「信じがたいくらいにハイクオリティの試合だ!」「冗談みたいなレベル」 現地取材のできない今大会において、各国の記者や関係者たちが情報交換のため設置したグループチャットに、驚嘆の声が飛び交った。全米オープンで2年ぶりに決勝進出を決めた大坂なお…

「信じがたいくらいにハイクオリティの試合だ!」
「冗談みたいなレベル」

 現地取材のできない今大会において、各国の記者や関係者たちが情報交換のため設置したグループチャットに、驚嘆の声が飛び交った。



全米オープンで2年ぶりに決勝進出を決めた大坂なおみ

 全米オープン準決勝の、大坂なおみ対ジェニファー・ブレイディ(アメリカ)。

 降雨のため屋根が閉じられたセンターコートに観客の声はなく、風や日差しなどの不確定要素が入り込む余地もない。

 精神を研ぎ澄ませたふたりのアスリートが放つボールは、鋭く、深く、常にライン際をピンポイントでとらえていく。

 タイブレークに至った第1セットで、両者ともにブレークはなし。ブレークポイントすらブレイディがわずかにひとつ手にしただけで、大坂にはチャンスすら訪れなかった。ウイナー数ではブレイディが4本上回り、エラーの数は大坂が7本下回る。

 ふたりとも、プレーに揺らぎはない。精神的な乱れも皆無。緊迫感ただよう高質なその戦いで、第1セットを手にしたのは、2度目の全米オープンタイトルを狙う大坂だった。

 だが、セットを奪取した第4シードに、安心感はなかったという。

「主導権を握っている感覚は一切なかった。とにかく自分のやるべきことに徹しただけ。サービスゲームをキープし、タイブレークでも自分のサーブでポイントを取る。それができたけれど、正直、打ち合いを支配できたと思えた瞬間はまったくなかった」

 それが第1セットを終えた時、大坂が感じたことだった。

 事実、第2セットに入っても、両者のプレーの質は落ちない。その高質な打ち合いで、わずかなほころびを見つけ、均衡状態を打ち破ったのはブレイディだ。

 スピンをかけた重いフォアを左右に打ち分け、大坂を激しく振り回す。やや肩に力の入った大坂のフォアがラインを割り、第8ゲームでこの試合初のブレークが生まれた。

 かくして第2セットは、大学あがりの成長著しい25歳の手に渡る。

 最終セットを迎えた時点で、大坂にはブレークどころか、ブレークポイントすらない。総獲得ポイントは大坂がわずかに上回るが、ウイナーの数ではブレイディが上回っている。周囲の目には、試合展開は互角か、ブレイディのやや優勢と映ったかもしれない。

 だが、外部から見る者が抱く印象と、コートに立つ当事者の胸中や試合の本質には、時に乖離が生じることがある。

 大坂ですら「崩せない」と感じていたブレイディの強固なストロークは、本人にしてみれば、実は決して望んだプレーではなかったという。

「本当は、もっといろんなショットを織り交ぜていきたかった。でも、彼女のショットはあまりに強烈で、速かった。もっとフォアハンドで打ちたかったが、それもできていなかった」

 試合後にブレイディは、少しばかりの悔いをにじませ述懐する。

 たしかに準決勝までのブレイディは、ドロップショットやスライスも用いたショットバリエーションを披露し、危なげなく勝利を手にしてきた。それら多彩なショットで相手を崩し、得意の回り込みフォアでとどめを差すのが、ブレイディが最も得意とするパターンだ。

 準決勝でもそのスタイルを変えるつもりは、彼女になかったという。だが、大坂のショットスピードと精度が、ブレイディにそれを許さなかった。一見、バックのクロスの打ち合いは互角に見えるが、そこからストレートに打ち分ける展開力では、大坂が勝っていたのも事実である。

 スタッツの上ではわずかに上回るも、プレーに窮屈さを覚えていたのは、ブレイディのほうだったかもしれない。その圧迫感が、1本のやや意志を欠いたミスショットを生み、そのミスが試合の流れを決定づけた。

 第3セットの第4ゲーム。15−15の場面でブレイディが放ったバックはネットを叩き、続くバックの打ち合いでは大坂のショットがネットをかすめて、ブレイディのコートにポトリと落ちた。最後はブレイディのバックがラインを割り、大坂がこの試合初めてブレークを奪う。

 そしてこの日の大坂には、このひとつのブレークだけで、勝利へと走り切るに十分だった。試合時間は2時間8分。サービスウイナーで勝利を決めた瞬間、コートサイドで見ていたウィム・フィセッテコーチの口が小さく「ワオ」と動いた。

 今大会で最も厳しい戦いとなったブレイディ戦の最中、大坂の脳裏を幾度もよぎったのは、昨年1月全豪オープン決勝のペトラ・クビトバ(チェコ)戦だったという。

 あの時のクビトバの攻撃的姿勢と高質なショットが、ネットを挟むブレイディに重なる。同時に、自分があの試合をいかに制したかも、彼女は思い出していた。

 これまで戦ってきた数多の試合で、種々の相手の異なる球を打ってきた心身の記憶......。それらが真新しい対戦のなかでも生かされるのだと、彼女は言った。

 今大会の6試合すべてを戦ったセンターコートで、初めてグランドスラムの決勝に勝ち上がったのは、わずかに2年前のこと。だが、チャレンジャーの立場に身を置いたあの時と今とでは、同じ結果に含まれる意味合いや深みがまるで違う。

 その決勝の舞台で頂点をかけて戦うのは、母親となり、度重なるケガや親権を巡るトラブルをも乗り越えてきた、かつての世界1位のビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)。

 それぞれの道を歩み、キャリアの異なる地点でひとつのピークを迎えるふたりは、いずれも3度目のグランドスラムタイトルをかけて、全米オープン決勝の舞台で相まみえる。