『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(5) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(5) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 



2017年のロステレコム杯フリー演技をする羽生結弦

 羽生結弦は、平昌五輪プレシーズンとなる2016ー17シーズン最終戦時点では、3種類の4回転ジャンプを合計5本入れる構成への手ごたえを感じていた。ただ同時に、迷いも口にしており、それは4回転を5本入れると、構成上、武器と自認するトリプルアクセルを複数回跳ぶことができなくなるからだった。

 しかし、連覇を狙う平昌五輪シーズン直前の17年8月の公開練習で挑戦を表明。フリーに4回転5本を入れ、そのうち後半にサルコウとトーループの連続ジャンプを含めた3本とする高難度の構成だ。ショートプログラム(SP)は後半にトリプルアクセルと4回転トーループ+3回転トーループを入れる構成とした。曲は、SPが「バラード第1番ト短調」、フリーが「SEIMEI」で、ともに再演することにした。

 シーズン初戦のオータムクラシックは、10日前に右膝を痛めた影響もありプログラムを一部変更。それでもSPは冒頭に入れた4回転サルコウと後半のトリプルアクセルでGOE(出来栄え点)満点の3点。最後の4回転トーループ+3回転トーループでも2.8点評価の完璧な滑りで、自身のもつ世界最高得点(当時)を更新する112.72点を獲得した。

 4回転ループを封印したフリーは、冒頭からルッツ、ループ、フリップの3回転を続け、後半に4回転3本の連続ジャンプと2本のトリプルアクセルを入れる構成にした。本番では後半のジャンプを意識するあまり、ミスを連発する結果となった。



ロステレコム杯演技後の羽生

 羽生はオータムクラシックでのフリーの構成について、こう説明した。

「後半でトリプルアクセル2本を跳びたいのが(この構成になった)理由です。やっぱり、プログラム後半で4回転を3本やり、トリプルアクセルも2本というのが今の自分の中で一番難度が高い構成。それも夏の段階で練習をしていたので、しっかりやれると思いました」

 それは、冒頭に大技の4回転ルッツを入れることも視野に入れ、後半のトリプルアクセルを2本にするという高いレベルの挑戦に向けた構成だった。そして、グランプリ(GP)シリーズ初戦ロシア大会のロステレコム杯では、大技の4回転ルッツに初めて挑戦したのだ。

 公式練習での羽生の4回転ルッツは、それ以前に3回転ルッツが不調だった時のような回転軸が斜めになる傾向が見えて不安を感じさせたが、曲かけ練習では尻が落ちる着氷ながらも耐えていた。

 そして本番は軸の方向を修正したジャンプを見せ、着氷でやや姿勢が崩れたもののGOE(出来栄え点)1.14点をもらい見事に成功した。

 次の4回転ループは踏み切りにズレが出て3回転になってしまうミスがあったが、続く3回転フリップはしっかり決め、ステップシークエンスは冷静さの目立つ滑りをして立て直したかに見えた。

 だが、後半最初のジャンプの4回転サルコウは重心が落ちる着氷で連続ジャンプにできなかった。そこから滑りのスピードが落ち、4回転トーループはパンクをして2回転となった。

 公式練習での出来から、ルッツ以外はそうそうミスをしないはずと思われた4回転ジャンプでの失敗だった。それについて、演技後に羽生は苦笑しながらこのように話した。

「ループに関しては、やはりルッツとの兼ね合いがうまく取れていなかったです。集中の塩梅というか、うまく調整しなければいけないなと思いました。もちろん4回転ルッツを跳べるようになって、4回転ループの確率は格段に上がりました。僕の場合、難易度順に近い形で徐々にステップアップしていくタイプなので。ただ、難しいジャンプにばかり手をつけていると、他のジャンプにちょっと影響が出てしまうこともあります」

 羽生は、「4回転ジャンプの跳び方はそれぞれ違い、すべてを跳び分けている」という。踏み切る瞬間に力を入れる部分や、ジャンプに入るまでの体や心の準備、タイミングの取り方などはすべて別のものになっているようだ。だからこそ、いろいろなジャンプに同時に手をつけていると、少し混乱することもある。

「コントロールの仕方がまだまだだと思います。ここまで一つ一つクリアしてきたわけですが、僕は少しずつしか成長できないのだと思います。オータムクラシックのようにある程度簡単な構成でやった試合と、今回のようにほぼ全力の構成の試合を比較してみると、総合得点は今回のほうがいいですが、ショートは前回のほうがいい。『ショートを前(オータムクラシック)の構成にして、フリーは今回の構成にすればいいのでは?』と思う人もいるかもしれないですけど......。ただ、僕はいろんなことに挑みながら、緊張して、本当に脚がグタグタになるまで滑ることができる幸福を感じながら今回の試合をやっていたんです」

 羽生はそうした苦しい状態から、フリーの終盤は「絶対的な自信をもっている」と話していた4回転トーループとトリプルアクセルで立て直した。トーループには、4回転サルコウでつけられなかった3回転トーループを合わせて連続ジャンプにした。トリプルアクセルには両手を上げる2回転トーループをつけてGOE加点1.86点。最後のトリプルアクセルもきっちり決め、2つのスピンはともにレベル4。コリオシークエンスはジャッジ9人中8人がGOE満点をつけた。

 フリーの得点は、195.92点。結果は、ルッツを含めて4本の4回転ジャンプを成功させたネイサン・チェン(アメリカ)が、合計293.79点で優勝。羽生は3.02点差で2位となったが、フリーでは1位となり意地を見せた。

「やっぱり(4回転)ルッツを入れてやるのは大変だと思いました。今回は全体的に、この構成での滑り込みがまだまだやり切れていないという感触がすごくありました。フリーに関していえば、4回転が2本抜けた上に、コンビネーションも2回だけと、大きなミスをしました。それにも関わらず(フリーで)1位を取れたのは、やっぱり(4回転)ルッツがあったからだと思っています。ミスが多かったショートの結果が最終的には響いてしまったし、もったいなかったです」

 SPは、前シーズンに、プログラム前半に入れていた4回転からの連続ジャンプを後半に組み込んだが、4回転ループも含めてほぼ変わらない構成のため、「成長できていない自分が悔しい」と羽生は話した。

 一方、フリーはこのシーズンから4回転ルッツを入れた構成で、気持ちのもち用や集中の仕方、バランスの取り方など、まだまだ手探り状態のように見えた。それを聞いてみると羽生は「それが羽生なんです。すみません」と笑い、「もっともっと練習を積み重ねる必要を感じました」と、次へ向けての決意を口にした。

 羽生の果敢な挑戦は、次戦のNHK杯で重大なケガを引き起こす要因になり、平昌五輪へ向けて追い込まれることになった。だが、もしここで4回転ルッツに挑んでいなければ、たとえ無事に五輪連覇を果たしたとしても、羽生自身に納得できない気持ちが残っただろう。「今できる限りの最高を目指す」ことが、羽生結弦の姿勢だからだ。

*2017年10月配信記事「羽生結弦、勝てなくても『足がグタグタになるまで滑る幸福を感じる』」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。