2020年2月末に現役引退を表明したマリア・シャラポワ(ロシア)。ところが最近、ソーシャルメディア上に連日激しいトレーニング動画を投稿しているせいで、ファンやメディアの間では現役復帰の噂もささ…

2020年2月末に現役引退を表明したマリア・シャラポワ(ロシア)。ところが最近、ソーシャルメディア上に連日激しいトレーニング動画を投稿しているせいで、ファンやメディアの間では現役復帰の噂もささやかれている…。シャラポワは現在33歳。先輩たちの成功例を見る限り、まだまだ年齢的に遅くはない! 今回は、現役を退きながらも、テニスへの愛に動かされてもう一度(時には二度)コートに戻ってきて成功を収めた人たちを紹介しよう。【写真】投資した商品でトレーニングするシャラポワ

■マルチナ・ナブラチロワ 50歳目前のハッピーエンド

「ありがとう、ありがとう。きっとこのスポーツが恋しくなることでしょう。でも次の人生を始める準備はできています」

1994年末、こんなスピーチと共に、38歳になったばかりのマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)は現役を引退した。1973年のデビューから22シーズン。グランドスラムではシングルス18タイトル、ダブルス31タイトルを獲得し、332週にわたってシングルスで世界1位に君臨した。ひとつの時代の終わりだった。

ただし、これは1度目の引退に過ぎない。6年後の2000年、ナブラチロワは再び競技の世界へと帰ってきた。43歳で!

この時、本人はあくまでも「復帰ではない」と主張した。理由はシングルスでシーズン通して戦うわけではなく「ダブルスをたまにプレーするだけだから」。その「たまに」で、女子ダブルス12タイトルを手にし、2003年「フェドカップ」(国別対抗戦)では準優勝メンバー(決勝では自らのダブルスに勝利)となったわけだ。しかもミックスダブルスでは2003年の「全豪オープン」と「ウィンブルドン」、2006年の「全米オープン」を制し、自らのグランドスラムタイトルをさらに3つ増やしてしまった!

そして2006年「全米オープン」ミックスダブルスの表彰式が、ナブラチロワにとって2度目の引退セレモニーとなった。人生最後の優勝スピーチで、ナブラチロワはこう観客に呼びかけた。

「信じさえすれば、年齢に関係なく、素晴らしいことを達成できるんです。“そんなのできない、だって年を取りすぎているから”なんて言葉で制限をかけてしまわないで。制限自体がなんであれ、そんなものであなたを縛らないで。私は自分に限界なんか設けなかった」

この5週間後に、ナブラチロワは50歳の誕生日を迎えた。

■マルチナ・ヒンギス 3度目でついに完全燃焼

「試合が、テニスの世界最高峰のレベルで戦うという挑戦が、恋しかった」

足首の怪我のせいで早熟なキャリアを2003年に22歳で終えねばなかったことに、マルチナ・ヒンギス(スイス)はずっと消化不良を抱いていたという。だからこそ「健康維持」と「トッププレーヤーと対等に戦う」ことの両立を目指して、2006年1月、再びコートへと戻ってきた。「私の前にはまだまだ素晴らしい年月が待っている」と強く信じて。

残念ながら、2度目のキャリアはたった2シーズンで打ち切られてしまう。引き金は2007年の「ウィンブルドン」でのコカイン陽性反応。「禁止薬物を使用したことなどない」と潔白を主張すると共に、「現状と年齢、それに腰の問題を考えて、もう二度とプロとしてテニスをプレーしないことを決めた」と怒りに任せて引退さえ発表してしまったのだ。

とはいえ、この時点でまだ27歳。再びテニスへの情熱を取り戻すのに、それほど時間はかからなかった。ただ、すぐに行動に移せたわけではない。2013年に2度目の復帰を果たした直後、こんな風に告白している。

「この5年間ずっと(復帰を)考えていた。でも今まで勇気が持てなかった」

16歳3ヶ月でシングルスにおいて初のグランドスラムタイトルを手に入れ、16歳6ヶ月という史上最年少で世界ナンバー1に上り詰めた天才は、しかも楽しむために帰ってきたわけではない。女子ダブルスの層が少々薄くなっていることに目をつけ、「戦いはオープンだ」と察知したからだ。

まさしく予感は的中。1度目の現役復帰時にはたった1つしか取れなかったグランドスラムタイトル(2006年「全豪オープン」ミックスダブルス)を、2度目は10個もさらう快進撃(女子ダブルス4、ミックスダブルス6)。しかも生まれて初めてのダブルス年間世界1位さえ勝ち取った!

「こんな終わり方をすべてのアスリートが夢見ているんです。でも、これはさよならではありません。時々はどこかに顔を出しますよ!」

もはや悲しみや怒りはなかった。2017年「WTAファイナルズ」で、37歳のヒンギスは、晴れやかな笑顔でファンに3度目の引退を告げた。偉大なるテニスプレーヤーにふさわしい幕引きだった。

■伊達公子 再びテニスに恋して

「若手の刺激になりたい。私の実績を越える選手が出てきてほしい」

12年の空白を破り、こうして伊達公子は、2008年に37歳でプロの世界に戻ってきた。

第1の現役時代には「日本女子史上初の快挙」を次々と成し遂げ、世界ランキング4位まで上り詰めた。しかし、1996年に25歳で突然の現役引退。後年メディアに告白したように、テニスのすべてが嫌になっていたという。また「(海外で戦い続ける)精神力やそれを受け止める器がなかった」とも、2度目の引退時に振り返っている。

コートに帰ってきてからの伊達は、再び海外転戦の日々を始めた。そもそも国際ツアーに復帰するつもりなどなかったのに、国内で勝ち、ランキングが上がり、いつしかグランドスラムの大舞台へも舞い戻った。さらには「テニス界で史上初」記録をどんどん更新していく。40歳を超えて世界トップ10を破ったのはWTA史上初であり、42歳での「ウィンブルドン」3回選進出も史上最年長だ。2009年、38歳11ヶ月30日での「韓国オープン」優勝は、WTAツアーシングルス優勝としては残念ながら史上2番目の年長記録だったけれど。

2度目は9年半戦い続けた。2017年8月の引退会見では、きっぱりとテニスへの愛を語った。

「やっぱり私はテニスが好きで、スポーツが好き。再チャレンジを始めてからは、本当にツアーが楽しかった。勝つことだけが目的ではなかったし、結果につながることだけが達成感をもたらすものではなかった。これは37歳で再チャレンジを始めてから、初めて感じられたこと」

■キム・クライシュテルス 強くて綺麗なママを目指して!

最初のキャリアではグランドスラムのシングルスタイトル1つ、2度目のキャリアでは同3つ。

キム・クライシュテルス(ベルギー)はすでに十分なほどの成績と名誉を手にしてきたはずだ。2017年にはテニス界の殿堂入りさえ果たした。それでも、もう1度テニスをしたいという気持ちは、抑えられなかった。

「もはや何かを証明したいという感情はない。私にとって大切なのは挑戦。“50歳になる前にニューヨークマラソンを走りたい”って言っている友達がいるけど、私はやっぱりテニスがしたい。テニスが好きでたまらない」

怪我に苦しみ、23歳だった2007年に1度目の引退。その後、結婚・出産を経てわずか2年でプロの世界に戻ってきたが、復帰から3年後の2012年に再び引退を決めた。理由はテニス「以外」の様々な義務や人間関係に疲れたから。元バスケットプレーヤーの夫や愛娘とゆっくり過ごす時間が減ったのも大きなストレスだったらしい。

2度目の引退をしてからは、私生活を大切にしてきた。家族もさらに2人増えた。母国ベルギーでテニスアカデミーを開き、地元テレビ局のためにテニス中継で解説を務めて…。実はこのテレビの仕事が、クライシュテルスの意欲を掻き立てた。2歳年上のセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)やロジャー・フェデラー(スイス)の活躍に触れるたびに、「私も試すべきなんじゃないのか」との思いを日々強めていく。

最終的には、長女の言葉が背中を押した。2019年5月に「ウィンブルドン」の第1コート開幕式に招かれたクライシュテルスは、3つ年上でいまだバリバリの現役、ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)とセレモニーマッチを戦った。それを見ていた11歳のジャダちゃんが一言。「ママ、彼女より10歳老けて見えるよ。競技に戻らなきゃ」と。

「もしかしたら1試合も勝てないかもしれない。それでも全力を尽くすつもり」

2020年1月、36歳での再出発。初戦2試合で敗北した後、新型コロナウイルスによるシーズン中断を余儀なくされたが、それでも決意は揺るがなかった。むしろ、その中断期間に夫の母国アメリカに家族で移住しており、テニスと家庭の両立を目指す気は満々だ。「2度目の復帰時とは違う。私はより成熟した大人になったから」と語るクライシュテルスに、もはや迷いはない。

(テニスデイリー編集部)

※写真は左からナブラチロワ、ヒンギス、伊達、クライシュテルス

(Getty Images)