向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第8回:魁聖(2) 4カ月ぶりの本場所開催となった大相撲七月場所。本来なら愛知県名古屋市で行なわれるはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場を東京・両国国技館に変更して開催された…



向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第8回:魁聖(2)

 4カ月ぶりの本場所開催となった大相撲七月場所。本来なら愛知県名古屋市で行なわれるはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場を東京・両国国技館に変更して開催された。観客も従来の4分の1 となる2500人までとし、厳戒態勢のなかで15日間を無事に乗り切った。

 全力士たちが「不要不急の外出禁止」を言い渡されるなか、「僕はインドア派だから、自粛はさほど苦にならなかったですね」と語るのは、身長195cm、体重201kgという恵まれた体格を誇る魁聖だ。サンバやサッカーにはあまり興味がないというが、現在、ブラジル出身の唯一の関取である。そんな魁聖の、これまでの相撲人生に迫る--。

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 2006年7月、名古屋場所(7月場所)中に僕は力士になるために日本にやって来ました。まず東京の部屋に行って、それから新幹線で部屋のみんながいる名古屋に向かいました。日本に着いた時はとにかく暑いなと思いましたね。ブラジルも暑いけど、カラッとして過ごしやすいんですよ。

 友綱部屋の名古屋宿舎に行って、さらにビックリしました。だって、ずっと憧れていた魁皇関が部屋にいるんだから......。僕、誰が何部屋所属とか知らなかったものだから、「魁皇がいる、魁皇だ!」って、軽いパニック状態でしたよ(笑)。

 でも、当時はほとんど日本語を喋れなかったので、魁皇関にも(ポルトガル語で書かれた)紙を見ながら「こんにちは」と言っていたくらいでした。

 ブラジルでは、お祖母ちゃんが家で普通に日本語を喋っていたんですね。それで、僕自身、少しは日本語を理解しているつもりでした。

 でも、あとでわかったことなんですけど、お祖母ちゃんが話していたのは、名古屋訛りの日本語だったんです。おかげで、日本に来てみたら、全然使えなかった。ブラジルにいた頃、もっと真剣に日本語をやっていたら、違っていたかもしれないですね。

 四股名は、師匠(友綱親方=元関脇・魁輝)や魁皇関の「魁」と、キリスト教徒を意味する「聖」で、魁聖。下の名の「一郎」は、お祖父ちゃんの名前をもらいました。

 こうして、その年の秋場所(9月場所)、初土俵を踏んだ僕は、序ノ口、序二段を1場所で通過して、三段目も7場所でクリア。21歳で幕下に昇進したんだけど、幕下の壁はなかなか厳しかったなぁ......。

 不自由だった日本語のほうも、同じ部屋の魁ノ浜さんに助けてもらいながら、少しずつ覚えていきました。でも2人で、ポルトガル語で喋っているところを親方に見つかって、怒られたこともありました。

「日本語を覚えないとダメだ!」って、親方が口を酸っぱくして言う意味がわかったのは、入門から3年くらい経った頃でしょうか。

 師匠や兄弟子が相撲や生活の面のことで、僕にいろいろと注意するわけですよね。日本語を覚えていないと、その意味がわからない。なんで怒られているのかさえ、わからない。その結果、一方的に責められていると勘違いして、辞めていった外国人力士がたくさんいる。親方は、そうならないように気遣ってくれていたんですね。

 友綱部屋は人数が少なくて、アットホームなところだったし、力士同士の仲がよかった。みんなで僕のことをフォローしてくれたから、「辞めよう」と思ったことはなかったですね。



来日した当時のことについて語る魁聖

 幕下には2年ちょっといました。転機になったのは、2009年秋場所、幕下46枚目で7戦全勝したことです。決定戦で負けちゃって、優勝はできなかったんだけど、この全勝で翌場所の番付が一気に6枚目まで上がった。

 これは、大きかったですね。おかげで、2010年は初場所(1月場所)から3場所連続で勝ち越して、名古屋場所での新十両昇進が決まりました。

 今までブラジル出身者は、ブラジルでお世話になった黒田吉信さんも含めて、何人か十両に上がっているんです。だから、僕のとりあえずの目標は十両昇進だったんですね。これで、「みんなに追いつけた!」ってうれしかったし、関取になったことで大部屋を出て、個室をいただいたこともよかった。

 ひとつ残念だったのは、十両に昇進した名古屋場所が角界の不祥事(野球賭博問題)で、NHKによる大相撲中継がなかったことです。新十両力士は、放送の中で「新十両紹介」というインタビューを受けるんですが、それもなし。だから、っていうわけじゃないけど、早く幕内に上がりたいという気持ちは強かったです。

 九州場所(11月場所)では十両優勝を果たして、「次の初場所、幕内に上がれるかな?」と期待していたけれど、東十両筆頭で止め置かれてしまって......。ちょっと腐りかけていたけど、最低でも8勝、「勝ち越せば、上に上がれるんだ」って気持ちを切り替えて、なんとか8勝したんです。

 春場所(3月場所)では、ついに幕内力士として土俵に上がる。ブラジルの人たちにも、テレビで見てもらえる!--そう思って心躍らせていました。

 ところが、八百長問題のため、2011年の春場所は中止となり、東京に居残っていた僕たちは、3月11日に東日本大震災に遭うのです。本当に大変な時期でした。世の中から、相撲という存在も忘れられているようでしたが、甚大な被害を考えれば、当然のことかもしれません。

 それでも、しばらくして稽古が再開され、夏場所(5月場所)は「技量審査場所」として開催されました。実はこの時もテレビ中継がなくて、僕は新入幕も、新十両も、特殊な場所で迎えているんですよね。

 でもこの場所、僕は初日から9連勝。10日目以降は、番付上位の豪栄道関や鶴竜関との対戦が急遽組まれました。結果的に10勝5敗だったんですが、敢闘賞をいただくことができたんです。

 そして、さらにうれしいサプライズが待っていました。優勝した白鵬関の優勝パレードの旗手を務めさせてもらったんです。

 オープンカーに乗って、国技館前に集まった人たちに笑顔を振りまく白鵬関。その横で、僕も優勝したかのようなうれしい気分になったことを覚えています。ここまでがんばってきたからこそのご褒美なのかもしれない......と思いました。

(つづく)

魁聖一郎(かいせい・いちろう)
本名:菅野リカルド。1986年12月18日生まれ。ブラジル・サンパウロ出身。友綱部屋所属。恵まれた体格と迫力ある寄り、押しで土俵を沸かせる。ゲームやマンガ、アニメが好きなインドア派で、コーラとお肉が好物。2014年に日本国籍を取得。2020年秋場所(9月場所)の番付は、西前頭12枚目