"モンスター"のラスベガスデビューは大成功に終わった。 現地時間10月31日、ラスベガスのMGMグランドガーデン内カンファレンス・センターで行なわれたWBA、IBF世界バンタム級タイトル戦。王者・井上尚弥(大橋ジム)は、ジェイソン・マロニー…

"モンスター"のラスベガスデビューは大成功に終わった。

 現地時間10月31日、ラスベガスのMGMグランドガーデン内カンファレンス・センターで行なわれたWBA、IBF世界バンタム級タイトル戦。王者・井上尚弥(大橋ジム)は、ジェイソン・マロニー(オーストラリア)に7回2分59秒でKO勝ちした。実力者のマロニーをまったく寄せつけず、6回、7回にビューティフルな左右のカウンターでダウンを奪っての完勝だった。



ラスベガスデビューとなった防衛戦を7回KO勝ちで飾った井上

 これまで日本以外の国では、井上の試合はYouTube で見られることが多かったため"YouTubeセンセーション"という呼称が相応しかったかもしれない。しかし今回の試合が、動画配信サービス『ESPN+』で全米に生配信されたことで、力量をアピールすることに成功。世界的な評価、知名度はさらに上がるはずだ。

 圧倒的な強さを見せつけられただけに、アメリカ主要媒体での「パウンド・フォー・パウンド(以下、PFP)」ランキングの行方が気になった日本のファンも多いかもしれない。

"全階級で最強のボクサー"を決めるこのランキングは、トップ10の常連になった井上のおかげで日本でもすっかりおなじみになった。マロニー戦の前まで、日本が誇る3階級王者は老舗『リングマガジン』のPFPランキングで2位。世界トップ3に入るだけでも快挙だが、井上は1位が狙えるだけのボクサーである。

 結論を先に書くと、マロニー戦で圧勝したあとも井上は2位のままで、まだ頂点には到達していない。

 筆者は昨秋以降、『リングマガジン』のランキング選考委員を務めている。井上の防衛戦のあとに行なわれたパネリスト間での議論は、レオ・サンタクルス(メキシコ)に6回KO 勝ちしたジャーボンテイ・デービス(アメリカ)をトップ10に入れるかどうかであり、井上の首位浮上は話題にはならなかった。

 米最王手のプロモーション会社、トップランク社との契約初戦でもあったマロニー戦は、井上の"お披露目ファイト"の趣がある試合だった。PFPの評価は、見かけ上の戦力に加え、レジュメ(戦歴)、最近の対戦相手の質なども問われる。絶対有利が予想された一戦で井上が圧勝しても、『リングマガジン』が1位に据えるサウル・"カネロ"・アルバレス(メキシコ)を凌駕するだけの評価を与えるのは難しかったということだろう。

 ただ、パネリストたちの間でも日本のモンスターが大人気であることは付け加えておきたい。ランキングの上下は議論の対象にはならなかったが、グループメールによる話し合いの中で井上への熱い想いを語ったメンバーは少なくなかった。

「私は1年以上も前から『井上が世界最高の選手だ』と言い続けている。もちろん彼をパウンド・フォー・パウンド1位に推したいが、まだ他の選考委員からはカネロを押し除けるだけの支持は得られないのだろう。ただ、私は我慢強いんだ!」(アダム・アブラモビッツ記者【アメリカ】)

「井上は世界中でもっとも好きな選手。現状、カネロの戦歴を飛び越えるには至らないが、その日が来るのを祈っている。井上(の強さ)は現実離れしているよ」(トム・グレイ記者【イギリス】)
 
「私の中では井上が1位だが、まだ戦績でカネロに劣っている。なぜなら、ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)戦でのカネロの負けがドローとして記録されているからだ(笑)」(マーティン・マルカヒー記者【アメリカ】)
 
 こういった意見は、軽量級とは思えない豪快KOで魅せるバンタム級王者の魅力が、軽々と国境を越えて人々の心を掴んでいることを物語っている。同時に、井上が1位に迫っていることも実感したが、PFP ランキングでトップに立つために必要なものは何なのか。

 上記の意見でも明白なとおり、4階級で活躍してきたカネロの戦歴は多くの選者から支持を受けている。2018年9月にゴロフキンに初黒星をつけ、昨年5月にはダニエル・ジェイコブス(アメリカ)、11月にはセルゲイ・コバレフ(ロシア)といったビッグネームを連破した。

 2018年にドーピングで出場停止処分を受けたこと、ビッグファイトでは微妙な判定での勝利が多いといったマイナス材料もあり、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい選手ではある。それでも、これだけ質の高い相手と戦い続けていることを無視するのは難しい。

 それに比べ、井上がこれまでに下した中で世界的なビッグネームと呼べるのは、ノニト・ドネア(フィリピン)、オマール・ナルバエス(アルゼンチン)くらい。いわゆる"Eye Test(表層の能力評価)"では最高級だとしても、現状での戦歴ではカネロに劣っているとみなされるのは仕方あるまい。順位をひっくり返すために、井上にできるのは強敵を相手に戦い続けることだろう。

「井上にはWBO王者ジョンリエル・カシメロ(フィリピン)、WBC王者ノルディーヌ・ウバーリ(フランス)対ドネアの勝者と対戦してほしい。彼がバンタム級を統一するのを見てみたいし、そうなればパウンド・フォー・パウンドのNo.1になるかもしれない」

 そんな『リングマガジン』のダグラス・フィッシャー編集長の指摘どおり、バンタム級の統一戦路線を完遂することは強烈なアピールになる。今後、井上の試合がすべてESPN系列で全米中継されるのも大きい。そこでも圧倒的な形で勝ち進めば、世界の頂(いただき)への道筋が見えてくる。

 また、今後のカネロの戦いぶり次第で井上が浮上する線もある。11月6日、ゴールデンボーイ・プロモーションズとの別離を発表したカネロは、ミドル級を卒業してスーパーミドル級以上で戦うことになりそう。昨秋にはキャリア晩年のライトヘビー級王者・コバレフにKO勝ちしたとはいえ、スーパーミドル級、ライトヘビー級で戦い続ければ、サイズで上回る相手に苦戦する試合も増えてくるだろう。

 12月19日の対戦が有力視されているIBF世界スーパーミドル級王者ケイレブ・プラント(アメリカ)は、体格、身体能力、IQに秀でた好選手であり、メキシコの雄が苦しむ可能性も十分。そうなった場合、カネロのPFP評価は下落し、井上が年内にも1位に浮上する可能性が膨らんでくる。

 もちろん、こういった主観のランキングは"生き物"であり、状況が変わることもある。『リングマガジン』のPFPランキング3位のWBO世界ウェルター級王者テレンス・クロフォード(アメリカ)が、11月14日のケル・ブルック(イギリス)との防衛戦で完璧な試合をすれば、浮上が考慮されるかもしれない。また、同5位にランクされ、12月5日にダニー・ガルシア(アメリカ)とのビッグファイトを控えるWBC、IBF世界ウェルター級王者エロール・スペンス・ジュニア(アメリカ)にも似たようなことが言える。

 それでも現時点ではっきり言えるのは、日本のモンスターの実力が世界の関係者から認められ、日本人として前人未到のPFPランキング1位に肉薄しているということ。"世界最高のボクサー"という夢のような称号は、本当に手の届くところにある。

 そんな背景のおかげで、私たちはカネロ、クロフォード、スペンスといったトップファイターたちの試合を、これまでと違った目で見ることも可能になっている。井上という怪物は、日本のファンに新しい世界ボクシングの楽しみ方をプレゼントしてくれた。