サッカースターの技術・戦術解剖第31回 ズラタン・イブラヒモビッチ<「神」になった39歳>「ミラノに王はいなかったが、神はいた」 セリエA第4節、インテルとのミラノダービーに自らの2ゴールで勝利すると、ミランのズラタン・イブラヒモビッチはS…

サッカースターの技術・戦術解剖
第31回 ズラタン・イブラヒモビッチ

<「神」になった39歳>

「ミラノに王はいなかったが、神はいた」

 セリエA第4節、インテルとのミラノダービーに自らの2ゴールで勝利すると、ミランのズラタン・イブラヒモビッチはSNSでそう綴った。昨季のダービーでインテルが勝利したあと、ロメル・ルカクが「この町には王」がいると書いた。「神」発言は、そのルカクへのアンサーのようだ。



39歳にしてますます充実したプレーを見せる、イブラヒモビッチ

 もっともイブラヒモビッチはすでに「王」については自称している。パリ・サンジェルマンを去る時、

「王として来て、伝説として去る」

 と、言っているのだ。王で伝説、そして神。半分はふざけているのだろうが、ズラタンにはこういうイキった言葉がよく似合う。存在自体が漫画のヒーローのようだ。

 今季の開幕戦で2ゴール。ところが新型コロナウイルスに感染して、2試合出場できず。しかし復帰したダービーで2ゴール、さらに第5節のローマ戦でも2ゴール。3試合で6ゴールのハイペースである。

 39歳になって、さすがに運動量は落ちた。大半はフィールド上をのしのしと歩いているだけだ。だが、ボックスの中へ入ればいまだに別格なのだ。

 ボールに触れば何かはやる。空中戦の強さは圧倒的で、トリッキーなテクニックも健在。どうすればゴールできるかを知り抜いているような冷静さも光る。

 ゴール前では、ファーポスト寄りでハイクロスを待つことが多い。相手のセンターバック(CB)とサイドバック(SB)の間にポジションを取り、SBとの競り合いに持っていくのが常套手段だ。

 SBには小柄な選手が多い。大きなCBと競っても十分優位性があるのに、さらに身長差のあるSBと勝負しようという狡猾さも相変わらずである。

<ファン・バステン2世から「ズラタネラ」へ>

 スウェーデンの名門マルメからオランダのアヤックスに移籍したのが20歳。かつてマルコ・ファン・バステン(オランダ)が着けていた9番の背中に「ズラタン」と書いてあったのは、イブラヒモビッチでは文字数が多すぎたからだろうか。

 このころのズラタンは、まさにファン・バステンのイメージだった。195㎝の長身だが、エレガントなテクニシャンだったのだ。

 印象的だったのが、チャンピオンズリーグでのアーセナルとの試合。タッチライン際でバウンドしたボールに長い足を伸ばし、つま先にボールを乗せて瞬間的に静止。そこからボールをすくい上げて、寄せてきたパトリック・ビエラ(フランス)の頭越しに浮かせて入れ替わった。

 バレエのダンサーのようなバランスと、繊細なボールタッチは、大物感満点だった。

 2004年にユベントスに移籍した時に、ロッカールームで「俺はズラタンだが、お前ら誰だ?」と言い放ったという逸話を残している。居並ぶユーベのスターたちを前に「誰だ?」と本当に言ったのかどうかはともかく、いかにもズラタンらしくはある。

 イタリアに行ってから、イメージが変わっていった。優美で繊細だったのが、強靭で豪快なストライカーになっていた。それまでの長所も残しつつ、嗜(たしな)みのあるテコンドーのようなアクロバティックな足技や、パワフルなプレーがトレードマークになっていった。

 独特のカリスマ性もこのころからだろう。どこか漫画的なのは、エリック・カントナ(フランス)とよく似ている。

 カントナはマンチェスター・ユナイテッドで「王」になったが、フランス国内では漫画的なキャラクターとして面白がられていたものだ。いつ激怒するかわからない変人だが、妙な愛嬌がある。自身も引退後に俳優になったが、弟のジョエルはサッカー選手でありながらテレビ・タレントでもあったから、家系なのかもしれない。

王様・カントナ、「カンフーキック」事件の名言。練習相手はベッカム>>

 ズラタンもカントナ同様、数々の俺様的名言を残している。

「ファン・バステンの後継者として期待されたが、それもうんざりだった。ファン・バステンになりたいわけでもなかった。俺はズラタンだ」

「俺を買うのは、フェラーリを買うということ。しかし、グアルディオラはディーゼルを給油して牧歌的な散歩をさせた」

「普通とは違う人間を潰そうとする行為を憎む。俺が変わっていなかったら、今の俺はなかっただろう。もちろん、俺みたいなやり方はお勧めしない。ただ、我が道を進めとは言いたい。それがどんな道であってもだ」

「俺は逆上するといいプレーができる。復讐心を活力に変えてきたんだ」

「世界最強のバルセロナだから闘争心が渦巻いていると思っていたが、行儀のいい小学生の集まりみたいだった」

 スウェーデンの辞書にはzlatanera(ズラタネラ/支配する)という造語が載っているそうだ。

<ズラタンか否か>

「伝説として」去ったパリ・サンジェルマンからマンチェスター・ユナイテッドに移籍したが、そこで右膝前十字靭帯断裂の重傷を負う。再起不能と噂されたが、医師団もびっくりの回復力を見せて復活。研究材料にしたいと言われたそうだ。

 37歳でアメリカMLSのLAギャラクシーに移籍。選手としての余生を過ごすものと思われたが、58試合で53ゴールの驚異的な得点力を見せつけ、19年1月にミランへ移籍する。すでにシーズンは半分を過ぎていたが、もしズラタンが最初からプレーしていたら優勝できたのではないかと言われるほどの快進撃を見せた。

 ミランはラルフ・ラングニックを新監督に迎える予定だったが、ラングニックが翻意して実現していない。ミランがズラタンとの契約を延長したことが原因だと思う。ラングニックは、自分とズラタンが水と油だとわかっていたからに違いない。

 ライプツィヒを率いてブンデスリーガに旋風を起こしたラングニックのサッカーは、FWも走りまくるハイパープレッシングのスタイルだ。フィールドをのしのしと歩き回る「神」との相性は最悪である。ズラタンとの契約は、ミランがラングニックを諦めたことを意味していた。

 長く不振にあえいでいたミランが、かつてクラブを躍進させたプレッシング戦法を現代に蘇らせていたラングニックを迎えるなら、歴史的な美しい必然だったかもしれない。

 だが、ひとりのイブラヒモビッチがある意味それを阻止した。ズラタンにはそれだけの魅力と威力があったわけだ。