速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 第2回 いとうりな 前編 レースクイーンからドライバーに転身したいとうりな近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ…

速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 
第2回 いとうりな 前編 



レースクイーンからドライバーに転身したいとうりな

近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ始めた。いまだ男性中心の競技ではあるが、サーキットレース、ラリー、ドリフトなどで活躍する女性ドライバーは増加傾向だ。そこで、国内外のさまざまなカテゴリーで挑戦を続ける日本の女性ドライバーにインタビューした。 
第2回は、ラリードライバーのいとうりな。いとうは、11月に国内で世界ラリー選手権(WRC)『ラリージャパン2020』に出場するはずだったが、コロナ禍で中止に。彼女にとって夢だったWRC出場は来年以降に持ち越しとなった。それでも、いとうは笑顔で、「次のチャンスがあるはず。絶対にWRCに出たい!」と熱く語った。レースクイーン時代にモータースポーツに興味を持ち、ドライバーに転身した異色のキャリアを持つ彼女にラリーにかける思いを聞いた。

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ーーこの秋、日本で10年ぶりに開催される予定だったラリージャパンが新型コロナの影響で中止となってしまいました。 

いとう コロナによって海外の選手たちが日本に来るのは難しい状況だと聞いていましたので、今年の開催は厳しいかなと、薄々は感じていました。でも、やっぱり中止と聞いた時は残念でしたね。

 マシンは開催が正式に決まってから本格的な準備を進める予定でしたが、装備品はもう完成していました。先日、ラリージャパン用に新しくペイントしたヘルメットが届いたばかりで。 

 ラリーを始めてから、世界ラリー選手権(WRC)にいつか出場することを目標にしていました。いいタイミングで日本でのWRC開催が決まり、「絶対に出たい!」と、準備を進めてきました。ただ、コロナは誰も予想できなかったこと。仕方がありません。気持ちを切り替え、また来年、再来年に夢の実現は持ち越しですね。

ーーWRC参戦はどのようにして決まったのですが? 

いとう 日本のCUSCO RACING(クスコ・レーシング)が全日本ラリーやWRCに参戦する女性ドライバーを募集していて、今年の初めにオーディションがありました。告知を見て、これは受けるしかないと思い、応募しました。

 最初に書類審査があったのですが、すごく多数の募集があったようです。そこから候補が十数人に絞られて、実技テストと面接がありました。私は面接で「とにかく出たい!」と猛アピールし、何とか通過することができました。これまでのラリーの経験値やWRCのような国際ラリーに出場するためのライセンスを取得していることなどを評価してくれたのかなと思っています。 



今年WRCへの出場が決まっていたいとう

ーー元レースクイーンというキャリアですが、モータースポーツに興味持ったきっかけは何だったのですか?

いとう 私はもともと音響関係の専門学校に通っていたので、スタジオやライブ会場の裏方の仕事をやりたかったんです。どちらかというと表に出るのは苦手なタイプで、人見知りでした。でも、学校を卒業するタイミングでモデル事務所にスカウトされ、たまたま紹介があった仕事がレースクイーンでした。

 それで、レースクイーンをしていたチームのスタッフの方たちと、たまたま遊びでレーシングカートを乗りに出かけました。その時に初めてカートに乗って、「気持ちいい!」と感じ、運転時に感じる風やスピード感が心地良かったんです。レースクイーンよりも、走る方がもっと面白そうだと思いました。

ーー「たまたま」が続いて、モータースポーツの道へ進むことになったんですね? 

いとう そうですね。あと、カートに乗った時にチームの方が「初めてのわりには速いね」って褒めてくれました。それで「レーサーもイケるのかな」と思っちゃったんです。すぐ調子に乗ってしまう性格なんです(笑)。その後、レーシングカートのレースに何戦か出たのですが、気持ちよくて、もっと速いクルマに乗りたいという思いがどんどん強くなってきました。

ーーそれまでモータースポーツやクルマとの接点はあったのですか?

いとう それがまったくなかったんです。学生時代を振り返っても中学は美術部、高校は軽音楽部で、スポーツとは縁がありませんでした。高校卒業後に一応マニュアル車の運転免許を取得しましたが、ずっとペーパ−ドライバーでした。でもレースをやりたいと思った時にライセンスが必要だって話になったのですが、当然、マニュアル車に乗っても発進ができない(笑)。そこからのスタートでした。 

 当初はサーキットのレースに出場したかったのですが、ライセンスを取る際に手伝ってくれた人が、ラリー関連のショップの方だったんです。その方が「ラリーをやれば、サーキットなんか簡単だよ」とアドバイスをくれたので、「じゃあ、ラリーをやってみよう!」と軽いノリで決めました。でも、その時はラリーのことはまったく知りませんでしたね(笑)。 

ーー実際にラリーカーを走らせてみて、どんな印象でしたか? 

いとう 峠や山道を走ってみて、すごく面白いと思いました。ただ、ラリーは助手席に座ってコースをナビゲートするコドライバーとペアを組んで戦いますが、最初はコースの状況などを記したペースノート作りが意味不明でした。

 目の前のコーナーを単に思い切り走ればいいんじゃないの、と思っていましたが、ラリーの経験を重ねるうちに、サーキットを周回するレースとは全然違うことがわかってきました。ラリーは主に封鎖された公道を走りますが、すべてのコーナーや路面状況などを覚えることはできないので、ペースノートの情報がないと速く走れません。今では勉強をして、ペースノートも自分で作れるようになりました。

ーーその後、レースクイーンを続けながら、2011年からは国内最高峰の全日本ラリーに参戦し、サーキットのレースにも積極的に出場しています。レースクイーンなどのタレント活動と、ドライバーの仕事を両立させるのは大変ではないですか? 

いとう 私は主に「箱車」といわれるツーリングカーのレースやスーパーGT、スーパー耐久のレースクイーンをしていましたが、「私も出たいなぁ」といつも思っていました(笑)。 

 初めてレースクイーンとしてサーキットに行った時のことは今でも鮮明に覚えています。コスチュームはお腹が出ていて、スカートが短くて、足もめっちゃ出ていました。しかも何台ものカメラを向けられます。そんな経験はこれまでなかったので、びっくりでした。とにかく恥ずかしいというのが一番印象に残っています。

 レースクイーンで大変なのは暑さ、寒さに耐えること。見ている人からすると「なんか涼しそうだね」などと言われますが、夏は全然涼しくないんです。冬も「寒いのに薄着で元気だね」と声をかけられることもありますが、寒いし、ツラかったですね(苦笑)。 

 それでもレースクイーンの仕事は楽しかったです。やっぱり大好きなレースを誰よりも近くで見ることができますから。ドライバーとメカニック、エンジニアがどんな風に会話をしているのか、よく聞いていました。それで、自分がドライバーとして走る時はその話し方を真似したりしていました(笑)。

(後編につづく)

【profile】 
いとうりな 
1986年10月24日生まれ。神奈川県出身。愛称は「りなっち」。学生時代にスカウトされ、グラビアモデルやレースクイーン(RQ)の仕事を始める。F1やスーパーGTなどのトップカテゴリーでRQとして活躍。当時、遊びでやったカートをきっかけにモータースポーツにハマり、11年から全日本ラリーに参戦。20年はまた86やMINIのワンメイクレース、競争女子選手権(KYOJO CUP)などでも幅広く活躍。20年、世界ラリー選手権(WRC)に参戦予定だったがコロナ禍で大会が中止に。来年以降の参戦を目指す。趣味はプラモデル作り。