『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(2) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅲ部 異次元の技術への挑戦(2) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 


2015年5月の

「ファンタジー・オン・アイス」でガッツポーズを見せた羽生結弦

 2014ー15年シーズン、前季のソチ五輪シーズンから2歩も3歩も先へ進む試みを考えていた羽生結弦。フリーで4回転ジャンプ3本に挑戦するだけでなく、基礎点が1.1倍になる後半に4回転を入れて得点力を伸ばそうと考えていた。さらに、その練習としてショート・プログラム(SP)でも4回転を後半に入れることを目指していた。

 だが、このシーズンではお預けになった。フィンランディア杯を腰痛でキャンセルし、羽生にとってシーズン初戦となった11月の中国杯は、SPでこそ後半の4回転に挑んだが、フリーの6分間練習でハン・ヤン(中国)と激突するアクシデントが発生したからだ。

 グランプリ(GP)ファイナルは前シーズンの構成で臨み連覇を果たしたが、全日本選手権後には尿膜管遺残症(にょうまくかんいざんしょう)と診断され、手術を経て1カ月間の安置治療をした。3月の世界選手権に向けて後半の4回転挑戦に意欲は持っていたが、ジャンプ練習開始後の捻挫により2週間の休養を強いられたことで見送っていた。

 シーズン最後の国別対抗戦を終えた後、目標にしていた試みに挑戦できなかったうえ、「完ぺきな演技がひとつもなかったのが悔しい」とシーズンを振り返った羽生。種類が異なるジャンプを決める難しさについてもこう語った。

「曲をかけた通し練習でも、(4回転サルコウと4回転トーループの)両方がそろわないことが結構ありました。サルコウを降りた後に疲労感があるというか......。トーループを続けて2本なら同じことをやればいいと思うけど、サルコウとトーループはまったく違うもので、感覚のズレが結構あります」 



「ファンタジー・オン・アイス」で演技する羽生結弦

 それでも、15年5月のアイスショー「ファンタジー・オン・アイス」では、難度の高いジャンプに果敢に挑戦する姿を見せた。

 まずオープニングでトリプルアクセルを跳んで客席を沸かせると、第1部は10ー11シーズンのエキシビションナンバーだった「ヴァーティゴ」を披露。3回転ループなどのジャンプを含め、スピンやステップを組み込んだ演技で、客席からは大歓声が上がった。

 さらに羽生は、フィナーレで4回転トーループをきれいに決めた。最後のジャンプ合戦ではハビエル・フェルナンデス(スペイン)とともに滑り出すと、4回転サルコウを決めたフェルナンデスに続き、4回転ループに挑んだ。羽生が国別対抗のエキシビションのフィナーレで成功したが、当時は、まだ公式戦での成功者がいないジャンプだった。

 一度転倒し、再度挑戦したが、今度は2回転になってしまって苦笑い。しかしそこから負けん気を見せて、他の選手がリンクから去った後に3回目のトライをしたが、それも転んでしまった。最後に羽生は、客席に向かって両手を合わせて謝るしぐさをしながらリンクを去った。

 14ー15シーズンに、結局完成させることができなかった「演技後半に4回転を入れるプログラム」について、「翌シーズンも挑戦する」と明言していた羽生。練習では4回転トーループやサルコウだけではなく、ループやルッツなどの4回転にも挑んでいた。その理由を羽生は「4回転サルコウが、(競技会で)今できる一番難しいジャンプ。その確率を上げるためにも、もっと難しい(ループやルッツなど他の)4回転に挑戦することで、精神的な限界値を上げられると思うから」と意欲的に語っていた。

 そして、エキシビションやアイスショーのフィナーレであっても、その考えは同じだった。このアイスショーでの4回転ループ挑戦は、羽生の新しいシーズンへ向けての目標の高さを示すものだった。

 それは、羽生自身、15ー16シーズンの戦いがより厳しくなることを予想していたからだろう。

 まず、大きな目標として追いかけ続けていたパトリック・チャン(カナダ)が、1年間の休養から復帰。また、同じブライアン・オーサーコーチの指導を受けるチームメイトであり、新世界王者のハビエル・フェルナンデス(スペイン)も力を伸ばしていた。さらに、15年3月の世界選手権では、フリー得点でフェルナンデスと羽生を抑えたデニス・テン(カザフスタン)も、安定感を高めていた。他にも、世界ジュニア王者の宇野を筆頭に若手が成長してきた時期だった。

 15ー16シーズンは、18年の平昌五輪へ向けて各選手が「打倒・羽生」を掲げて、熾烈な戦いを繰り広げることが予想された。羽生の情感豊かな演技に加えて、4回転ジャンプの完成度を上げていく過程も、見どころのひとつとなっていった。

*2015年6月配信記事「羽生結弦はなぜ、アイスショーで4回転ループに3回も挑戦したのか」(web Sportiva)を再構成・一部加筆 

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。