今年のUSオープンは無観客試合。拍手も歓声もなかったが、大坂なおみは優勝を噛みしめていた。 試合後、一旦ベンチに戻ってラケットを置くと、アーサー・アッシュスタジアムのコート上に戻り、不意に仰向けに横たわって、約20秒間じっと空を見つめた.…

 今年のUSオープンは無観客試合。拍手も歓声もなかったが、大坂なおみは優勝を噛みしめていた。

 試合後、一旦ベンチに戻ってラケットを置くと、アーサー・アッシュスタジアムのコート上に戻り、不意に仰向けに横たわって、約20秒間じっと空を見つめた......。



2年前の初優勝の時よりも、精神的にも強くなった大坂なおみ

「彼ら(歴代チャンピオンたち)が眺めた空を、私はいつも見たかったんです。私にとっては、本当に信じられない瞬間でした。実現できて本当にうれしい」

 USオープン女子シングルス決勝で、第4シードの大坂は、ノーシードから勝ち上がって来たビクトリア・アザレンカ(27位、ベラルーシ)を、1-6、6-3、6-3で破って、2年ぶり2度目のUSオープン優勝を成し遂げた。

 実はこの対戦カードは、USオープンの前哨戦の決勝で実現するはずだった。その時は、大坂が左足ハムストリングのけがにより棄権したため実現しなかったが、あらためて好調な2人が決勝で対峙することになった。

 31歳のアザレンカは、2012年と2013年のオーストラリアンオープン優勝者で、元世界ナンバーワン。2013年USオープンで準優勝以来7年ぶり、そして母親になってからは初めてのグランドスラム決勝でのプレーとなった。

「第1セットではとてもナーバスだった」と硬さが見られた大坂とは対照的に、アザレンカは老練で冷静なプレーを披露した。ファーストサーブを着実に入れて、自らグランドストロークを展開し、大坂を左右に走らせてストロークミスを誘った。大坂は3度もサービスブレークをされて、ミスを13本犯し、わずか26分で第1セットを先取された。

 大坂は、ベンチでタオルを頭からかぶり気持ちをリセットしようとしたが、第2セット第2ゲームで、またも先にブレークを許し、0-2と厳しい状況が続いた。

 だが、第3ゲームでアザレンカは自らのサービスゲームで40-30から3本連続のストロークミスを犯し、大坂が初めてサービスブレークに成功した。大坂にとってはここがこの試合の分岐点となった。

 アザレンカは、第1セットのファーストサーブの確率が94%と驚異的に高かったが、第2セット以降少しずつ落ちていくと、大坂が深く鋭いリターンから攻勢に出られる場面が増えた。

 また、大坂は自分のサービスゲームでは、時速180km台の高速サーブだけに頼らずに、スライスやスピンなどの回転系サーブを駆使しながらストロークへと展開していき、これが功を奏して自分のリズムをつかんでいった。第2セットはミスを、わずか5本に抑えた大坂がセットオールに持ち込んだ。

 ファイナルセットでは、第4ゲームで大坂が先にブレークに成功して3-1とリードを奪ったものの、第5ゲームでは大坂のサービスゲームで0-40のピンチを迎える。

 決勝前に大坂は、優勝へ至るには何よりも自分次第であることを自覚して、こう語っていた。

「2大会(前哨戦とUSオープン)での私の目標は、精神的により強くなること、毎ポイントファイトすることです。正直、誰が相手かは問題ではありません。なぜなら自分自身の心の中へフォーカスするだけだからです。外側に答えを求めることはありません」

 大坂は劣勢に追い込まれていたものの、自分との戦いに勝ち、真骨頂を発揮すると、5ポイントを連取して第5ゲームの難局を乗り切ってみせた。アザレンカは第7ゲームをブレークバックして意地を見せるが、第8ゲームで大坂が再びサービスブレークして勝負の趨勢は決まった。

「本当に勝つことは考えていませんでした。ただ、競うことだけを考えて、最後に何とかトロフィーを手にすることができたのです」

 USオープンで3回目の準優勝に終わったアザレンカは、「彼女のゲームはとてもパワフル」と前置きして、「トップレベルでいいプレーをするための豊富な武器を持っている」と大坂を称賛した。

 女子ツアー屈指のサーブ力、得意のフォアだけでなくバックにも磨きがかかったグランドストローク、格段に進化したフットワーク、そして、安定したメンタル。落ち着いてプレーさえすれば、地力に勝っていたのは大坂であり、だからこそ、百戦錬磨のアザレンカを逆転して、ティファニー製のシルバートロフィーを手にすることができたのだ。 

「USオープンでプレーしたすべての試合から、たくさん学ぶことがありました」と振り返る大坂は、マルタ・コスチュク(137位、ウクライナ)との3回戦がターニングポイントだったと振り返る。

「マルタとプレーした時に、もっとも学んだことが多かったです。自分でひどい振る舞いだったと感じていましたから。あの時からよりポジティブにトライし続けようとしました。そして、それが自分にとってはうまく機能しました」

 失うものは何もない18歳のコスチュクに手を焼き、大坂は心を乱してラケットを投げてしまったが、そこから立て直して勝利を手繰り寄せた。

 そして、今大会、最大の難局を乗り越えて最終的に優勝に辿り着けたのは、やはりウィム・フィセッテコーチによる功績が大きい。

「(大坂に)あまりにも高すぎる期待値を設定するのが大きな間違いだった。正しいマインドセットで、選手を試合へ送り出すのが僕のコーチングです。勝つことばかりにフォーカスすると、物事は間違った方向に行きます。コートで必要なのは、試合へ臨む姿勢、ゲームプラン、ポジティブなエネルギー、これらがパズルを形成する一つひとつのピースとなって揃った時に、勝利はついてくるのです」

 フィセッテコーチは、大坂と臨んだ2回目のグランドスラムで早くも結果を出し、まさに"グランドスラム優勝請負人"の面目躍如となった。

 大坂はUSオープンの毎試合入退場時に、黒人人種差別に関連する事件で亡くなった黒人の名前がプリントされたマスクをつけていた。当初の目的どおり7枚のマスクを披露して世界中の人々に"気づき"を与えることもできた。そして、一連の人種差別への抗議活動が、「私をよりいい方向へプッシュしてくれた」という優勝への原動力になったのは間違いない。

 ちなみに人種差別に関する知識は、父親のレオナルド氏から話を聞いたり、ボーイフレンドのYBNコーデー氏から本を借りたりして得ていたそうだ。

 今回のUSオープン優勝によって大坂は、アジアで男女通じて初めて3個のグランドスラムタイトルホルダーとなった。

 2度目のUSオープン優勝によって、大坂はWTAランキングを3位へジャンプアップさせ、再び世界女王の座が見えてきた。

 そして、心技体すべての面で進化した"新しい大坂なおみ"を印象づけた。世界中の視線が集まったUSオープンの表彰式は、さしずめ"ニューなおみ"の誕生セレモニーのように思えたが、本人は意に介さない。

「"ニューなおみ"になれたとか、"オールドなおみ"なのかは考えていません。自分自身が進化できると考えるだけです」

 2年前のUSオープンで初優勝し、グランドスラムタイトルを初めて獲得した時から、大坂のプロテニスプレーヤーとしての運命の車輪は、テニスの神様に見出されたかのように大きく動き始めた。

 そして、今、再びニューヨークで、大坂なおみの新たな章が始まり、女子テニス界に新しい時代をもたらす、真の女王になるための道を力強く歩み始めた。