女子バレー稀代のオールラウンダー新鍋理沙が歩んだ道(4) 元女子バレー日本代表・新鍋理沙のバレー人生を、本人の言葉と共に辿る短期連載。第4回は、2012年ロンドン五輪の戦いを振り返る。日本女子バレーの「守備の要」として活躍した新鍋理沙 Ph…

女子バレー稀代のオールラウンダー
新鍋理沙が歩んだ道(4)

 元女子バレー日本代表・新鍋理沙のバレー人生を、本人の言葉と共に辿る短期連載。第4回は、2012年ロンドン五輪の戦いを振り返る。


日本女子バレーの

「守備の要」として活躍した新鍋理沙 Photo by Kimura Masashi

 2011年のワールドカップバレーで活躍した新鍋理沙は、翌年のロンドン五輪を戦う12名の日本代表メンバーにも名を連ねた。当時、チーム最年少の22歳だった新鍋は、「えっ」と頭が真っ白になったそうだが、「じわじわと『私、オリンピックに出られるんだ』という実感が湧いてきた」という。

 当時の代表で新鍋と同じポジション(ライト)には、もともとミドルブロッカーで、速さのある攻撃を得意とする29歳の山口舞がいた。6チーム総当たりで戦った予選リーグは試合ごとにスタメンを分け合ったが、山口が苦手とするサーブレシーブで崩される試合もあったことから、リーグの第5戦(vsイギリス戦)以降は全試合で新鍋が先発した。

「私にはユメさん(山口の愛称)みたいなプレーができないので、自分の役割をしっかり把握して、最低限それは果たそうという気持ちでいました。私に求められていたのは、やはりサーブレシーブです」

 前年のワールドカップ同様、当時の絶対エース・木村沙織を攻撃に専念させるための重要な役割だ。その後の日本代表でも"守備の要"としてチームに欠かせない選手になったが、新鍋が思うサーブレシーブのコツを次のように話した。

「私はサーブを正面で取るより、体をちょっと横にずらして取ることを意識していました。あとは、あごが上がらないようにして、ボールが当たる瞬間にちょっと腕を引くイメージです。正面で取ろうとすると、急に伸びるサーブがきた時にのけぞってしまいますが、横だと『調整ができる』という感じですかね。最後に体を逃がすこともできるので、体を横にずらすほうが(サーブを)取りやすいと個人的には思っていました」

 この「サーブを体の横で取る」という方法は、2013年2月に日本代表史上初の外国人代表監督として、男子代表の指揮を執ることになったゲーリー・サトウ氏が取り入れようとした方法だ。当時の選手たちは完全に習得するには至らず、日本ではそこまで広まらなかったが、ブラジルなどの強豪国ではスタンダードになっている。それを新鍋は、これまでの練習の中で自然にマスターしていたのだ。

 日本は予選リーグA組を3勝2敗の3位で突破(各リーグ上位4チーム)。予選リーグB組の2位、北京五輪銅メダリストの中国と準々決勝(8月7日)を戦うことになった。新鍋が悔し涙を流したワールドカップでも負けた相手で、2008年12月に眞鍋政義監督が指揮を執るようになって以降の対戦成績は4勝8敗と大きく負け越していた。

 しかし、五輪で頂点を目指す上で避けては通れない、アジア女王と戦う気持ちの準備はできていた。

「五輪が始まる前から、眞鍋監督は『この日は絶対中国と試合をする。(準々決勝で中国と当たる)夢を見た』とずっと言っていましたね(笑)。前年のワールドカップのイメージもありますし、もちろん強いとは思っていました。実際にすごい接戦になりましたが、負ける気はしなかったです」

 試合は日本が先制するも、以降は交互にセットを取り合ってフルセットに突入。その第5セットはデュースとなったが、日本がサーブで相手を崩し、粘る中国を押し切った。すべてのセットが2点差という大激戦のなか、新鍋は何を考えていたのか。

「試合の映像を見ながらだったら、『あ、こういう場面あったな』と思い出せると思うんですけど......本当に『無』というか、すごく集中していました」


チーム最年少の22歳ながら、日本の28年ぶりの快挙に貢献。左は狩野舞子

  Photo by Michi Ishijima

 日本のファンが手に汗を握った、中国戦の2日後に行なわれた準決勝。勝てばメダル獲得が決まる前回覇者・ブラジルとの対戦は、新鍋も「ケチョンケチョンにやられたイメージしかない」と苦笑する一方的な展開で、セットカウント0-3で敗れた。

 日本は3位決定戦に回ることになり、銅メダルを争う相手はアジアのライバル・韓国に決まった。

「『あと1試合で終わっちゃうんだな』という寂しい気持ちもありましたが、もちろん勝つ気でいました。とにかく思い切り、自分ができることを精いっぱいやろうと思っていました」

 その言葉どおりに新鍋は躍動した。守備だけでなく、エースの木村や迫田さおりと共にスパイクで得点を重ねていった。普段はおとなしい新鍋が、雄叫びをあげながらスパイクを打つ姿に、その試合を見ていた筆者も身震いがした。

 新鍋によると、韓国戦の日本チームの作戦は「名づけるなら、『キム・ヒジンをイライラさせる作戦』」だったという。キム・ヒジンはアジア最終予選の日本戦で、韓国の対日本22連敗を止める立役者にもなった選手。そのキム・ヒジンをサーブなどで狙ってイラつかせ、それを主砲のキム・ヨンギョンに伝染させていこうという狙いだ。

 その作戦がうまくハマったこともあり、第2セットこそデュースになったものの、結果はストレート勝ちした。

「最後の得点が決まった時の気持ちは、言葉ではうまく言い表せないというか、今までにない感情でした。『うれしい』だとちょっと軽い気もするし......。とにかく、ホッとしたことは覚えています。『オリンピックでメダルを取ったんだ!』と実感したのは、表彰台で銅メダルをかけてもらった時ですかね」

 大会後、銀座で行なわれたメダリスト凱旋パレードには沿道に多くの人々が詰めかけ、オープンバスの上からその光景を見た新鍋は、あらためて「オリンピックでメダルを取ること」のすごさを体感した。日の丸をつけて戦うことの喜びを体中で受け止めた夏だった。

(第5回につづく)