速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 第6回 梅本まどか 前編 後編はこちら>>ラリーのコ・ドライバー梅本まどか近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ…

速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 
第6回 梅本まどか 前編 

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ラリーのコ・ドライバー梅本まどか

近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ始めた。いまだ男性中心の競技ではあるが、サーキットレース、ラリー、ドリフトなどで活躍する女性ドライバーは増加傾向だ。そこで、国内外のさまざまなカテゴリーで挑戦を続ける日本の女性ドライバーにインタビューした。 

第6回は、アイドルグループSKE48元メンバーのドライバー梅本まどか。アイドル時代にモータースポーツに出合い、魅了されたという梅本はグループ卒業後にラリーのコ・ドライバー(走行の手助けをする選手)になった。入門用のラリー競技に参加すると、初年でチャンピオンを獲得し、全日本選手権にステップアップ。今季はコロナ禍で中止となった最高峰の世界ラリー選手権(WRC)に出場予定だった。芸能からモータースポーツの世界へと、輝く舞台を変えた梅本にインタビューした。

ーー今年は世界ラリー選手権(WRC)のドイツと日本の2戦に出場予定だったそうですね。

梅本 そうなんです。新型コロナの影響で出場できなくなってしまいました。ドイツはコースの下見にまで行っていたので、すごく残念です。結局、今シーズンは全日本ラリー選手権第2戦・新城ラリーの1戦しか出場できませんでした。

ーー来年11月に日本でWRC「ラリージャパン」が開催されることが決まっていますが、参戦するのですか? 

梅本 まだ正式に決まっていませんが、ぜひ出たいです! 来年出場できるように、さまざまな調整をしている段階です。



モータースポーツ関連のメディアでも活動している梅本

ーー2018年に入門カテゴリーの「TOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジ」に参戦してチャンピオンになり、全日本選手権、WRCと順調にステップアップしています。

梅本 順調過ぎますよね(笑)。いろんな方のサポートのおかげですが、ラリーを始めた時に出会ったウェルパインモータースポーツの松井悠監督の影響は大きいです。監督には「日本でラリーをもっと盛り上げたい」という夢があるんです。ラリーは海外ですごく人気がありますが、日本国内ではそれほど認知されていません。すごく温度差があります。

 今、トヨタの育成ドライバーとして勝田貴元選手がWRCに参戦していますが、海外へ行く日本選手は少ないです。監督は、日本のチームが海外で活躍すれば、見てくれる人が増えるし、盛り上がるだろうという熱い気持ちを持っています。その中で私もラリーを勉強して、一緒に活動してきました。

ーーさかのぼりますが、梅本さんがモータースポーツに出合ったのはいつだったのですか?

梅本 私がSKE48に入って2年目の2011年でした。その年の鈴鹿8時間耐久ロードレースの前夜祭でライブをする機会があって。当時は鈴鹿サーキットの名前は聞いたことがありましたが、「どんなところだろう」という感じでしたね。

 実際に行ってみると、マシンの音やスピードの迫力に圧倒され、「なんだ、これは!」と衝撃を受けました。その後、レーシングドライバーの中嶋一貴選手と鈴鹿で開催されるスーパーフォーミュラ(SF)のPRのお仕事をする機会があったのですが、中嶋選手の話がすごく面白くて、SFを見るようになりました。ファンの方からお勧めされてF1にも興味を持って、モータースポーツにハマった感じですね。

ーーアイドル時代にモータースポーツを知ったんですね。家族など周囲はクルマやレースには興味はありませんでしたか?

梅本 まったくないですね。私も鈴鹿サーキットのお仕事までは、クルマは本当に移動手段のためのものとしか見ていませんでした。クルマを使ったスポーツがあること自体、認識していなかったと思います。

 それが、モータースポーツに興味を持ち始めると、母親に車を運転してもらって、自腹でモータースポーツファン感謝デーや、SFと全日本ロードレース選手権が同時開催される「鈴鹿2&4レース」などを見に行くようになりました。本当はもっといろんなレースへ行きたかったのですが、当時は週末にSKEの握手会があったのでなかなか難しかったですね。

ーー幼少期や学生時代は何かスポーツをしていましたか?

梅本 3歳からずっとクラシックバレエをやっていて、踊ることしか考えていませんでした。高校はチアリーディングをやりたくて中京大学附属中京高校に入学しました。スポーツの強豪校なので、いろいろな部活を応援していました。

 甲子園のスタンドで野球部の応援もしましたよ。2009年、私の高校は新潟県代表の日本文理と決勝を戦って優勝しました。当時の中京大中京には、現在広島カープの堂林(翔太)選手たちがいました。

ーーSKEの仕事で鈴鹿サーキットを訪れなかったら、そのままアイドルを続けていた可能性もありますか?

梅本 そうかもしれません。大学時代に、学割があるうちにと思って、自動二輪とオートマチック限定の免許を取りましたが、グループにいた時は(規則で)乗れなかったですし、クルマやモータースポーツとは無縁だったはずです。

 免許を取った後に、劇場で「取りました!」とファンの方に報告したら、(スタッフに)裏に呼び出されて、「何を言っているんだ。乗っちゃダメだぞ!」って怒られて(笑)。だからグループを卒業したら、絶対にクルマかバイクを買おうと考えていました。

 実際に卒業後、それまでの貯金を全部はたいてホンダのCB400スーパーフォアを購入しました。それから、事務所の方が「(モータースポーツが)そんなに好きなら、関連の仕事も探してみよう」と言ってもらえて、現在のバイク雑誌のコラムやレポート記事の仕事につながっていきました。

ーー2016年にSKEを卒業し、その後はアイドルではなくモータースポーツの世界へ本格的に進もうと思ったのはどうしてですか?

梅本 やっぱりクルマやバイクの免許も取っても、ずっと乗れなかったり、レースにも行けなかったりで、「好きなことしたい!」という思いがずっとありました。一方で踊ることも好きだったので、アイドル活動とモータースポーツを天秤にかけたことは何度かありました。

 あと、年齢のこともあります。アイドルはいつか卒業しなければなりません。卒業する頃には、オリンピックやパラリンピックの選手に話を聞いて、競技を紹介するような仕事をいただいたり、地元のサッカーチーム名古屋グランパスのテレビ番組でMCをしたりしていたので、伝える仕事をやっていきたいと思いました。いろんな人の話を聞いて、伝えるのが好きなんです。

 その時、F1の雑誌の仕事もしていましたが、グループをやめると何もできなくなっちゃうのかな、という不安がありました。でも雑誌の担当の方が「卒業したらもっといろいろやろうよ」と言ってくれて。自分がやってみたかったことをいろいろと提案し、クルマやバイクでサーキットのタイムアタックをさせてもらったり、レースをサポートしたり、どんどん活動の場が増えていきました!

ーーしかし、モータースポーツを「見る側」から「やる側」になると、また違った一面が見えてくるのではないですか?

梅本 そうですね。競技をするのは楽しいですが、それだけではありませんね。モータースポーツの裏側では、多くの人や企業が関わり、たくさんのお金、人、モノが動いています。お金が絡んだ複雑な人間関係などもあって、いろんなことが起こります。まさに世の中の仕組みがすべて凝縮されていると言っていいと思います。私も最近、モータースポーツ界の「しがらみ」というものを初めて体験しました(笑)。その時にドライバーの皆さんは大変なんだと実感しましたが、だからこそ面白いんですよね。

 例えば、お金やいいクルマを持っているドライバーやチームが強いですし、力関係がはっきりとしています。それでも全力で頑張っていると、時々、思わぬ大逆転があります。それに、お金があるからといって怠けていたらあっという間に落ちていくのがモータースポーツの世界。強いチームの選手はそういったプレッシャーとも戦いながら、コース上ではリアルな勝負を繰り広げます。その生々しいところが面白いですね。

ーーついに、ファンの時には知ることのなかったモータースポーツの世界に一歩足を踏みいれたんですね。

梅本 「これがモータースポーツか!」という感じで。大変なこともありますが、知ることができて面白かったですし、いい経験になりました。

(後編へつづく)

【profile】 
梅本まどか うめもと・まどか 
1992年7月17日、愛知県生まれ。2010年にSKE48の第4期生としてデビュー。16年に卒業し、現在は地元の名古屋を拠点にタレント活動をしながら、バイクや自動車のメディアを中心に活躍。ラリーには18年、「TOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジ」にてコ・ドライバーとして出場し、参戦初年度にC-1クラスでチャンピオンに輝く。19年から、国内最高峰の全日本ラリー選手権にドライバーの板倉麻美とのコンビで参戦中。