速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち インタビュー第1回 小山美姫 前編  近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ始めた。いまだ男性中心の競技ではある…

速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 
インタビュー第1回 小山美姫 前編 

 近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ始めた。いまだ男性中心の競技ではあるが、サーキットレース、ラリー、ドリフトなどで活躍する女性ドライバーは増加傾向だ。
そこで、国内外のさまざまなカテゴリーで挑戦を続ける日本の女性ドライバーに、モータースポーツにかける思いを聞いた。第1回は、2019年に新設された女性限定のフォーミュラカーレース「Wシリーズ」に日本から唯一参戦した小山美姫をクローズアップした。 




2019年、Wシリーズに日本から唯一出場した小山美姫

 小山美姫は今、「日本最速の女性ドライバー」といっていいだろう。もともと子役としてドラマなどに出演していた彼女だが、たまたま自宅にあったカート雑誌を見て興味を持ち、5歳でレーシングカートを始めた。レースを重ねるうちに、「モータースポーツで頂点に立ちたい」との思いが膨らみ、「いつかF1ドライバーになる」と、夢を持った。

 2015年からFIA-F4選手権に参戦し、男性ドライバーとともに腕を磨き、17年に日本で始まった女性のレースシリーズ「競争女子選手権 (KYOJO CUP)」で2年連続チャンピオンを獲得。そして19年には、女性限定の新しいフォーミュラカーレース「Wシリーズ」に、世界30カ国100人以上の応募者の中から見事トップでオーディションを勝ち抜いた。

 Wシリーズ参戦初年度はランキング7位。20年はレッドブルのサポートを受けることが決まり、拠点をイギリスに移してチャンピオン獲得に向け戦うことになっていたのだが......。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、Wシリーズが中止となって帰国。現在は21年のWシリーズに向け、トレーニングや英語の勉強に励む日々を送っているという。

ーー2020年のWシリーズは中止となりましたが、いつ帰国したのですか? 

小山 今年はWシリーズ一本に専念する予定で、レッドブルの本拠地があるイギリスのファクトリー近くにアパートを借りていました。年明けからイギリスに渡り、タイトル獲得に向け準備を始めていましたが、新型コロナ感染が広まり、現地はロックダウンとなって何もできなくなってしまいました......。そこで急遽、日本で帰国制限がかかる直前の3月下旬に帰ってきました。

ーー結局、シリーズは中止となったものの、レットブルのサポートが決まっていたのはすごいことだと思います。 

小山 ある日突然、ヘルムート・マルコさん(レッドブルのモータースポーツアドバイザー)から電話がかかってきました。Wシリーズに関わるチームや元F1ドライバーの方などが、私のことを話してくれていたようです。

 Wシリーズ初年度は結果を残せませんでしたが、総合的な評価は良かったみたいです。オーディションに合格したドライバーの約半数は、F3マシンに乗ったことある経験者でした。私がオーディションに参加した時点では、(F3の下位となる)F4マシンにしか乗ったことがありませんでした。

 すべてのサーキットが初めてというハンデがある中で、決勝で追い上げを見せたり、最速ラップを出したりしたことで、ポテンシャルを評価してくれたようでした。今年はレッドブルのアスリートとして、シミュレーターやトレーニングなどのサポートを受けています。 



常に自分と厳しく向き合う小山

ーー昨年のWシリーズは年間7位、日本でシーズン後半から参戦したFIA-F4選手権はシリーズ17位に終わりました。勝てなかった原因をどう自己分析していますか?

小山 今振り返ると、日本とヨーロッパを行ったり来たりしながら、毎週レースが続いてしまったのが一番厳しかったです。飛行機の中で寝てレースに出場するということが数カ月続き、時差ボケもあったと思いますし、F4とF3のクルマに対しての切り替えも追いつかなかった。レースの準備をしっかり整えられず、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という結果に終わってしまいました。それで、レッドブルと話し合い、今年はイギリスに住んで一本に専念するつもりだったのです。 

ーードライビングに関しては他のドライバーたちと比較してどうでしたか? 

小山 「このドライバーに敵わない」と思ったことは一度もありませんでした。ただ、レースウィークの限られた時間の中で速く走るための柔軟性や対応力が足りなかったと感じています。

 Wシリーズの参戦ドライバーの約3分の1がヨーロッパ出身者で、コースも知っています。いわば私が富士スピードウェイでレースしているようなものです。だから私がするべきことは、みんなよりも「早く速く」なることですよね。一緒じゃ、勝てないんです。決められた20Lapsの中で、皆が10個のことを吸収するなら、私は30個吸収し、一つずつ学んで次につなげていくしかありません。トップを取るには、常に成長することが必要です。 

 あと、オーディションにエネルギーを注ぎ過ぎたかな、とも感じています。結果的にトップの成績を残せましたが、Wシリーズが始まるというアナウンスを聞いたときから、すぐに準備を始めました。一緒にオーディションを受けるドライバーのプロフィール、テストで使用するマシンやタイヤ、会場となるサーキットなどを徹底的に調べ、多くの方にアドバイスもいただきながら英語のプレゼンテーションで話す内容を練りました。英語の練習も繰り返しました。 

 半年間、意識を切らさず自分にやれることは全部やりました。オーディションの合格は通過点に過ぎない。もっと先に行かなければならないという思いがありました。でも、だからこそ絶対に外せない最初の段階へ向け、万全の準備をしていました。 

 プレゼンテーションの本番は緊張しガタガタと声が震えてスムーズに話せませんでした。必死に面接官に「今ここにいるのは支えていただいている皆さんのおかげ。自分の夢はF1ドライバーになることです。女性同士で戦うことは望んでいませんでしたが、ここがF1への近道だと思いますので、何としても参戦したい!」と伝えました。 

 結果、私の気持ちが通じ、最終日に行なわれたトーナメント戦でも一番を獲り、評価してもらえました。私には足りないものが多過ぎて、オーディションに向け自分の目標レベルに達するために力を注いだため、正直、開幕時には疲れていました。だからシーズンに対して準備ができていたかといえば、十分ではなかったかもしれません

ーーそれでもWシリーズの報道では毎戦、大きく取り上げられていましたね。 

小山 私の中ではセレクションをトップで通過していたので、開幕戦は絶対に優勝しなければならないと思っていました。ところが予選が18台中17位、決勝は10台を抜きましたが7位。自分自身に失望し、悔しくてガン泣きしながらピットに帰ってきたら、インタビュアーが私のところに来るんです。

「なんで7位の私に話を聞きにくるの?」と思っていたら、「ミキ、すごい。怒涛の追い上げだったね! ラスト2周は全体の最速ラップを連続でマークしていたよ。いい走りだった」って。「えっ!」ってビックリでした。日本だと普通、1位や2位の選手にインタビューするじゃないですか。でも海外ではちょっと違いますね。刺激的なものが好きなんですよね。だから、その時ばかりは1位の選手よりも祝福されていた気がします。

 ヨーロッパの人たちは、もちろん全員ではないかもしれませんが、悪いところより良いところをピックアップしてくれることが多かったので、自分のことを引き出してくれたと思います。だからミスをしたとしても、いつまでも頭を抱えて落ち込んでいられませんでしたね。

ーーそれでは海外のレースを楽しめたということですね?

小山 楽しめたかどうかはわかりません。最初のうちは言葉もあまりわからなかったので、とりあえずわかる英語を使って、「ハーイ」みたいね感じで(笑)。そのうち、気が付いたら周りから(いい意味で)イジられるようになって、助けてもくれました。もちろん、マシンに乗ったら敵同士ですが、全体ミーティングなどで難しい話題になると、「ミキ、今の話わかった?」と聞いてくれるんです。「わかんない」と言うと、簡単な英単語でわかりやすく説明してくれて、それでもわからない時は、身振り手振りで教えてくれました。皆がいなければ私は成長できなかったと本当に思います。

 メカニックやエンジニアも同世代の方が多かったのですが、あるレースの前にヘルメットをかぶったら、メカニックのひとりが「ヘルメットの中を見ろ」と合図していました。なんだろうと思って見たら、「I LOVE YOU」と書いてあったんです。本番前にこっちは戦う気でいるのに、そういうのは今じゃないでしょうって(笑)。

ーーその後、その彼とはどうなったのですか? 

小山 今もまめに連絡をくれます(笑)。いい人なんですが......。そういう感情はまったくないですね(笑)。

(後編につづく)

【profile】 
小山美姫 こやま・みき 
1997年9月5日、神奈川県生まれ。5歳からレーシングカートに乗りはじめ、2015年からFIA-F4選手権に参戦。17年にスタートした競争女子選手権(KYOJO CUP)の初代チャンピオンとなり、翌年もタイトルを獲得。19年はホンダのサポートドライバーとなり、創設されたばかりの女性ドライバーによるフォーミュラレース「Wシリーズ」とFIA-F4選手権にダブルエントリー。20年からレッドブルのサポートを受け、Wシリーズに参戦する予定だったが、新型コロナで開催中止に。21年のタイトル獲得を目指す。