるんですよ。なので「Twitter上ではやめてくれ」と…。

--いろいろな形の応援がありますから(笑)でも防衛できて一安心ですね。
岡林:はい、何とか防衛しベルト姿を地元の皆さんの前に披露することができるので嬉しく思います。コロナの影響で「ピッサリ祭」も中止になりましたが、高知の人たちに喜んでもらえると思います。

--今回、昨年11月より1年近くベルトを保持していた橋本大地選手を破り獲得したわけですが、後輩である橋本選手の成長はいかがですか?
岡林:ベルトを獲得してから、タイトル戦を重ねるごとに、身体も大きくなってチャンピオンとしての立ち振る舞いであったり、雰囲気も変わりましたね。
今年10.21後楽園でタイトルマッチがあり前哨戦で闘った時、以前はチョップ1発で怯んでいた大地が、全く微動だにしないんですよ。大地の変化を肌で感じましたね。

--やはりチャンピオンとしての責任感でしょうか?
岡林:それは大きいと思います。関本さんや入江選手と闘って6回防衛してまうから自信がついたんでしょう。

--橋本選手が大日に参戦したのが2016年。当時は他の大日の選手に比べると身体が細かったと思います。
岡林:自分も最初は「身体が細いけど…まぁ、なんとかやっていけるだろ」と。でも見る見るうちに身体がデカくなっていきましたね。やっぱり大日の選手が大きいので「俺もなんとかしないと」と思うんじゃないですかね。

--先ほど「橋本選手はタイトルを獲得してから、チャンピオンらしくなってきた」とおっしゃってましたが、岡林選手ご自身は過去を振り返った時、どうでしたか?
岡林:あれは大日本プロレスの1回目の両国国技館大会メインイベント、関本さんとのタイトルマッチですね。あの試合は正直、あんまり覚えてないですね。

--ほとんど記憶がないんですか?
岡林:要所要所しか覚えてないんですよ。「関本大介を絶対倒す」という気持ちが強すぎて、周りが見えてなかったというか。

--試合前、正直僕は関本選手が勝つと思ってました。でも関本選手の対角線にいた岡林選手の気迫が、いつもとは違ったように感じました。
岡林:あの時、関本さんはいつも通りのスタイルで自分を迎え撃ったと思うんですよ。でも自分は火事場のクソ力じゃないですけど、3日くらい前から夜も眠れない気持ちでした。緊張もしていたし「ここで勝てなかったらプロレスラーを辞めよう」というくらい自分を追い込んでいましたね。

--それは両国大会のメインという重圧もありましたか?
岡林:それもありましたね。メインを任された以上「やらないかん!」「勝たないかん!」と3日前から身体中のアドレナリンが出てました。周りからは「今からテンションが上がっていては、試合当日まで持たないぞ」と言われてましたね(笑)。

--いろんな思いを抱えて、ストロングヘビー級王座を獲得したんですね。ところで、まもなく地元高知に凱旋しますが、岡林選手はどんな学生でしたか?
岡林:とにかく勉強が苦手でしたね。習い事とかしても続きませんでした。唯一小学時代6年間続いたのは相撲でしたね。その間にクラブ活動は、野球が半年・サッカーが3ヶ月しか続きませんでした。

--格闘技が合っているんですね。
岡林:相撲も嫌々でしたけど。親父が「わんぱく相撲」の監督で、兄貴と2人で小学時代は相撲を。でも自分は欲がなくて「勝ちたい」と思わないんですよ。
大会とかも「この試合を早く終わらせて、家に帰ってゲームしよう」と考えてました。毎回親父に怒られてましたね(笑)。

--その「欲がない」岡林少年が変わったのは、いつですか?
岡林:小学6年の時、市大会で別の小学校の4年生に負けたんですよ。それが悔しくて悔しくて。わんぱく相撲は柱の四隅に審判がいます。大会中なのに、審判をしていた親父の隣で泣いていましたね(笑)。
でも、そこから勝負事にこだわるようになり「絶対に負けたくない」という気持ちになりました。

--それは相手が年下だったからですか?
岡林:それもあるし、背も自分より低く細かったんですよ。あの瞬間に全てが変わりました。今思うと彼に感謝ですね。

--その相手、覚えてますか。
岡林:和泉くんです。柔道で高校のインターハイ上位に入ったと聞いています。

--中学や高校時代、高知での思い出はありますか?
岡林:高校時代、関本さんのことを一方的に知ってました。自分の同級生で明徳義塾に通っていた友達から「食堂で一番メシを食う人がいる」と情報が入ってきました。

--それが関本選手ですか?
岡林:そうです。明徳義塾の何百人もいる生徒の中で1番メシを食ってたみたいです(笑)。
自分は高校でウェイトリフティング部。友達が「食堂で1番メシを食って、ベンチプレス140kgを持ち上げる野球部員がいる」と教えてくれたんですよ。当時、関本さんは「さんちゃん」と呼ぼれていたそうです。

--関本大介選手の名前に「さん」は付いてないですよ?
岡林:人よりご飯を3倍食べるので「さんちゃん」と呼ぼれていたそうです。後輩からは「さん付け」で「3倍さん」と(笑)。
ある日、関本さんがテレビのニュース番組で「明徳義塾を卒業してプロレスラーになる」と特集されていました。それを見て「友達が言ってた『3倍さん』や」と思って(笑)。

--いろいろと面白いお話ありがとうございます。最後に凱旋興行に向けて意気込みをお願いします。
岡林:今年コロナで、世界中の人が我慢を強いられる状況の中、有難いことに周りの方がの協力もあり地元で大会を開催できることになりました。
ベルトも持ち帰ることができるので、地元の皆さんには岡林裕二のチャンピオンとしての姿と大日本プロレスを観ていただき元気になってもらえたら嬉しいですね。

<インフォメーション>

12月13日(日)高知・セリーズ体育館にて「岡林裕二 凱旋興行 ピッサリ!! 復活祭」を行う大日本プロレス。岡林選手はメインイベントで関本選手と組み、橋本大地選手らと戦います。詳細はこちらをご確認下さい。→https://bjw.co.jp/schedule/s2020-12-13/

岡林裕二Twitter→https://twitter.com/bjw_pissari

取材・文/大楽聡詞

写真提供/大日本プロレス