>「中野信治が占うF1・2020年シーズン後半戦」中編 2020年シーズン、ミハエル・シューマッハの持つ史上最多の通算91勝、7度の世界チャンピオン獲得という偉大な記録に挑んでいるルイス・ハミルトン。第2戦で今季初優勝を挙げると、チャンピオ…

「中野信治が占うF1・2020年シーズン後半戦」中編 

2020年シーズン、ミハエル・シューマッハの持つ史上最多の通算91勝、7度の世界チャンピオン獲得という偉大な記録に挑んでいるルイス・ハミルトン。第2戦で今季初優勝を挙げると、チャンピオンシップを独走。第9戦のトスカーナGPで通算90勝目を挙げ、シューマッハの最多勝記録にあと1勝まで迫っている。35歳になった現在でも「体力の衰えは感じない」と語り、勝利を量産し続けるハミルトン。その強さの秘密はどこにあるのだろうか? 元F1ドライバーでDAZNの解説者を務める中野信治氏に話を聞いた。 



今季も強さを見せつけるメルセデスのルイス・ハミルトン

 メルセデスでルイス・ハミルトンとコンビを組むバルテリ・ボッタス。第9戦のトスカーナGP終了時点で、ハミルトン6勝に対してボッタスは1勝。ふたりの成績には大きな差がついていますが、ドライビングの技術やセットアップ能力などの差は本当にわずかなものだと思っています。

 マシンを走らせるスピード感覚の部分でも、若干、ハミルトンが上回っていると感じますが、ボッタスもセンスがあるし、間違いなく速いドライバーです。

 ハミルトンとボッタスの成績を分けているのは、ひとえにメンタルの差だと僕は見ています。勝つことに対する貪欲さ。そこが大きな要因になっていると考えています。

 貪欲さとは、ただ単に勝ちたい気持ちが強いというだけでなく、勝つためにどうしたらいいかと考えて、行動し、発言することです。

 ドライバーが勝つための最善の方法はいいマシンに乗ることです。そのために自分が何をしなければならないか? 僕はいろんなところで繰り返して言っていますが、モータースポーツはドライバーがひとりで頑張ってもできることは限られています。周りが動いてくれないと何もできないのです。

 ハミルトンの行動や言動を見ていると、周りのスタッフやファンを自分の味方につけることの重要さを、特にこの4、5年ぐらいの間にすごく学び、身につけているように見えます。応援してくれる仲間が増えると、自分の周りにいいマシンやエンジニアなどが集まってくるんです。

 また、近年のハミルトンには自分自身のメンタルをコントロールする能力が備わってきました。過去のハミルトンは速い時は速いですが、精神的に乱れる時にはレースも大きく乱れることがありました。  でも、ここ数年間はかつてに比べると、乱れた時の振り幅がかなり小さくなり、ライバルがつけいるスキがなくなってきました。そこが強さの最大の要因になっていると思います。 



ハミルトンのメンタル面の強さについて説明する中野信治氏(photo by Sportiva)

 年間20戦もあれば、良い時も悪い時もあります。マシンの状況はもちろんですが、運や流れがどうしても悪くなってしまうことがあります。そうした状況下でも自分のベストをどうやって引き出せるのかというテクニックを、彼は完全に学んでいますね。

 その契機は、2016年、当時チームメイトだったニコ・ロズベルグとのチャンピオン争いに負けたことだと思います。そこから彼の言動や行動など、すべてが変化していきました。

 繰り返しになりますが、ハミルトンとボッタスには運転技術やセットアップ能力の差はほとんどないと思います。そうじゃないメンタル部分での大きな成長がハミルトンの中にあって、それがレースの結果として表面に出てきているんです。

 ボッタスを物足りないと感じる人がいるかもしれませんが、彼だってすごく成長しています。メルセデスに加入した後、一皮も二皮もむけて速くなっています。でもボッタスが成長すると、さらにハミルトンが強くなっていき、ふたりの差が縮まっていかない。

 ハミルトンにとってボッタスは戦いやすい相手ですし、メルセデスとしてもふたりの成績に明確な差があったほうがまとめやすい。しかも、ボッタスは決して遅いドライバーではないので、シーズン中に何度か勝って、ハミルトンがサボらないように常にプレッシャーをかけてくれます。ナンバー2としての仕事を完璧にこなしてくれますので、メルセデスにとっては最高のドライバーの組み合わせだと思います。

 ハミルトンは今シーズン中に間違いなくシューマッハの最多勝記録に追いつき、追い抜くでしょう。ふたりに共通しているのは、シンプルに言うと、負けず嫌いなところ。当たり前だと思うかもしれませんが、「負けず嫌い」という言葉の裏には、負けないためのドライバーのさまざまな努力があります。

 普通のドライバーは「チームがいいクルマをつくってくれたらいいな。自分には優秀なエンジニアがついたらいいな」と思って、待っている。そうじゃなくて自らつかみとるために常に行動しているのがハミルトンであり、かつてのシューマッハです。

 彼らは絶対に負けたくないから、人がやってないことに挑戦したり、取り入れたり、行動したりするんです。結局、いかにハングリーでいられるかどうか。「俺はすごいんだ」と思っているドライバーは、それ以上のことはしませんから、成長していきません。

 きっと最初の頃は、ハミルトンもそうだったと思います。だから、勝負に負けたり、負けそうになったりすると精神的にすごく乱れた。しかし、前述したように、そういう時に自分のメンタルをどうコントロールすればいいのかを、おそらくメンタルトレーナーなどの専門家から学んだと思います。

 現在35歳のハミルトンはすでに6度の世界チャンピオンのタイトルを獲得し、年間数十億円を稼いでいます。それでもなお勝ちにいくという貪欲さをキープし続けることは、なかなかできるものではありません。じゃあハミルトンと同じぐらいのハングリーさを持った若いドライバーが今のF1にいるのか? 僕にはいるようには思えません。

 マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)はハングリーだと思いますが、将来を期待されている若いシャルル・ルクレール(フェラーリ)、そしてボッタスからもハミルトンほどのハングリーさを感じません。彼らがチャンピオンになるためには、今のハミルトンの貪欲さを学ばないと絶対に勝てないと思います。

 今シーズン、通算7度目の世界タイトル獲得を目指すハミルトンは、ドライバーとして心身ともにピークにいると思います。30歳半ばという年齢ですが、今まさにシューマッハの偉大な記録に挑んでいますので気力が充実しているだろうし、これまでブランクなくずっとF1マシンに乗り続けていますので、体力的にも大きな問題はないでしょう。ただし、来年以降は徐々に厳しくなっていく可能性はあると思っています。

 僕自身もそうでしたが、やっぱり30代後半に入ってくると、直接的にこれだという原因はないのですが、体力、気力、目や反射神経などが、本人でも気がつかないぐらいちょっとずつ落ちてくる。それが積み重なって、大きく響いてきます。

 これからハミルトンがピークから落ちていく中でどう戦っていくのか、同じドライバーとして、またF1ファンとして、すごく興味があります。ハミルトンの貪欲さを学んだ新たなチャンピオンが誕生するのを期待していますが、大事なのは、僕たちが見ているサーキットでの戦いではないと思っています。

 レースで結果を出すことは重要ですが、それはドライバーの仕事の氷山の一角にすぎません。逆に水の中にあって見えないところが、勝負のカギを握っていると言っても過言ではありません。それがモータースポーツの面白いところであり、難しいところなんです。
(後編につづく)

【プロフィール】
中野信治(なかの・しんじ)
1971年生まれ。F1、アメリカのCARTおよびインディカー、ルマン24時間レースなどの国際舞台で長く活躍。現在は日本最高峰のスーパーフォーミュラとスーパーGTに参戦する「TEAM MUGEN(チーム・ムゲン)」の監督を務めながら、SRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール)の副校長として若手ドライバーの育成を行なっている。世界各国での豊富なレース経験を生かし、DAZN(ダゾーン)のF1解説も担当。