世界記録保持者が「やっとアスリートに一歩近付けた瞬間」と振り返るレースとは 2021年に開催延期となった東京パラリンピック。1年後への大舞台で金メダル候補の1人と目されているのが、ブラインドマラソンの道下美里選手だ。今年の別府大分毎日マラソ…

世界記録保持者が「やっとアスリートに一歩近付けた瞬間」と振り返るレースとは

 2021年に開催延期となった東京パラリンピック。1年後への大舞台で金メダル候補の1人と目されているのが、ブラインドマラソンの道下美里選手だ。今年の別府大分毎日マラソンで自身の持つ世界記録を約2分更新する2時間54分22秒で優勝。新型コロナウイルス感染拡大の影響で練習ができない日もあったが、現在は目指すパラリンピックでの金メダルに向けて、順調にトレーニングを続けている。

 2014年の防府読売マラソンで初めて世界記録を打ち立てて以来、2度世界記録を更新したり、前回のリオデジャネイロパラリンピックでは銀メダルを獲得するなど、世界トップを争ってきた。周りまで明るく照らす笑顔がトレードマークだが、その笑顔の下には何度も壁にぶち当たり乗り越えてきた経験が隠されている。

 中学生で右目を失明し、24歳で左目の視力も低下。盲学校に通い始めた26歳から、ダイエットを兼ねて走り始めた。生来の負けず嫌いと運動センスもあり、レースに出ると軒並み優勝。当初は800メートルや1500メートルなど中距離を専門とし、好成績を収めていたが、目指すパラリンピック出場には成績をもうひと伸びさせたいところだった。

 競技者として「一番大きな壁だった」と振り返るのは、2008年北京パラリンピックを目指している最中にやってきた。成績が伸び悩んでいた当時の自身を、こう振り返る。

「走っていて『結果が伴わないな』と分かっているレースでも、伴走者の方がガイドをしてくれる中で、私自身は何か困難なことがあった時に、逃げてしまう気持ちが出てくるような子だったんですよ。だから、逃げたい逃げたいっていう気持ちが行動や表情にも表れていたんだと思います」

 北京での日本代表権を手に入れる最後の選考レースだった。ウォーミングアップをしている時、伴走者からこんな声を掛けられた。

 逃げるな――。

「走りたくないっていう気持ちが出ていたんでしょうね。それを見透かされて、伴走者から叱咤激励ですよね。『逃げるな』って声を掛けられて、その時、涙を流しながらスタートラインに立って、涙を拭いながら最後まで走ったことは、今の人生にすごく繋がっています」

 日本代表にはなれなかったが、この時、泣きながらも最後まで走り抜いたことが、競技者として、そして人間として道下を大きく成長させてくれたという。

「仕事をやっていても逃げたいなと思ったり、苦しいなって思うことがあったりするけど、あの時に逃げないで走れたという経験は、その後の人生に役立っています。本当に、まだまだ競技者じゃないというか、趣味で走っていた子が、やっとアスリートに一歩近付けた瞬間でしたね」

選手と伴走者を繋ぐ伴走ロープ「そこから感じ取る感情の起伏はある」

 選手と伴走者を繋ぐ50センチの伴走ロープを“きずな”と呼ぶ人もいる。ロープは単に2人を繋ぐための道具ではなく、ちょっとした気持ちの変化や心のあり方さえ伝える信頼の証でもある。

「普段の練習でも、走っていて伴走ロープのたるみ具合で、伴走者が今日は練習に集中しているなっていうのが分かるんですよ。腕振りにしっかり合わせてくれたり、私が走りやすいように工夫してくれたりすると、その気持ちが伝わってくるので、多分、伴走者も同じことを感じていると思います。単に繋がっているものですけど、そこから感じ取る感情の起伏はありますね」

 感情が伝わるからこそ、伴走者とは真っ直ぐな信頼関係を築くようにしている。「私のわがままと捉えられることもあるんですけど……」と苦笑いをしながら、こう説明する。

「伴走者の方とは最初、練習をしてみて、どういう性格なのかな、どういう声を掛けてくれるのかなと、お互い様子を見ますが、人間同士の付き合いなので目が見えるとか見えないとか、だんだん関係なくなってきますよね。私たちには競技で結果を出すという大きな目標があるので、そこはお互い妥協しない部分もある。だんだん厳しくなってきて、私のわがままと捉えられることもあるんですけど、そこは競技へのこだわりということで(笑)。

 でも、結局言いたいことが言えない関係だと、あとで絶対にボロが出てくると思うんです。なので、毎回練習の後はミーティングをして、まずは良かった点を伝え合って、その中で『もっとこうしたら良くなるよね』と提案をしながら話し合うようにしています」

 ロープで繋がっている伴走者には「命を預けている」覚悟だという。走るということに関して、道下の感覚を「家族以上に熟知している」存在。そんな伴走者も含め、移動の支援、書類を読むことを含め情報収集の支援など、滞りなく競技生活を送れるようにサポートを続けてくれる“チーム道下”には感謝の気持ちでいっぱいだ。

「まだ夢の途中。東京では一緒に戦ってきた仲間と喜びを分かち合いたい」

 こんなこともあったという。初めて世界記録を樹立した2014年の防府読売マラソンは、道下が生まれ育った山口で開催された大会だった。

「多分、記録だけを見ると、2013年くらいから世界記録は出ていたんです。でも、日本に世界の公式記録として認定されるレースが少なくて。そこで、地元の防府読売マラソンが名乗りを上げてくれて、公式記録として認定されるようになり、実現した世界記録だったんです。みんなが記録を出せる大会を整備してくれたおかげで、世界記録として認定された。その達成感というか、一緒に道を切り拓いていく過程があったので喜びはひとしおでした」

 みんなで一緒に切り拓く。その感覚は東京パラリンピックを控えた今も変わらない。

「最初は私一人の目標だったのが、気が付いたら周りにたくさんの伴走者や支えてくれる仲間がいて、みんなの目標になっているんですよね。私がロープを持って走るけど、誰が欠けても達成できない目標。みんなに夢を見させてもらっています。ここまで一人では来れないし、できないことを考えたらたくさんありますもん(笑)。でも、まだ夢の途中。東京では一緒に戦ってきた仲間と喜びを分かち合いたいですね」

 東京パラリンピックで42.195キロを走り抜いた時、チーム道下が描き続けてきた夢が実現することを願いたい。(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)