『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(4) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(4) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 



2016年NHK杯フリー演技の羽生結弦

 羽生結弦は2016ー17シーズンに、4回転ループの採用に踏み切った。その理由のひとつは、負傷した左足甲への負担が少なく、ケガで歩くことも制限されていた時期を含めた2カ月強の休養期間を経て氷上練習を再開した時、最初に跳び始めたのがループだったからだ。

 左つま先を氷に強く突くトーループを1日1回は跳んでいいという許可が出たのは、8月終盤になってからだった。そうした状況下、4回転ジャンプで最初に練習を再開できた4回転ループは、夏場には高い確率で跳べるようになっていた。

 公開練習で羽生が見せた4回転ループと4回転サルコウは、これまで以上に回転が速くなっているようだった。その理由とループに挑戦する意味を羽生はこう語った。

「やっぱりループを練習することで体の締め方が安定してきたのはあるし、軸の作り方が安定してきました。何より、プログラムの中でループが一番難しいジャンプになるので、サルコウが2番目の難度のジャンプという意識になって自信も生まれると思います」



観客に手を振る羽生

 この2016ー17シーズンは、ショートプログラム(SP)では前半に4回転ループと4回転サルコウ+3回転トーループ。フリーは4回転ループに次いで4回転サルコウを跳び、後半に4回転サルコウ+3回転トーループと、4回転トーループ、トリプルアクセルからの連続ジャンプ2本の構成で挑んだ。

 シーズン初戦のオータムクラシックは、SPで世界初の4回転ループを成功。フリーでもループを何とか成功させたが、他のジャンプでミスが出て、悔いの残る結果に終わった。さらにグランプリ(GP)シリーズ初戦のスケートカナダはSP、フリーともに4回転ループはダウングレードと判定され、パトリック・チャン(カナダ)に敗れた。その構成を完成の域に近づけたのは、3戦目のNHK杯だった。

 11月下旬のNHK杯フリー。羽生は、最初の4回転ループを空中で軸が斜めになりながらも成功させた。

「ショートと同じく斜めになってしまいましたが、自信を持ってできたので、それはよかったです。練習でもバンバン決まって、気持ちよく本番に臨めたのはありますし、『ジャンプを跳ぶぞ』という構えではなく、自分にとってはイージーな入り方だったので、安心しながらできたのかなと思います」

 競技前の6分間練習でも、羽生は集中していた。

 最初に3回転ループを跳ぶと、次はトリプルアクセルからの3連続ジャンプをきれいに決めた。続く4回転トーループは転倒したものの、もう一度挑戦して成功させると、4回転サルコウも決め、最後は4回転ループをきっちりと降りた。

 名前をコールされる直前の滑りでも、いつもであればトリプルアクセルを跳ぶところを、この日は3回転ループを2回跳び、最後はサルコウの入りを確認するだけにとどめて、ループの感覚を優先していた。

 羽生には4回転ループへのこだわりがあった。スケートカナダの後、ブライアン・オーサーコーチから「トータルパッケージを大事に」と言われ、話し合ったという。オーサーコーチの目には、4回転ループに集中し過ぎることで、他の要素が犠牲になっているように見えたのだ。

 羽生はその意見に対し、「4回転ループも演技の一部だからまずそれをやりたい」との思いを率直に話した。彼自身、演技を完成させるということは、プログラムに入れたジャンプを、それがどんなに難度の高いものであってもきれいに跳ぶことを不可欠と考えているのだ。

「スケートカナダまではジャンプのためのスケーティングを重視してやっていましたが、そのステップをカナダで達成できたので、スケートとジャンプを一体化するトータルパッケージを作っていこうと(オーサーコーチと)話しました。その話し合いもあって、4年目にしてさらに垣根がない関係になってきたと思いますし、その後の練習の質も内容も良くなったと思います」

 まずは4回転ループを完成させる段階から、次のステップへと進めることができた。だからこそ、NHK杯では4回転ループを決めなければいけないと羽生は考えたのだろう。そのため、彼自身、「4回転ループを跳ぶためにスピード的にはかなり飛ばしていった」と振り返る演技の入りになった。

 ループを決めた後は4回転サルコウもGOE(出来栄え点)加点2.29点をもらい、コンビネーションスピンはスピード感のある回転だった。

 しかし、続くステップはややスピードが勝ってしまう滑りで評価はレベル3に。後半に入ると最初の4回転サルコウで転倒し、その後もトリプルアクセルからの3連続ジャンプでサードのサルコウが2回転になるミスが出て、プログラム全体の流れが少し途切れてしまうような演技になってしまった。

 それでもフリーで197.58点を獲得。トータルは前年のGPファイナル以来の300点超えとなる301.47点で、2位のネイサン・チェン(アメリカ)に30点以上の大差をつける圧勝となった。

「(前季に)300点台を出した時は320点とか330点でその時に比べると301点は低いですが、ショート、フリーともにミスが出たなかでの300点超えですから。今日はスケートをやっていてすごく楽しかった」

 羽生自身がそう語ったとおり、今シーズン、さらに進化したプログラムのレベルの高さと、技術力や表現能力の高さを示す優勝だった。

「今回の300点超えはホッとしました。もちろん、完璧にやらなくてはいけないとか、ショートで100点を超えたから合計で300点を取らなくちゃいけないとか、いろんな思いがありました。4回転ループに関してはもっときれいに跳べますし、他のジャンプもまだまだきれいに跳べるはずですから、伸びしろがある。表現に加え、スケーティングやステップ、スピンも足りないと思います」

 このフリープログラムを作るために選曲や構成を考えた時、「トータルでの表現」を考えたと羽生は言う。その点では「もっともっと演技を突き詰められるし、微妙な呼吸感のようなものまで伝えられるプログラムにできるはず」と意欲をみせた。

「このシーズンのふたつのプログラムを楽しめる余裕が出てきて、お客さんと少しずつコネクトできるようになってきました。それが今回の成果だと思います。その点では、やっとベースができてきたな、と。スケートカナダの時はベースも何もなくて、崩れ落ちてしまったというのがありますから」

 SPでは最初の4回転ループでステップアウトしたが、それ以外はミスのない納得の演技だった。フリーは後半にミスは出たものの、それまで苦しんでいた4回転ループを決めることができた。その意味でも羽生はこのNHK杯でやっと、自分の新しい演技を突き詰めていく準備ができたといえる。

 翌年に迫った18年平昌五輪も視野に入れた羽生結弦の戦いは、ここからまた始まったのだ。

*2016年11月配信記事「次のステップへ。羽生結弦が語る300点超えの優勝よりも重要なもの」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。