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『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅱ部 高め合うライバルたちの存在(5) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュア界を牽引する羽生結弦。その裏側には、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 



2017ー18グランプリシリーズ初戦ロシア大会フリー演技をする羽生結弦

 自らの力を出し切れば勝てるという、強い自信をもって臨んだ2017年3月の世界選手権。ショート・プログラム(SP)で自己最高の109.05点を出して3連覇を狙うハビエル・フェルナンデスに10.66点差の5位発進となった羽生結弦だが、フリーでは3種類4本の4回転を決める完璧な滑りで世界最高の223.20点を獲得。合計321.59点で逆転優勝を果たした。

 それでも四大陸選手権で初めて4回転ループを跳んだ宇野昌磨は、この世界選手権で3種類4本の4回転を跳んで2.28点差で2位。また、SP6位のネイサン・チェンも、ミスはしたものの4種類6本の4回転を跳ぶ構成に挑んだ。羽生を追いかける彼らの足音は段々と大きくなっていた。

 そして迎えた2017ー18グランプリ(GP)シリーズの初戦、ロシア大会のロステレコム杯。この公式練習で羽生は、新たな挑戦を続けることを表明するような構成を見せた。

 フリー「SEIMEI」の曲かけ練習では、冒頭のジャンプに4回転ルッツを持ってきた。ここではパンクして1回転になったが、続く4回転ループと3回転フリップを決めると、後半には最初の4回転サルコウを3連続ジャンプにして成功。4回転トーループは着氷が少し乱れたが、トリプルアクセルは連続ジャンプと単独ジャンプの両方をしっかり飛んだ。

 最初のルッツを4回転にする構成はかねて予定していたが、GPシリーズ初戦から組み込む決定を下した。羽生はこう説明した。 



ロシア大会で、フリーの曲かけ練習をする羽生

「練習をしていて、初めから『ルッツを入れられるな』と思いました。五輪へ向けてどんどん試合を重ねていくわけですが、実際には試合数も限られています。試みた回数というのも一つひとつ大事になっていくと思うので、その意味でも、できるだけ挑戦したいと考えました」

 このシーズン初戦のオータムクラシックで学んだのは、「全力でできないことが、集中力を鈍らせる」ということだった。右膝に不安を抱えて4回転ループを封印したことで、フリーは後半のジャンプへの意識が過剰になった。現状をしっかりと分析して冷静に判断しているかに見えたが、それが集中力につながらなかったのだ。

 難度の高い構成に挑戦してみて、もしうまくいかなかったらまた構成を変える選択もできる。それを早めにハッキリさせるためにも、まずは挑むことが大切と考えたのだろう。

「集中力を途切れさせないためにも、今の自分の実力をいちばん発揮できる構成、いちばん本気を出せるプログラムでやりたいと思っています」

 この言葉どおり、挑戦こそが羽生の信条ということだろう。

「やっと自分が目標にしてきた構成に体がついてきたので、そういった意味でも『やっと始まるな』と感じます。ただ、今は五輪シーズンが始まったというよりも、一つひとつの試合を考えなければいけないと思う。この試合(ロシア大会)では、4回転ルッツやショートも注目されると思いますが、まずはフリーの曲かけ練習でできたこと、できなかったことを反省して調整し、次に向けてしっかりとやっていきたいです」

 こう話す羽生だが、ロシア大会の会場であるメガスポルトにも特別な思いがあった。

「シニアに上がってからの2年間はここでのグランプリシリーズに出ていたので思い出深いですし、『帰って来たな』という感じです。モスクワで合宿したこともあったので、すごく懐かしくて、落ち着いて試合に臨めるのではないかなと思います」

 そうした思い入れのある場所であることも、彼が4回転ルッツという新たな挑戦を選択したひとつの理由かもしれない。

 曲かけ練習後も、ブライアン・オーサーコーチのアドバイスを聞きながら4回転ジャンプに挑んだ。失敗しながらも自分の気持ちを盛り上げるように両手をクルクルと回す仕草をし、イーグルからの4回転ループに成功。何度かパンクを繰り返した4回転ルッツも、最後はきれいに決めて客席の歓声を誘った。

「(4回転)ルッツのパンクが多かった理由は、フリーの曲かけの後ということもあったし、しょうがないと思っています。ただ最終的に、練習中に体力を回復させてルッツもしっかりと軸の取れたものを跳べているのでよかった。いい感じで調整しながらできています」

 チェンを筆頭とする若い選手が成長してくる中、攻めの姿勢でスタートした平昌五輪シーズン。4回転ルッツへの挑戦に踏み切ったロシア大会は、SPの優位を保たれてチェンに敗れたが、フリーでの4回転ルッツ成功とチェンの得点を上回れたことに羽生自身は納得していた。

 だが、この挑戦が次のNHK杯で大きなケガを招くことになった。その後、羽生の強固な意志の強さをもって五輪連覇を果たすことができたが、羽生がケガにより欠場した平昌五輪後の世界選手権は、新たな潮流が生まれる予兆を見せた。

 SPではルッツとフリップの4回転2本を入れてトップに立ったチェンだけではなく、同じくルッツとフリップを入れたビンセント・ジョウ(アメリカ)が3位。失敗したものの、ジョウはフリーでサルコウを含めて4種類6本の4回転に挑んだ。そしてフリー最終滑走のチェンは、4回転4種類6本の構成に挑戦し、321.40点で優勝。若い選手たちから感じられる意欲とともに、チェンが強さを見せつける大会となった。

 羽生にとって、新たな好敵手であるネイサン・チェンとの戦いはここから本格化していく。

*2017年10月配信記事「羽生結弦が語ったグランプリシリーズ初戦で『4回転ルッツを跳ぶ理由」」(webSportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。