12月4日、日本陸上選手権大会・長距離種目。女子1万mに出場した新谷仁美(積水化学)は、02年に渋井陽子(三井住友海上)が記録した30分48秒89の日本記録を更新した。 1周400mを73秒で走って最後まで押し切ることが条件だったが、チー…
12月4日、日本陸上選手権大会・長距離種目。女子1万mに出場した新谷仁美(積水化学)は、02年に渋井陽子(三井住友海上)が記録した30分48秒89の日本記録を更新した。
1周400mを73秒で走って最後まで押し切ることが条件だったが、チームメイトの佐藤早也伽がスタートから引っ張ってくれたおかげで、最初の1周を72秒で入ると、そこから2000mまでを73~74秒で走った。新谷は佐藤にこう感謝した。
圧倒的な強さを見せて東京五輪内定を決めた新谷仁美
「彼女がイーブンペースで引っ張ってくれたおかげで後半もタイムが大きく落ちることはなかったです。彼女の引っ張るという心意気が私にとっては貴重だったし、力になりました」
2000mの手前から先頭に立った新谷は、ペースを71秒台に上げて後続を一気に引き離した。ついてきた一山麻緒(ワコール)も2900mまでで、その後は独走状態を維持した。一山以外を周回遅れにする圧倒的な走りを見せて30分20秒44でゴールすると、大幅な記録更新とともに東京五輪代表内定を決めた。
そんな新谷は今から6年前の2014年1月、自らの陸上人生に一度終止符を打っている。引退会見では、「今後、陸上に関わっていくかは白紙」と話すほど、関わりを断つ考えを持っていた。
引退の理由としては、2013年世界選手権の1万mで、日本歴代3位(30分56秒70)となるタイムで走りながらも、5位とメダルには届かず気持ちが切れてしまったことが挙げられた。それに加え、右足足底筋膜炎の悪化も引き金となった。
引退する前の新谷は、「走るのは嫌い」など、陸上選手らしからぬ発言に注目が集まることもしばしばあった。だが、その発言の裏には「注目してもらいたい。観ている人に陸上に興味を持ってもらいたい」という思いがあった。
その思いのとおり、陸上とはまっすぐ向き合っていた。
2012年ロンドン五輪で出場した1万mでは、序盤から福士加代子(ワコール)、吉川美香(パナソニック)とともに日本勢3人で先頭を引っ張り、30分59秒19の自己新記録で、入賞まであと一歩の9位になったが、それでも満足できなかった。
「一般の人から見たら、『結局9位でしょ』ということで注目されないから、仕事はできていないと思います。世間の目を引くのはきれいごとじゃなくて順位なんだなと思いました」
また、トラックにこだわる理由も独特で、「私はけっこう牙を剥く性格だし、売られたケンカは買ってしまうタイプ。『そう思っているんだったら見返してやるぞ!』みたいなところがあります」と、勝気すぎる性格から注目が集まりやすいマラソンではなく、トラックを選んでいると話していた。
そんな彼女が25歳の若さで引退したことは、当時かなりの衝撃だった。
ところが、3年後の2017年の夏には陸上界に戻ることを決め、18年6月から競技に復帰。楽しいはずだと思っていた一般人の生活は想像よりも面白さがなく、デスクワークもつらかったという。
その生活で気づいたのが、「走ることは自分の特技であり、その方が自分に合っているし、生きていることを実感できる」ということだった。
陸上界に戻ってきた新谷は、自分に対する厳しさが増していた。2019年4月のアジア選手権の1万mで2位になった時に出てきた言葉も、メダル獲得を喜ぶのではなく自分を卑下する言葉だけだった。
「(優勝した選手に)後ろにつかれた焦りもあって75秒でしか(トラックを)回れず、相手のいいペースメーカーになってしまった。途中から独走態勢になれると勝手にイメージしていたのが敗因だと思います。1位しか許されないと考えて臨んだ大会だったので、悔しいというよりタイムも順位も話にならない結果」
さらにその5カ月後に同じドーハで開催された世界選手権では、ラスト2周まで入賞圏内で粘りながらも、ペースアップしてきた後続集団に飲み込まれて11位という結果で終わってしまった。
その後、横田真人コーチとの話し合いで、それまで自分で作っていた練習メニューやトレーニング計画を、コーチに立ててもらうことになった。それが彼女の変化のきっかけになったという。
「レースで結果を出すのが私の仕事で、それ以外のことは横田コーチやクラブのスタッフが管理してサポートしてくれることで、自分の気持ちが解放されました。以前は自分だけで考えていて信頼できる人がいなかったのが、今はサポートしてくれている人たちのすべてが信頼、信用できるので、そのありがたさを改めて感じました」
自分を信じて進むことは大切だが、人に頼っていいことに久しぶりに気がついた。
横田コーチが組む練習内容に関しても、「自分でやっていたころよりは量も質もボリュームアップしている」と話す。
元々は800m走の選手だった横田コーチの指導の中で長い距離の持久力も、スピード持久力も向上してきた。それが最初の結果となって現れたのが、今年1月のハーフマラソン1時間06分38秒の日本記録樹立だった。さらに9月には5000mで日本歴代2位の記録も出し、満を持して臨んだのがこの12月の大会だった。
今回のタイムは昨年の世界ランキングでは2位に相当し、昨年までの世界歴代の記録では22位ながら、2010年代以降なら8位になる好タイムだ。だが世界大会のメダル争いとなれば、強烈なラストスパート合戦となる。それは新谷も承知のことだ。
「世界大会になれば、強い選手たちはタイムより勝負を仕掛けてくる。そういう急激な変化のあるレースに対応するには、まずはタイムで追いつかなければいけないので日本記録更新は必須だと考えていました。その点では第1段階はクリアできました。ただ、世界は29分台なので私の300m先に優勝者がいる状況。これからその位置で戦えるようにしていかなければいけないと思います」
ただ、新しいシューズの影響もあり、世界も進化している。その中でどこまでライバルを振り落とせるスピードで走り切ることができるか。それがプロとしての強い意識を持つ、彼女が目指していくものになる。信頼できる人たちとともに新谷はこの大会で、その可能性をしっかり見せてくれた。