心から愛する日本代表チームに対して抱いていた歯がゆさが、心躍らされる思いに変わった。ターニングポイントはホテルの一室でテレビを介して見た、オマーン代表との国際親善試合だったとDF長友佑都(インテル・ミラノ)は屈託なく笑う。11月11日にカシ…
心から愛する日本代表チームに対して抱いていた歯がゆさが、心躍らされる思いに変わった。ターニングポイントはホテルの一室でテレビを介して見た、オマーン代表との国際親善試合だったとDF長友佑都(インテル・ミラノ)は屈託なく笑う。
11月11日にカシマサッカースタジアムで行われたオマーン戦を、長友は体調不良で欠場している。もっとも、その2日前までは元気いっぱいに練習に参加し、6月9日のボスニア・ヘルツェゴビナ代表との国際親善試合以来となる代表戦出場へ意欲を見せていた。
長友佑都 参考画像(c) Getty Images
自身が不在だった間に幕を開けたワールドカップ・アジア最終予選で、日本代表は大苦戦を強いられていた。UAE(アラブ首長国連邦)代表との初戦で苦杯をなめ、イラク代表戦も後半アディショナルタイムに劇的な勝ち越しゴールが決まるまでは相手を攻めあぐんだ。
ピッチのなかではなく外から「らしく」ない戦いを続ける日本代表を見つめているとき、長友の心には悔しさ以外の感情が込みあげてきたという。
「何かこう歯がゆいというか、こういう気持ちもなかなかいままでは味わえなかったので。だからこそ、今回(の招集)はいままでにない自分の心境というか、強い思いというのはありますね」
何に対して歯がゆかったのか。ひとつは日本の戦力になれない自分自身に対して。9月シリーズは招集されながら右ふくらはぎのケガで辞退し、10月シリーズはイラク戦をベンチで見届け、いざ敵地でのオーストラリア代表戦へ向かう直前の練習中に脳震とうを起こし、無念の離脱を強いられた。
■負のスパイラルに陥ってしまったのはなぜなのか
通算3度目となるアジア最終予選で、ここまでチームを留守にしたことはない。だからこそ余計に応援へ力を込めたが、伝わってきたのはプレッシャーという十字架を背負い、精彩を欠く若手や中堅の姿だった。
「ワールドカップに行かなければいけないというプレッシャーを、選手たち一人ひとりが感じているというか。やっぱりチーム全体の躍動感というか、勢いといったものが落ちているのかな、という思いが正直あって。みんながサッカーを楽しんでいるのか、どうかと言ったらいいのかな。
そういうものがないと、対戦相手も怖さというものを感じないと思うので。日本代表がよかったときの躍動感というか、もう怖いものなしというようなメンタル的な状況をいま一度、一人ひとりがもって、チームを作っていかないとちょっと厳しいのかな、とは外から見ていて思いました」
長友佑都 参考画像(c) Getty Images
負のスパイラルに陥ってしまったのはなぜなのか。記憶をたどっていくと、ワールドカップ・ブラジル大会に行き着く。自分たちのサッカーをする、と大きな目標を掲げながら実際は何もできず、ひとつの白星も挙げられずにグループリーグで敗退。長友も人目をはばかることなく号泣した。
砕け散った自信。それでも、次なる戦いはすぐに訪れる。ハビエル・アギーレ前監督のもとで臨んだ昨年1月のアジアカップで、日本は準々決勝でUAEの前に敗退。連覇の夢を断たれ、アジア王者の肩書きを奪われたことで、自信を源泉とする躍動感はさらに失われていく。
アジアカップ直後に八百長疑惑の渦中にあったアギーレ前監督が実質的に解任され、新たにバヒド・ハリルホジッチ監督が就任。心技体のあらゆる面で日本代表が再建されている途上にあるからこそ、長友は声を大にして訴えかけたいことがあった。
「若い選手たちにはもっとガツガツと、僕らが代表に入ってきたときみたいにやってくれればいいかなと思っていて。遠慮なんてしなくていいから、自分が本当に中心になるくらいの思いで、日本代表を引っ張ってやるんだ、というギラギラしたメンタルをもってほしいんです。
そういうメンタルは、必ず彼らを成長させる。僕自身もそうだったし、(本田)圭佑もオカ(岡崎慎司)も、同世代の選手たちは代表に初めて入ったとき、絶対に上り詰めるんだというギラギラした思いを常に抱いていたから。もちろん、いまでもみんな抱いているんですけどね」
■「必ず世界一のサイドバックと呼ばせてみせます」
当時の岡田武史監督に抜擢され、長友が国際Aマッチデビューを果たしたのは2008年5月24日。豊田スタジアムで行われた、コートジボワール代表との国際親善試合だった。
左サイドバックで先発すると、たとえるなら「火の玉」のような上下動と旺盛な闘争心で暴れ回り、駒野友一(当時ジュビロ磐田、現アビスパ福岡)をはじめとする先輩選手たちから一気にポジションを奪った。
2008年5月24日の日本対コートジボワール 参考画像(c) Getty Images
2008年、国際Aマッチデビュー間もない長友佑都 参考画像(c) Getty Images
無名の存在からの、まさに痛快無比な下剋上。その原動力こそが「ギラギラした思い」だった。当時の長友は、明治大学政治経済学部4年生に籍を残したまま、体育会サッカー部を円満退部してFC東京とプロ契約を結んだばかりだった。
Jリーガーになるのを急いだ理由のひとつに、女手ひとつで自身と姉、そして弟を育て、3人全員を私立大学へ通わせてくれた母親の美枝さんを、少しでも早く楽にさせてあげたいという親孝行の思いがあった。実際、当時の取材ノートなどを読み返すと、長友のこんな言葉があった。
「必ず世界一のサイドバックと呼ばせてみせます」
意志あるところに道は開ける。左サイドバックのレギュラーを不動のものとし、ワールドカップ・南アフリカ大会での大活躍を経て、FC東京からセリエAのACチェゼーナ、そして名門インテル・ミラノの一員に瞬く間に駆け上がっても、ギラギラした思いはますます燃え盛っていく。
同じ1986年生まれで、北京五輪世代でもある本田圭佑(当時CSKAモスクワ、現ACミラン)、岡崎慎司(当時清水エスパルス、現レスター・シティ)も然り。現状に満足することなく、貪欲に「成長」の二文字を追い求めていく姿勢が、日本代表においてはいつしか「厚い壁」となった。
長友佑都(左)と原口元気 参考画像(c) Getty Images
挑む者と挑まれる者。若手や中堅とベテランが切磋琢磨の火花を散らし合っていく過程で、代表やクラブに関係なくチームは成長していく。ときは流れて30歳となり、挑まれる立場となった長友は、突き上げあれる状況を望む本音を、ベテラン勢の総意として代弁している。
「遅かれ早かれ突き上げられるときは来るし、若い選手が出てくることによって僕らも刺激を受けて頑張ることができる。僕らがポジションを奪ってきたように、若い選手たちがそうしていかないと。30歳を超えた選手が何人も、何年も出ている点で世代交代、底上げがうまくいっていない証拠でもあると思うので。
そういう状況は、日本サッカー界にとってもよくないこと。もちろん長く代表でプレーさせてもらっている選手が、その経験から来る落ち着きをもたらすことも大切だけど、僕たちを押しのけるような選手がどんどん出てこないと、世界の舞台で勝つためには厳しくなってくるので」
決して上から目線で物事を言っているわけではない。ポジションは与えられるものではなく、自らの力で奪い取るもの。本来ならば頻繁に起こるべき新陳代謝を長く欠いてきたことで、日本代表に脈打ってきた躍動感までが失われはじめ、いま現在に至ってしまった。
その意味では、試合前日に体調を崩し、ベンチ入りメンバーからも外れる事態を余儀なくされたオマーン戦は、長友にとっても無念だったはずだ。実際、長友はオマーン戦へ向けてこんな青写真も描いていた。
「僕たちもいま一度、ギラギラしたものを心の底から出す気持ちが大事かな。そういうベテランを見ると、若い選手たちもまたついてくるだろうと思うので」
■「若い選手たちが躍動しているのを見て、すごく嬉しい気持ちになりました」
果たして、宿泊していたホテルで静養しながら、テレビ越しに見たハリルジャパンでは、2ゴールをあげた26歳のFW大迫勇也(1.FCケルン)を筆頭に、それまでなかなか出場機会を得られなかった選手たちが躍動していた。長友の胸中に巣食っていた歯がゆさは、瞬く間に駆逐された。
「若い選手たちが躍動しているのを見て、すごく嬉しい気持ちになりました。僕らが初めて代表に入ってきたときのような生き生きとした、ギラギラした気持ちが多くの選手に見られたのが嬉しくて」
大迫勇也 参考画像(c) Getty Images
画面の向こう側から刺激をもらった。発熱もすぐに吹き飛ばされた。歯がゆさの代わりに芽生えたのは真っ赤な闘志。オマーン戦翌日の12日には元気に練習復帰した長友は、その後の練習を通じて、中3日で迎える15日のサウジアラビア代表とのワールドカップ・アジア最終予選第5戦の先発を射止める。
キックオフ前の時点で、勝ち点10でグループBの首位を走るサウジアラビアに対して日本は同7の3位。ホームの埼玉スタジアムで一敗地にまみれるような事態になれば、2位以内の国が自動的に獲得できるワールドカップ・ロシア大会行きの切符が遠くかすんでしまう。
まさに勝利だけを求められる、崖っぷちといってもいい状況に追い込まれたことがチーム内、特にチャンスに飢えていた若手や中堅のギラギラした思いを呼び起こしたのだろう。
それは危機感と置き換えても、意味が通じるかもしれない。キックオフ直前。香川真司(ボルシア・ドルトムント)に代わってトップ下を託された27歳の清武弘嗣(セビージャ)へ、大迫はこんな言葉をかけている。
「今日は俺らが頑張らないとダメだね。ここでやらないと、俺らは終わりだね」
与えられたチャンスを逃してなるものか、という執念にも似た思い。特に顔ぶれが一新された前線の選手たちからほとばしる思いをひしひしと感じながら、長友はオマーン戦で得た確信をさらに強めていた。
「厳しい試合になると思っていたけど、躍動している前の若い選手たちを見ていると『今日は勝てるな』という感覚が自分の中にあった。コイツらとやっていれば大丈夫だ、この試合は絶対に勝てると」
目の前の左ウイングでは、25歳の原口元気(ヘルタ・ベルリン)が攻守両面で鬼気迫るプレーを見せていた。ギラギラした思いを見せた若手や中堅の筆頭格で、その一挙手一投足で見る側の胸を震わせていたダイナモの背後で、長友はフォローする役割に徹する。
原口元気 参考画像(c) Getty Images
そして、1点のリードで迎えた後半35分。後半開始から出場した本田が左サイドに流れ、タッチライン際で長友とパスを交換。抜け出した長友のクロスを、これも途中出場の香川がヒールに当ててコースを整え、走り込んできた原口がアジア最終予選で4試合連続となるゴールを決めた。
結果的に決勝点となり、日本を2位に浮上させる一撃に、何よりも原口が雄叫びをあげるまでに至った過程に、長友はかつてない手応えを感じていた。
「僕、圭佑、(香川)真司が関わって、最後に(原口)元気が取るというのが素晴らしかったんじゃないかな。圭佑や真司が取るのではなく、僕たちが作って最後に元気が点を取るというのは、うん、何か感慨ものがあるというか、素晴らしい攻撃だったと思う」
■若手や中堅にとって厚い壁であり続ける
世代交代は一気に進まない。挑む者と挑まれる者が、必ず重なり合う場面が訪れる。それが原口のゴールに至る過程だとすれば――。日本代表のなかで再び脈打つようになった躍動感に導かれるかのように、長友は自分の心がわくわくしてくるのを感じずにはいられなかった。
「自分たちがやっていることをしっかりやれば、僕は結果が出ると信じている。今日の内容は自分たちの自信になったと思う」
日本へ向かっていた機内とはまったく異なる思いを抱きながら、サウジアラビア戦から一夜明けた16日、長友はミラノへと戻っていった。25歳の酒井高徳(ハンブルガーSV)を筆頭に、左サイドバックのポジションに挑んでくる若手や中堅にとって厚い壁であり続けてみせる。
長友佑都 参考画像(c) Getty Images
その先に待つロシアの地での戦いを見すえながら、まずは日本滞在中に就任した今シーズンで3人目の指揮官、ステファーノ・ピオーリ監督へ先発復帰をアピール。気がつけば7シーズン目を迎え、最古参の選手となったインテル・ミラノでの完全復活を目指す。
サッカー日本代表の長友佑都 参考画像(2016年11月15日)(c) Getty Images
サッカー日本代表の長友佑都(左)と原口元気(2016年11月15日)(c) Getty Images
サッカー日本代表の長友佑都 参考画像(2016年3月24日)(c) Getty Images
日本代表対コートジボワール代表 参考画像(2008年5月24日)(c) Getty Images
国際Aマッチデビュー間もない長友佑都(2008年5月27日)(c) Getty Images
長友佑都 参考画像(2016年4月23日)(c) Getty Images
サッカー日本代表の大迫勇也 参考画像(2016年11月11日)(c) Getty Images
サッカー日本代表の原口元気 参考画像(2016年11月15日)(c) Getty Images