私が生まれ育った稲村ヶ崎は、子供の頃は何もない土地だった。夜になるとあたりは真っ暗闇の中。道路は未舗装で、いったん雨が降ろうものなら通り沿いの家には車が通るたびに羽のような水しぶきが降りかかり、それはすごい光景だった。そんな子どもの頃の夏休…

私が生まれ育った稲村ヶ崎は、子供の頃は何もない土地だった。夜になるとあたりは真っ暗闇の中。
道路は未舗装で、いったん雨が降ろうものなら通り沿いの家には車が通るたびに羽のような水しぶきが降りかかり、それはすごい光景だった。
そんな子どもの頃の夏休みの楽しみといえば、海水浴だった。

きっかけは貸しボート屋

パラソルを持った父親に連れられて、目の前の海岸の岸辺で小さなショアーブレイクと戯れる。
近所に刺激的エンターテイメントがあるわけでもなく、「もう上がれ!」と父親から声がかけられるまでひたすら波に巻かれて遊んだ。そんなことが唯一の楽しみだった。

この時期になると、“海の家”と呼ばれるよしず張りの簡易施設が設営されたが、地元の人が利用することはなかった。
海に涼を取りに来た海水浴客の荷物を預かったり飲み物を提供したり、かき氷を出したり。コンビニが普及していない時代のちょっとしたオアシスだった。
その脇には貸しボート(ローボート)屋があり、自動車のチューブを利用した浮き輪やイタコと呼ばれたベリーボードが並べられていた。
今思えばSUPの原型のようにも思える、立ってオールでパドルをする、フロートと呼ばれる木製の重たい水上散歩用具もあった。
私はそれらでショアーブレイクでひたすら遊んだ。そしてこれらは全てサーフィンとの出会いのきっかけであった。


1968年「全日本サーフィン大会」の会場風景。現在は砂浜にテントを張ることは厳しい状況だ。 / photo by Surf Voice

環境の変化、なぜ

そんな子どもの頃の遊び場であった広い砂浜。夏の太陽を浴びて熱く熱せられた砂! 水辺まで一気に走って抜けないと足の裏は大火傷をする。
そんな行為も今はできない。砂浜は何もない! それどころか、台風が来るたびに波のうねりが134号線にぶつかり道路の基礎までえぐり取り、一時は通行止になってしまった。
かつて台風が来るたびに、こうした海の家の基礎部分まで波が来ることはあっても、ここまでの被害を見ることはいまだかつてなかった。

鎌倉では、稲村ヶ崎が顕著だが、そこからさらに西にある七里ヶ浜の駐車場エリアも一部で砂浜を歩けなくなってしまった。
もちろん潮回りも関係するのだが、圧倒的な水量は明らかで、今まで見たことのない岩がそこかしこに痛々しく顔を出している。

初めてこの光景を見た人には、何も感じることはないと思うが、長年親しんだ海岸線の砂浜の変化には感傷的にならざるをえない。
なぜ、このように環境が変化してしまったのか。
私には知識はないが詳しい方たちの意見を聞いてみたい。


「初めてこの光景を見た人には、何も感じることはないと思うが、長年親しんだ海岸線の砂浜の変化には感傷的にならざるをえない」 / photo by Surf Voice

文・写真提供:出川三千男

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