>「大きな目標があるので、そこに揺らぎはないです。目指すのは攻撃的なテニス。前に出るのを増やしたい」 錦織圭がそう明言したのは、昨年5月。欧州で迎えたクレーコートシーズンの最中だった。コロナ感染を乗り越えてコートに帰ってきた錦織圭 緻密な組…

「大きな目標があるので、そこに揺らぎはないです。目指すのは攻撃的なテニス。前に出るのを増やしたい」

 錦織圭がそう明言したのは、昨年5月。欧州で迎えたクレーコートシーズンの最中だった。



コロナ感染を乗り越えてコートに帰ってきた錦織圭

 緻密な組み立てと勝負強さは錦織の持ち味だが、それらの特性は必然的に、試合時間の長さを招く。接戦の連続は心身のスタミナを削り取り、ゆえにトーナメント終盤に入ると、疲労の色を濃くすることも多かった。

 だからこそ錦織は、長い打ち合いを避け、ネット際でも多くポイントを決める攻撃テニスを標榜する。ネットプレーのリスクが高いクレーコートで、あえて自分の決意を測るかのように前に出る錦織の姿が、昨年晩春の赤土の上にあった。

 それから、1年と4カ月後......。

 錦織はオーストリアの赤土の上で、1年ぶりの実戦を戦っていた。

 ひじの痛みの抜本的な解決のため、悩んだ末にメスを入れたのが昨年10月。ツアーを離脱し、まさに復帰しようとしたそのタイミングで、新型コロナウイルスによる長期ツアー中断期に突入した。

 さらには、出場を予定していたウェスタン&サザンオープン開幕の直前に、新型コロナ感染が発覚。結果、全米オープンを含むハードコートシリーズはすべて欠場し、欧州のレッドクレーが再始動の地点に選ばれる。

 その復帰戦のコートサイドには、ノートを片手にメモを取る、新コーチのマックス・ミルヌイの姿があった。

 錦織が新コーチにミルヌイを招いたのは、これまでの錦織の一連の発言を思えば、極めて明確で自然な流れだと言える。

 41歳まで第一線で活躍し、2年前に引退したばかりのミルヌイは、196cmの長身から打ち下ろす高速サーブと、「ビースト」の異名を取るほどにアグレッシブなプレーがトレードマーク。6度のグランドスラム優勝に代表されるダブルスの活躍で名を馳せたが、シングルスでも最高18位に達した実績の持ち主だ。

 そしてなにより錦織にとっては、少年時代からその活躍を近くで見てきたIMGアカデミーの大先輩。まだ何者でもなかったころの錦織とボールを打ち、プロの世界を身近に感じさせてくれた存在でもある。

 先にも触れたとおり、長身でビッグサーバーのミルヌイのプレースタイルは、錦織とは対局にあるように思われる。

 だが錦織は、ミルヌイのテニスに「自分と似たところがある」と言った。それはおそらくは、テニスという競技への解釈や哲学、そしてゲーム性の理解度や、解を得るためのアプローチ法にあるのだろう。

 実際に、錦織がミルヌイのコーチとしての資質に興味を抱いたキッカケは、IMGアカデミーの後輩である望月慎太郎への指導にあったという。望月は決して大柄ではないが、得意のネットプレーを引っさげ、昨年のウインブルドンジュニアを制した17歳。その望月に臨時コーチとして助言を与えていたのが、ミルヌイだった。

 望月や錦織のみならず、ミルヌイはIMGアカデミーに留学した日本人練習生のほとんどが「最初に練習してくれたトップ選手」として名を挙げる人物である。

 彼が異国の少年たちの孤独に敏感なのは、英語も話せぬままベラルーシから渡ってきた自身の少年時代の心細さに根ざしているのかもしれない。またその時、彼のことをなにかと気にかけて世話をしたのが、当時寮長を務めていた日本人の練習生だった。ミルヌイが日本人に親近感を覚えるのも、そのような経験と無縁ではないのだろう。

 そのミルヌイを参謀として1年ぶりの復帰戦を戦う錦織は、まるで所信表明であるかのように、立ち上がりから攻めに攻めた。

 対戦相手はミオミル・キツマノビッチ(セルビア)。ビッグサーブとベースラインからの強烈なストロークを武器とする21歳だ。

 だが、錦織はひるまない。早いタイミングでフォアを左右に打ち分けると、浮いたボールは迷わずボレーやスマッシュで叩く。いきなりの5ゲーム連取は、彼が目指す地点を真っ直ぐに指し示すようだった。

 ただその後、錦織にやや息切れが見え始める。それに対し、キツマノビッチは落ち着きとストロークの威力を獲得しはじめた。

 セットを分け合い迎えたファイナルセット、錦織はより積極的にサーブ&ボレーを試みるが、疲れもあったかボレーの精度が落ちる。あるいは、ネットに詰めつつ見送った相手のリターンが、ベースラインを際どく捕える場面もあった。

 思い描くプレー像に、迷いはない。ただ、それを実現するには、まだ体力や勝負勘が伴わない......。それが、1年ぶりの実戦のコートに立つ錦織の現在地だろう。

「やはり、試合と練習は違う」

 試合後の錦織は、率直な思いを吐き出した。

「ブランクを感じた」「ショットの感覚がまだない」との言葉もあった。だがそれは、しびれる局面での選択や決断を重ねていけば、目指すプレーを体現できそうだとの手応えでもあるだろう。

「まだ実戦が必要。なるべく勝って試合数をこなしたい。それがこの3〜4大会で、一番大事になってくる」

 今季の目標はとくにないと言った錦織は、純粋なる試合への渇望を口にする。それら重ねた試合の先で出会えるのは、単なる以前の自分ではなく、新たな錦織圭であるはずだ。