サッカースターの技術・戦術解剖第36回 ハリー・ケイン<カウンターでパスを供給する偽9番> マルコ・ファン・バステン(1980年代~90年代頭に、ミランやオランダ代表で活躍)が3度目のバロンドールを受賞した時、ヨハン・クライフ (70年代に…

サッカースターの技術・戦術解剖
第36回 ハリー・ケイン

<カウンターでパスを供給する偽9番>

 マルコ・ファン・バステン(1980年代~90年代頭に、ミランやオランダ代表で活躍)が3度目のバロンドールを受賞した時、ヨハン・クライフ (70年代にアヤックス、バルセロナ、オランダ代表で活躍。監督でも数々のタイトルを獲得)は「これから少し下がったポジションで第二のピークを迎えるだろう」ということを言っていた。



トッテナムで新境地のプレーを見せている、ハリー・ケイン

 だが、ファン・バステンはカカトのケガが治らず、度重なる手術に嫌気が差して29歳で引退してしまった。FIFA(国際サッカー連盟)が背後からのタックルに厳しく対処するように通達を出したのは、ファン・バステンを引退させてしまった状況を変えなければならないと痛感したからだ。

 我々はファン・バステンの第二幕を見ることはできなかったが、おそらくこんな感じだったのではないかというプレーを目にしている。ハリー・ケイン(イングランド)だ。

 どこからどう見ても万能型の本格派センターフォワード(CF)だったケインは、なぜかトッテナムで「偽CF」になっている。

 プレミアリーグで首位に立っている今季のスパーズ(トッテナムの愛称)は、ジョゼ・モウリーニョ監督が少し変わった戦い方をしている。大きく変化したわけではないが、かなり決定的な変化だろう。

 ディフェンスラインがペナルティーエリアのすぐ手前まで後退した時、ボランチのピエール=エミル・ホイビュルク、ムサ・シソコがセンターバックとサイドバック(SB)のスペースを埋めるのだ。

 ふたりとも下がってしまう時、ボールサイドのボランチだけ下がる時があるが、いずれにしろ相手が使いたいハーフスペース(サイドと中央の中間)をあらかじめ埋めている。そのためスパーズの4バックは、この引いた段階では、5バックもしくは6バックになっている。

 MFがDFラインに吸収されてしまうのは、昔から悪手と言われていた。いかにラインを密にしようと、その手前が開いてしまうからだ。

 しかし、もちろんモウリーニョ監督に抜け目はなく、DFライン手前のスペースには、4-2-3-1のトップ下で起用されているタンギ・エンドンベレがしっかり引いてくる。エンドンベレはもともとボランチの選手なので、守備力は確かだ。エンドンベレとホイビュルクまたはシソコでバイタルエリアを守る。これで足りなければCFのケインも加わる。

 一方、サイドハーフのソン・フンミンとステーフェン・ベルフワインはそれほど引いてこない。彼らも数が足りなければ引くけれども、サイドのスペースはすでにSBとボランチのふたりで埋めているので、引く必要がそれほどないのだ。

 かくして、相手ボールに対して「バス」が横付けに駐車されるわけだが、そこからのカウンターアタックには切れ味がある。ボールを奪うや、ソンとベルフワインが快足を飛ばして相手DFの背後を狙う。

 そこへ正確なパスを供給するのが、CFのはずのケインである。

<まだまだ進化する万能型CF>

 いわゆるファルソ・ヌエベ(偽9番)が、いつも本当に「偽」とはかぎらない。

 元祖ファルソ・ヌエベのアドルフォ・ペデルネラから、役割を受け継いだアルフレッド・ディ・ステファノは、9番としても強力だった。

 ペデルネラは元インサイドFWで、ディ・ステファノは元ウイング。たしかにそれぞれの出自はCFではないが、ディ・ステファノの場合は得点力が図抜けていて、さらにプレーメーカーとしても抜群という、才能があり余っているタイプだった。

※アドルフォ・ペデルネラ...1940年代にアルゼンチンのリバープレートで活躍。
※アルフレッド・ディ・ステファノ...アルゼンチン出身。50~60年代のレアル・マドリードで活躍

 ファン・バステンにファルソ・ヌエベを勧めていたクライフは、「ディ・ステファノの再来」と呼ばれた万能アタッカーである。クライフのあとは、フランチェスコ・トッティ(イタリア代表、ローマで活躍)が偽9番を復活させた。そのあとは、この役割を別次元にしたリオネル・メッシがいる。

 ハリー・ケインはメッシ以前のファルソ・ヌエベに近い。トッティと似た「追い越されるCF」だ。

 疾走するウイングを追って、相手のDFは下がる。その時、ケインはウイングと一緒には走らない。下がる相手DFと、下がり切れない相手MFの間にすっぽりと収まり、そこでボールを中継してウイングの鼻先へ球足の長いパスを供給する。

 ディ・ステファノとほぼ同時代、1950年代に隆盛を誇ったハンガリーでCFだったナンドール・ヒデグチが、ケインにいちばん似ているかもしれない。疾走するインナー、フェレンツ・プスカシュとサンドロ・コチシュへ、カーブやバックスピンの利いたパスを供給していた。

 ただ、ヒデグチもオリジナルポジションはインナーだ。トッティも純粋なCFではなく、クライフやディ・ステファノ、あるいはミカエル・ラウドルップ(デンマーク/80~90年代にユベントスやバルセロナ、レアル・マドリードで活躍)もそうだった。現在偽9番として活躍しているリバプールのロベルト・フィルミーノも、ブンデスリーガにいたころはMFだった。

 その点で、ケインのように本格派CFでこの役割をこなした選手は見当たらない。

 もし、ファン・バステンが30歳を前に引退していなかったら、現在のケインと同じケースになっていたはずだった。

 CFとしてのケインは、CFのファン・バステンとよく似ている。長身でスピードもあり、リーチが長く、それでいてボールテクニックも抜群にうまい。ポストワーク、空中戦、ドリブルシュートと何でもござれの万能型CF。このふたりにCFとして足りないものは何もない。

 むしろCFで収まり切らないものを持っている。ファン・バステンが発揮せずに終わってしまった幻のプレーを今、ケインが見せてくれている気がする。

 ケインとソンのホットラインは、おそらく現在世界最高のコンビだろう。ケインとソンがいるから、モウリーニョ監督は守備面で図々しくも大型バスをペナルティーエリアの入り口に停められるのだ。

 7歳でアーセナルの育成チームに入ったケインだが、本人も家族もスパーズのファンだったそうだ。スパーズのファンがアーセナルでは、さぞ居心地が悪かったに違いない。11歳で念願かなってスパーズのユースチームに転籍している。

 少年時代のケインは背も高くなく、足も速くなかった。ポジションもMFだった。その後、急に背が伸びたがヘディングは下手だったという。ただ、小さい選手として身に着けたテクニック、周囲を見る習慣、頭脳的なプレーが基礎になっているのは、現在のケインを見ればわかる。力任せのプレーがない。

 やがてヘディングも武器になった。FWにコンバートされ、万能型のCFになったわけだが、万能なのに完成している感じがない。それは新境地を拓いた現在も同じだ。これまでそうだったように、まだ進化しそうな気配がある。ほぼ完璧なのに完成していないのが、ケインの凄みである。