> F1では一定の成果を得られたので、2050年のカーボンニュートラル実現に向けてそのリソースをF1以外のところに再分配するために、F1活動を終了する。 2020年10月2日にホンダが発表したのは、大まかに言えばそういうことだ。いや、大まか…

 F1では一定の成果を得られたので、2050年のカーボンニュートラル実現に向けてそのリソースをF1以外のところに再分配するために、F1活動を終了する。

 2020年10月2日にホンダが発表したのは、大まかに言えばそういうことだ。いや、大まかに言わなくても、記者会見で八郷隆弘社長が述べたのは、ほぼそれだけだった。



2021年をもってホンダはF1活動を終了することになった

 多くのファンが怒りを覚えたのは、F1を辞めていくことよりもなによりも、これまでの5勝を「一定の成果」として、この結果に満足しているかのような態度だろう。

 会見に参加していた筆者も、思わず「志半ばで辞めていくことについて、これまで努力してきた開発者や現場スタッフたち、そしてファンの人たちに対する思いは?」と八郷社長に質問しそうになった。「青山本社」と「現場」の思いがあまりに乖離しているように思えたからだ。

 だが、ふと我に返った。本当に「志半ば」なのか?

 リーマンショックの影響で、突然F1活動を終了しなければならなかった第3期の2008年末とは違う。

 あの時は2008年を犠牲にしてでも翌年に向けていい車体といいエンジンを作りあげていたにもかかわらず、2009年はホンダとして参戦が叶わなかった。結果、1ポンドで買い取ったブラウンGPがその車体で勝利を収め、チャンピオンに輝いた。

 その光景は、F1から去ったホンダのエンジニア、メカニックたちには嬉しくもあり悔しくもあり、涙を抑えられなかったと振り返る技術者が多かった。現テクニカルディレクターを務める田辺豊治エンジニアも、そのひとりだ。

 それに比べれば、今回はこの撤退発表の瞬間にすべてが終わったわけではない。まだ今季は7戦残されているし、2021年もフルシーズンが残されている。

 2021年にチャンピオンを獲れば、それは「志半ば」ではないのではないか。現時点で「志半ば」と断じてしまうことこそ、今も必死に戦っているホンダの現場の人たちに失礼なのではないか。

 八郷社長としても、5勝程度で目標のすべてが達成できたなどとは思っていないだろう。

 だからこそ、あえて「一定の」という言葉をつけたのだろうし、企業としての経営判断を正当化する言葉を並べなければならない記者会見のなかで、それが八郷社長のせめてもの抵抗と自己主張だったのではないかと推察する。

 2015年のF1復帰以来、ホンダの社内ではずっとF1反対派の声がくすぶり続け、2017年にマクラーレンから三行半を突きつけられた際には「マクラーレンとの修復がなければ撤退」と、一度はほぼ撤退で固まっていたことすらあったと聞く。レッドブルとトロロッソからのオファーも、2017年8月の段階では一度断わりを入れている。

 それでもなんとかここまでF1活動を継続し、レッドブルとともに勝つレベルまで到達してきたのは、八郷社長や倉石誠司副社長ら、ホンダのなかでは少数派とも言える「F1推進派」がギリギリのところで支えて踏みとどまってきたからだと聞いている。

 しかし、ここで断念しなければならなかった。それは、カーボンニュートラル実現に向けた企業としての転換のためなのか、新型コロナウイルスの影響による経営悪化なのか、八郷社長の任期が今年度で切れることに理由があるのか、はっきりしたことはわからない。

 一部ではF1活動費が年間1000億円以上との報道もあったが、それは筆者が聞いていた数字とはケタがひとつ違う。世の中には不確かな情報も多々あるだろうし、いずれにせよ2021年以降のF1はチーム側だけでなくパワーユニットの開発制限も強化されて、参戦費用は格段に安くなるはずだった。

 それでも撤退するということは、金額の問題ではないのだろう。

 そもそも、たとえ1000億円使っていようと、F1活動によってホンダの売上が1000億円以上増えるのであれば、辞める理由などない。

 単純に「F1はホンダのDNA」という言葉に甘え、F1活動をホンダのブランディングおよびマーケティングに生かそうという努力をしてこなかっただけのことだ。青山本社のF1活動を統括する部署がブランドコミュニケーション本部という枠組みの中にあったにもかかわらずだ。

「メディアがF1を報じないからだ」と批判する声もあるが、ホンダ自身も自社の活動を報じてもらおうという努力が十分だったとは言えない。

「参戦」や「撤退」はホンダという大企業の経済活動の大きな動きだから、各メディアの経済部が報じる。しかし、レース結果は運動部が報じるかどうかで決まるし、普段から付き合いがなければ、いざ勝利を収めても新聞記事やテレビ報道にはつながらない。経済部ではなく運動部とのお付き合いという努力が足りなかったというよりも、ホンダ全体としてそういう取り組みを避けていたように感じられた。

 となれば当然、莫大な予算がかかるF1活動を正当化する理由は弱くなり、経営状況が悪化すれば反対派の声が強くなるのは当然だ。F1に対する想いはあっても、そこに経営トップとして強い意志を掲げ貫き通せなかったのが、八郷社長の残念な部分だったのかもしれない。

 F1活動を辞めること自体は企業としての企業活動の選択だから、大株主でもない外野がとやかくいうことではない。その経営判断が正しいか間違っているかは、何年も経ってみないとわからないことだろう。

 カーボンニュートラル実現に向けた動きは、どの企業でもある。とくに自動車メーカーは、脱エンジンどころか自動車というものの概念が大きく変わることが予想されるだけに、そこにどう取り組むかはメーカーによってスタンスが異なる。

 だから、あの会社はF1を続けるのに、ホンダはどうして辞めるのか?というのは愚問だ。そのスタンスのすべてを説明する必要もないだろう。

 それをいくらF1ファンが批判しようと、週明けの株価が上昇したことこそが、すべてを物語っている。世間全体から見れば、F1ファンの切実な思いは少数意見でしかない。残念ながら、それが現実だ。

 しかし、今のホンダの4輪売上を支える『N BOX』シリーズを生み出したのは現F1開発責任者の浅木泰昭であり、F1活動で培った既成概念に囚われない発想力と自信がその原動力になっている。

 ホンダはミニバンの会社に成り下がったと揶揄する声もあるが、当時としては革新的だったミニバンを生み出したのはF1が与えてくれた有形無形の資産であり、それによって支えられているホンダはやはりF1がDNAなのだと思う。

 2015年にF1に復帰して苦戦が続いていたホンダのF1開発責任者に就任した浅木は、そういう猛獣みたいな技術者が檻に閉じ込められていると感じ、そういう人材が活躍できる組織作りを目指した。それもやはり、ホンダの原点回帰だったはずだ。

 ホンダは2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、F1に携わった技術者たちのノウハウを次世代の先進パワーユニット開発に生かしたいとしている(モータースポーツ活動を継続するという言い訳も立つ)。既存の自動車とはまったく違うモビリティを、第2期F1経験者の浅木がN BOXを生み出したように、第4期F1経験者たちに託したいのだろう。

 しかし、F1をやっているホンダだからこそ入社してきた技術者たちが、そこにモチベーションを見いだせるか。さらにいえば、F1はもうやらない優等生のホンダに、これから入社してくる技術者たちのなかから革新を生み出せる突拍子もない人材は生まれるだろうか。

「F1がホンダのDNA」と豪語する企業だからこそ飛び込んでくるような人材が減り、大企業だから入社するという優等生ばかりの企業になった先に待っている未来とは? いや、青山本社の上層部はすでにそうなっている。それこそが、F1を辞め、F1がDNAでなくなっていくホンダの未来に向けて感じる失望と不安だ。

 目の前のF1活動に話を戻そう。

 ホンダは2021年もF1にいる。2022年以降に向けて開発していた新構造のパワーユニットを、最終年となる2021年に前倒して投入し、ホンダのすべてを出し切るつもりだ。

 そのパワーユニットを持って、レッドブル、アルファタウリとともに頂点を目指す。もちろん、これまでの5勝で満足しているわけではなく、頂点を獲ってから辞めていくつもりだ。

 さらにその延長線上には、ホンダのF1パワーユニットに関する知的財産や物的・人的リソースを白紙にしてしまうのではなく、第三者に継承してF1活動を継続するという道も有り得る。

 FIA F2まで支援してきた角田裕毅へのバックアップも来年はまだ継続するし、すでにレッドブルジュニアドライバーとしてかなりの好条件で契約を交わすなど、ホンダとしても今後に向けてきちんとしたレールを敷いているという。

 2018年のトロロッソによる4位獲得や、2019年のレッドブルとともに挙げた初優勝、ルイス・ハミルトンに打ち勝って得たブラジルGPのダブル表彰台、そして今季も絶望的な状況下での70周年記念GP優勝や、ピエール・ガスリーによるイタリアGP奇跡の優勝......。

 これまでホンダが与えてくれた感動や興奮や勇気は変わらない。そしてきっと、残された1年と2カ月で、ホンダはさらなる感動を与えてくれる。

 真のF1ファン、真のホンダファンなら、怒りをぶつけるよりもホンダが与えてくれたものに感謝するとともに、彼らの残された挑戦を全力で応援すべきなのではないかと思う。そしてそれこそが、ホンダのDNAを捨てた人たちへの最大級の反旗になるのだと思う。