>  予測がつかない2020年シーズンを象徴するようなレースだった。日曜(10月11日)午後の決勝前に、ダニロ・ペトルッチ(ドゥカティ・チーム)の優勝を予測できた人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。 第10戦フランスGPで優勝したダ…

> 

 予測がつかない2020年シーズンを象徴するようなレースだった。日曜(10月11日)午後の決勝前に、ダニロ・ペトルッチ(ドゥカティ・チーム)の優勝を予測できた人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。 



第10戦フランスGPで優勝したダニロ・ペトルッチ

 ル・マンのブガッティサーキットが会場の第10戦フランスGPは、例年5月中旬に行なわれる。この時期のフランス・ロワール地方は日本で言えば梅雨のような気候で、レースウィークのどこかのセッションが必ずといっていいほど雨に見舞われる。今年は新型コロナウイルスが世界的に蔓延している影響により、10月中旬の開催になったが、不安定な天候は例年と同様。しかも、この週末のコンディションはただでさえひんやりする5月よりもさらに寒い、気温も路面も10℃台前半という、まるで真冬のような温度条件で推移した。

 土曜の予選でポールポジションを獲得したのは、前戦で今季3勝目を挙げてランキング首位に立つファビオ・クアルタラロ(ペトロナス・ヤマハ SRT)。ペトルッチはフロントロー3番グリッドだったが、土曜午後までのセッション内容を見たところ、クアルタラロのペースが一頭地を抜いた状態だった。

 クアルタラロは予選後のコメントも自信が十分に伺える口調で、気象情報どおりに日曜はドライコンディションでレースが行なわれるならば、おそらく独走しそうな気配が濃厚に漂っていた。一方、ランキング2番手につけるジョアン・ミル(チーム・スズキ・エクスター)は5列目14番グリッド。予選後の言葉もあまりピリッとしない内容で、決勝は苦戦も予想された。

 日曜の決勝レースは、選手全員がグリッドについて、スタートまであと数分と迫った段階でいきなり雨が降り出した。ドライコンディション用のスリックタイヤから、急遽、皆がレインタイヤへ交換する慌ただしい作業を経て、26周のレースが始まった。

 この雨で、戦況がガラリと一変した。

 19年にMotoGPへ昇格したクアルタラロとミルは、ウェットコンディションの決勝レースをまだ経験していない。ふたりはともにスタートで出遅れ、その後の展開に大きく影響した。一方、3番グリッドスタートのペトルッチはうまくスタートを決めて、1周目が終わったときにはトップに立っていた。

 その後も、ペトルッチは終始レースをリード。途中からは、チームメイトのアンドレア・ドヴィツィオーゾに2秒以上の差を開いて独走モードに持ち込んだ。

「グリッドで雨が降り始めたときは『おいおい、やめてくれよ』と思った」

 レースを終えたペトルッチは、やや苦笑気味にスタート直前の心境をそう振り返った。ペトルッチはドゥカティファクトリーライダーでありながら、いわゆるスター選手ではない。どちらかといえば「苦労人」という言葉の方が似合う経歴の持ち主である。スーパースターや人気者がなぜか持ち合わせる〈引きの強さ〉と言われるような強運ともあまり縁がなく、庶民的で悲哀に似た雰囲気を漂わせる人でもある。「せっかくの3番グリッドなのに、雨かよ......」と嘆く彼の心情は、いかにもこの選手の〈普通っぽさ〉というか、一般人らしい〈運のなさ〉をよく表している。

 ペトルッチは、2年前までドゥカティサテライトチームに所属していた。ファクトリーの実戦開発を兼ねたような役割で参戦し、惜しいところで優勝を逃がすことも何度かあった。そして、そのたびに悔し涙を照れ笑いで隠すような、そんな含羞(がんしゅう)の持ち主だ。

「おいおい、と思ったけど、でも、『雨でも行けるかもしれない』とも思った。雨ではいつも速かったし、表彰台も獲得しているから」

 たしかに、ペトルッチは雨で強さを発揮する。MotoGPクラスでは最も大柄な体格で、その体重の重さが、路面状態の不安定なウェットコンディションでタイヤをしっかり接地させてトラクションを稼ぐ効果もあるからなのだろう。例えば、17年の雨のオランダGPではバレンティーノ・ロッシと競い、僅差の2位で終えている。また、同年のサンマリノGPでは、7周目以降ずっとトップを走行するというMotoGPで初めての経験も味わった。だが、このときは最終ラップでマルク・マルケスにあっさりとオーバーテイクされて優勝を逃すという悲哀を噛みしめている。

 ル・マンでも、18年には2位、ドゥカティファクトリーに昇格した19年に3位を獲得している。ル・マンは得意、といいながらも、やはり優勝にはあと一歩届いていない。

 それだけに、彼が昨年の第6戦イタリアGPで悲願の初優勝を達成した際は、地元イタリアのレースファンがそろって喝采を送り、彼の人柄を知る人々からもたくさんの温かい共感を集めた。今回の優勝は、そのとき以来一年半ぶりの快挙だ。

「久々に勝つことができて、本当にうれしい。まさか、ここで勝てるとは思わなかった。自分の達成したことが、まだ信じられない」

 優勝記者会見でこう述べるペトルッチに、司会者が「ル・マンはホンダとヤマハがずっと勝ってきたコースで、ドゥカティで優勝したのは実はあなたが最初なんですよ」。

 そう告げられると、ペトルッチはうれしそうな表情で微笑んだ。この勝利により、20年シーズンのMotoGPは、9戦を終えて7人目の優勝者を生んだことになる。

 9戦で7名の優勝者というこの事実は、「クレイジー」と言われる今季の予測のつかない戦況をよく表している。ペトルッチの場合は、今シーズンの奇妙さを、こんなふうにも表現する。

「今年はまったくクレイジーな年で、シーズンが始まる前に来年のシートがなくなると判明したので、『誰も僕を信じてくれていないんだな』という気がした」

 新型コロナの蔓延による大幅なスケジュール変更で、MotoGPクラスのレースが始まったのは7月中旬からだった。そのはるか前に、ペトルッチはドゥカティファクトリーチームから来季のシートがないことを通達されていた。ライダーにしてみれば、これからレースで自分の実力を発揮して能力をアピールしようという前に解雇が明らかになったわけで、そのような出来事が自分自身に対する自信によい影響を及ぼさないことは想像に難くない。ある意味ではこれは「コロナ失業」といえなくもない。

「でも、行き場所(KTMサテライトチーム)も見つかったし、僕を信じてくれている人たちがいることもわかった。いつも頑張ってくれるチームには、もちろん感謝をしている。また、母国で僕を支えてくれる人々にも感謝したい。自分は勝てるんだ、ということを証明できてよかった」

 一方、ポールポジションからスタートしたものの、序盤で大きく順位を下げてしまったランキング首位のクアルタラロは、9位で7ポイントを獲得。ランキング2番手のミルは11位で5ポイントを得たため、ふたりの間は2ポイントが広がったのみで、得点状況の趨勢に大きな変化はない。

 それどころか、この2名を含む有力選手たちは、全員がシーズンのどこかで何かしらチャンスを逃し、誰もライバルに差をつけて大きく引き離すことができないでいる。そのために、ポイント差はむしろ詰まる傾向にある。115ポイントの首位クアルタラロから、ランキング5番手で現在81ポイントの中上貴晶までの差はわずか34という状態だ。

 次の週末からは、スペインのアラゴン・モーターランドで2連戦が行なわれる。同一会場の2週連続レースは、全員がデータを豊富に獲得することなどにより、戦いがいっそう緊密になる傾向がある。しかも、ここから先の晩秋は寒さが増すことで、不確定要素も大きくなる。状況がさらに混沌としそうな要素ばかりといっていいだろう。奇妙なサバイバルゲームのようなシーズンは、そろそろ終盤戦が近づきながらもその展開はまったく予断を許さない。