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関連記事はコチラ>>羽生結弦を追う次世代エース。鍵山優真、佐藤駿が勢力図を変えていく
『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅱ部 高め合うライバルたちの存在(1)
数々の快挙を達成し、男子フィギュア界を牽引する羽生結弦。その裏側には、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。
激闘の末に優勝した2012年全日本選手権、フリーで演技する羽生結弦
羽生結弦は、2010−11シーズンに15歳でシニアへ移行した。彼がまず目標にしたのは、世界トップレベルで競り合っている日本選手に追いつき、そして追い越すことだった。
当時、髙橋大輔や織田信成、小塚崇彦らが世界を舞台に結果を残していた。07年世界選手権で日本男子史上最高位の2位になった髙橋は、10年バンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、その1カ月後の世界選手権では優勝。12年の世界選手権は2位だった。小塚は11年世界選手権で2位になり、織田はグランプリ(GP)ファイナルで09年と10年に2位と実績を上げた。
追いかける羽生は、シニア初シーズンの11年四大陸選手権で2位に入ると、翌年は初出場の世界選手権では3位。そんな日本男子が勢いを見せつけたのは、12年GPファイナルだった。GPシリーズで上位成績を残すことが条件の出場枠6人のうち4人を、羽生のほか、髙橋、小塚、町田樹が占めたのだ。
この大会、ショートプログラム (SP)は1位髙橋と2位パトリック・チャン、3位羽生、4位小塚が5.90点差の中にひしめき合う接戦。そしてフリーは、1番滑走で羽生の練習仲間でもあるハビエル・フェルナンデス(スペイン)が、6年ぶり史上4人目となる4回転3本を決めるノーミスの滑りを見せ、178.43点の高得点獲得で合計258.62点として一気にレベルを上げた。
そうした中で羽生は、4回転サルコウでミスはあったが、合計を自己ベストの264.29点とした。さらに、髙橋も転倒はありながら、合計を269.40点にし、日本男子初のGPファイナル制覇を果たしたのだった。
優勝した髙橋は、「ジャッジが評価してくれたのはうれしいが、課題が残る結果だった」と話し、他の選手との比較をこう自己分析していた。
「パトリックの芸術要素のすごさ、そして終盤になればなるほどスピードが上がっていくスタミナ。また、羽生くんのきれいに着氷する4回転も参考になります。自分に足りないものを知り、それを自分に合った手法で追求するのも、他の選手に負けない速度で進化するために必要だと思います」
対して、2位の羽生は「SP、フリーともに1番がなかったのが悔しい。五輪に出るなら、勝ちを狙っていかなければダメだと思います」と反省の弁を口にした。
若く勢いのある羽生と円熟の髙橋。日本男子のレベルを世界の頂点へ押し上げていくような二人の戦いは、2週間後の全日本選手権でさらに激しい火花を散らす。
NHK杯とGPファイナルに続く、このシーズン3度目の羽生と髙橋の対決は、過去2戦以上にハイレベルなものになった。
SPを先に滑ったのは髙橋だった。GPファイナルと同じ演技構成の冒頭、4回転トーループは回転不足となったが、その後は立て直して、終盤は持ち前の表現力の高さを発揮。ステップでは7人の審判全員から出来栄え点(GOE)で最高の3点の加点をもらう圧巻の演技だった。4回転を成功させたGPファイナルの得点には及ばないものの、88.04点を獲得してこの時点で髙橋がトップに立った。
一方、前年の大会でSP最終滑走者となりプレッシャーに押し潰されそうになっていた羽生だが、この大会はその力を遺憾なく発揮した。
演技前の6分間練習は「緊張感と不安に襲われた」という羽生だが、最初の4回転トーループを完璧に決めると勢いに乗った。各要素を丁寧にこなし、GOEは、2点と3点でほぼ埋められる上々の出来。演技の迫力が、そのままリンクを支配する緊迫感となって観客席まで伝わってくるような密度の濃い2分40秒間だった。GPシリーズで連発した世界歴代最高得点を(国際大会ではないため)非公式ながらもさらに上回る97.68点を出して髙橋を抜きトップに立った。
「昨年(11年)、最終滑走でダメだったイメージが残っていたので緊張したし、6分間練習も今までにないくらいダメだったので......。得点にはびっくりしています。緊張している中でもああいう演技ができたのがうれしい」
前季は失敗を繰り返していたSPを、このシーズンではGPシリーズ初戦から確実に得点を伸ばしてきて、自信を深めた。
SPで9.64点の大差がついた二人の戦いだったが、翌日のフリーで最終組第1滑走者の髙橋が攻めた。
「ショートで点差をつけられた悔しさや全日本独特の緊張感もありました。でも、あそこまで開いたら思い切りやって最高のパフォーマンスをするしかないと思っていました」という髙橋は、最初の4回転トーループを成功させると、続く4回転トーループはわずかに回転不足ながらも2回転トーループを付けて連続ジャンプにすることに成功した。
その後の演技については「テンションが上がり過ぎてステップシークエンスでも要素をいくつか飛ばしてしまったし、終盤のコレオシークエンスには早いタイミングで入り過ぎました......。恥ずかしかったけど適当な動きでつなぎました(苦笑)」と話すが、その気迫が会場を巻き込む演技となった。
最後は「細かなミスがあって完璧ではなかったけど、4回転を2本成功させ、思い切り滑りきることができた」と、両手を3回も突き上げるガッツポーズでプログラムを締めくくったのだ。
髙橋のフリー得点は192.36の高得点。合計得点も280.40点というハイレベルなものにして羽生へプレッシャーをかけた。
だが、羽生はその重圧に負けなかった。
冒頭の4回転トーループで着地の重心が後方に行き過ぎながらもこらえ、続く4回転サルコウでは尻が大きく沈んで「あわや転倒」の状態をしのいだ。そこで力を使い、中盤のステップシークエンスからはスピードが落ちたものの、最後まで丁寧な演技で乗り切った。
羽生は技術点では髙橋を0.49点上回ったが、芸術点ではすべての項目で9点台中盤から後半を出した髙橋に6.30点及ばず、フリーでは2位だった。
しかし、総合点は髙橋を4.83点抑えて全日本選手権初優勝を果たした。
2012年全日本選手権で優勝した羽生結弦(中央)、2位の髙橋大輔(左)、3位の無良崇人
「ファイナルでサルコウをパンクした(4回転が2回転になった)のが悔しかったですが、今回はそれを克服できました。全日本選手権の舞台で表彰台の真ん中に上がれたことに興奮しました。ただ、フリーで2位になったのは悔しいですね。今までずっと先輩たちを追いかけてきたけど、フリーで負けたから実力的にはまだ抜いていないと思います」
こう話す羽生は、このシーズンをソチ五輪へ向け、自分のプログラムを作り上げるためのシーズンと捉えていた。
「体力的にはまだ足りないと感じている」と言うように、SPで完璧な演技を作り上げているのに比べ、演技時間が長いフリーは、各要素をこなすのが精一杯という状態で、完成度はまだ低かった。しかしNHK杯よりGPファイナル、そしてGPファイナルより全日本選手権と、短期間のうちに着実に進歩していることも確かだった。
さらなる進化の途上にいた羽生は、全日本初制覇におごることなく次のステージへ視線を向けた。
「カナダに戻って(ブライアン・)オーサーコーチとしっかり話し合いながら練習をしていきたいです。コーチには『全日本はもちろん狙うが、このシーズンで一番調子を上げなければいけないのは世界選手権だ』と言われているから」
さらにこのシーズンの成長の要因も、「オーサーコーチは試合までのペース配分がすごくうまい。練習でそれぞれの要素をやる回数も決め、『これはそれ以上やると悪くなるから、次の要素の練習にしよう』とコントロールしてくれる。おかげで効率も上がっているし、力もついているのだと思います」と話し、今後にも自信をのぞかせた。
「芸術点も今回高い評価をしてもらえましたが、自分としてはまだまだだと思っていますし、その評価に匹敵するスケーティングや表現力まではいっていない。その点数を、しっかりと自分の力で出せるようにしていきたいです」
髙橋が「今後は、トーループだけではなく2種類の4回転ジャンプを入れられるようにしたい」と話すと、羽生は「4回転ジャンプを3種類跳べるようにしたい」と微笑みながら、さらなる向上を目指していた。
羽生の急激な進化は、世界の頂点を究めようとする日本男子フィギュアスケートにとって強力な推進力になっていた。
(つづく)
*2012年12月配信記事「別次元の戦い。羽生結弦と高橋大輔が生み出す頂点への推進力」(web Sportiva)を再構成・一部加筆
【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。
折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。