『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(6) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(6) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2019年のスケートカナダSP演技の羽生結弦

 2019ー20シーズン、当初、大技・4回転アクセルへの意欲を口にしていた羽生結弦だが、スケートカナダ直前には構成に「迷いがあった」との心境を吐露していた。

 初戦のオータムクラシックのフリーで演技構成点が思うように伸びず、それまでこだわってきた難しいつなぎをしながら、ジャンプを跳ぶことに疑問を覚えたからだ。つなぎの複雑な動きを外そうかとも考えたという。ジャンプの確率を上げるためにはスピードを少し落とし、しっかり体勢を整えて跳ぶほうが明らかに成功する確率が上がるからだ。

 だが、スケートアメリカで3連覇を果たしたネイサン・チェン(アメリカ)の演技を見て、こう感じたという。

「自分はやっぱり彼(チェン)のようなタイプではない。もちろん、彼にはない武器は持っている。だからこそ、難度の高いジャンプに挑戦しなければと焦るより、自分の演技をしなければいけない」

 さらにこう続けた。

「これまでは現実のネイサン選手ではなく、自分が幻想化した彼と戦っていたのではないかとも思った」



スケートカナダのフリーを滑る羽生

 そうして強く意識するようになったのは、ジャンプ単体の難度向上ではなく、プログラムの一部としての前後の難しいつなぎも含めたジャンプだ。やはり、それこそが羽生結弦らしさではないか、と。

 そして臨んだスケートカナダは、ショートプログラム(SP)をノーミスで発進すると、フリーでも自己ベストを更新。チェンの世界最高得点に0.83点まで迫る322.59点を記録し、4度目の同大会挑戦で初優勝を果たした。

 フリーの翌日、羽生はその心境を語った。

「320点超えは、エレメンツがひとつ多かったヘルシンキの世界選手権(2016−17シーズン)以来で、本当に久しぶりだからうれしいです。ただ実際まだグランプリ(GP)シリーズ初戦なので、まだまだ気を引き締めなければと思っています。

 今回の試合で、自分がやってきたことが少し肯定されたように感じました。オータムクラシックで点数が出なくて悔しかったのはもちろんあるし、スケートカナダはずっと苦戦していましたから。今回は僕の滑りを演技としてしっかり評価していただけたのはちょっとホッとしたというか、やっていることに間違いはないんだ、と。あとは、勝ち続けるために何が必要かということを、常にすり合わせながら練習をしていきたいです」

 羽生は、初戦のオータムクラシックからスケートカナダまでの迷いも口にした。

「自分がやってきている道が本当に正しいのか、ということで少し迷っていたんです。(複雑なつなぎをやめて)静止状態からジャンプを跳ぶことが、果たして正しいジャンプなのかどうなのか......。例えば、ステップから跳んだジャンプだったり、ジャンプの後にステップをやったりとか、そういうものが全部評価されているのか、とか。

 そういったことを一番重視してやってきていたし、そこが自分の武器だとも思っていたので、今回、評価していただけたのは自信になりました。その道を進んだ上で、4回転ルッツや4回転アクセルなどの難しいことをしていかなければいけないという確信になりました」

 ジャンプのGOE(出来栄え点)評価では、跳ぶ前の滑りや、跳んだ後の難しい動作も評価の対象になっている。しかし、どこまで評価されているかは、疑問を感じることも事実だった。余分な動きをせずに、ジッと構えてから跳んだジャンプでも、高い評価をされる場合もあるからだ。

 そんな中で羽生は、ジャッジの評価がより高難度のジャンプに寄ってきている傾向があるように感じていた。自分自身も、それに合わせなければいけないという感覚になって練習をしていたともいう。4回転アクセルや4回転ルッツへの挑戦もそうだった。

 だがこのスケートカナダで、4回転はループとサルコウ、トーループの3種類のみの構成で320点台を出せたことで、その流れに少しでも「歯止めをかけられたのかもしれない」と、羽生は話した。また、それは他のスケーターたちの「健康状態にも影響することではないか」とも語った。

「4回転ルッツが本当に難しいのかと言われれば、やろうと思えば皆跳べるかもしれないけれど、そこはもうタイプによりけりです。やっぱり、それぞれのスケーターの個性があり、それが評価される採点システムになった。それが、徐々に高難度のジャンプに傾倒していって、演技構成点との比率が合わなくなってきているのかなと思っています。

 でも、曲と合えばジャンプ自体も表現のひとつだということが今回は見せられたと思うんです。そこは非常によかった。特に後半の4回転トーループ+1オイラー+3回転フリップは、しっかり音に合わせた状態で難しいことをやった。ジャンプでも表現できるのは自分の武器。それを評価してもらえるということを、ちょっとでも出せたんじゃないか」

 羽生の得点は、新ルールでは前年の世界選手権でチェンが出した世界歴代最高得点にわずかに及ばなかった。だが、「(スケートカナダは)ノーミスではないので、あと3〜4点はジャンプだけで上げられますし、伸びしろはある」と羽生はさらなるレベルアップに意欲的だった。

 この大会エキシビションのフィナーレ後のジャンプ合戦で羽生は、4回転サルコウに挑戦。一度は転倒したものの、再度挑戦して成功。さらにオイラーを付ける4回転サルコウの連続ジャンプにも挑んだ。そのサルコウも転んだが、直後に浮かべた笑みはうれしさに満ちていた。

 羽生結弦のジャンプに込める思いを見た大会だった。

*2019年10月配信記事「スケートカナダ圧勝の羽生結弦。ジャンプに込められていた今の心境」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。