> 彼女を取り巻く膨大な情報や賛否の声も、ひとたびコートに足を踏み入れば消え去り、あとには自身と対戦相手のみが残るという。強打者ジョルジとの打ち合いを制した大坂なおみ 全米オープン2回戦の対戦相手のカミラ・ジョルジ(イタリア)は、コートのど…

 彼女を取り巻く膨大な情報や賛否の声も、ひとたびコートに足を踏み入れば消え去り、あとには自身と対戦相手のみが残るという。



強打者ジョルジとの打ち合いを制した大坂なおみ

 全米オープン2回戦の対戦相手のカミラ・ジョルジ(イタリア)は、コートのどこからでもウイナーを狙い、同時にミスの多いことでも知られるツアー屈指の強打者。そのような選手と戦う時は、相手のミスを誘うという戦術選択もありえるだろう。

 だが、大坂なおみは、「私は誰が相手でも、自分が打ち合いを支配することを目指している」と明言する。

 一発で決めにくる相手のリターンを封じるため、まずはファーストサーブの確率を上げ、セカンドサーブではバリエーションを増やすこと。強打に対してはしっかり打ち返し、その威力を相殺すること。それら自分のやるべきことのみに集中し、彼女は無観客のスタジアムに立った。

 無観客であることは、今の大坂にはプラスに寄与しているかもしれない。大坂にとってのアーサー・アッシュ・スタジアムは、2万人の観客の歓声に満たされた熱狂の劇場だ。

 その熱量の消失には、当然のように覚える寂しさはある。ただ、「観客がいないのは、悪いことばかりでもないみたい」と、幾分決まりの悪そうな笑みをこぼした。

「観客がいると、みんなを楽しませなくちゃと思って、特別なことをしようと思うことがあるの。そういう時はたいがい、誤ったプレー選択をしてしまうから......」

 そのようなある種の雑念からの開放が、安定のプレーをもたらしているという。

 もうひとつ、今大会の彼女のプレーに強靭な軸を通している要素がある。それが、フィジカルの向上だ。

 コロナ禍によるツアー中断期間中、大坂はシャラポワの元トレーナーでもある中村豊をチームに招き、トレーニングにも力を入れてきた。自らもプロを目指し、テニスに捧げる10代を過ごした中村は、強化したフィジカルをコート上の動きと連想させる手腕に長ける指導者だ。

 その中村と大坂が、とくに力を入れてきたのが『End-rangeトレーニング』だという。

 これは、身体の最大可動域周辺値で態勢を維持したり、運動能力を上げる効果を狙ったもの。中村いわく、「瞬時に動いたり動かされたギリギリの状態で、崩れそうな体勢を支えて整える能力の向上が目的。それにより、ストライクゾーンやスイートスポットがより広がる」という。

 そのトレーニングの効能を大坂は、早くも前哨戦の時点で実感できていたという。身体を目いっぱい伸ばした状態からでも、以前よりも多くのボールを打ち返すことができたからだ。

 そのような高い目的意識を持ったオフ期間中のトレーニング、そして無観客により一層増した集中力が、ジョルジ戦で見せた堅牢なプレーの源泉となる。

「相手のエラーを誘うことを考えはしない」と大坂は言うが、ジョルジの強打を受け止め、左右に振られても体勢を崩すことなく打ち返す安定感が、相手のミスを誘発する。

 第1セットは立ち上がりから5ゲーム連取に成功し、6−1で奪取。第2セットは第4ゲームでこの試合初のブレークの危機に直面したが、サービスウイナーを決めてしのぐ。最後はセンターにエースを叩き込んで、このゲームもキープに成功した。

 これで完全に主導権を手もとに収めた大坂は、最後も2連続サービスウイナーで1時間10分のスピード決着。ウイナーを14本奪う攻撃的な姿勢を貫きながら、エラーはわずか11本に抑えての圧巻の勝利だった。

 試合が終われば、今大会の規則となっているマスクを装着し、そこには警察に取り押さえられて犠牲になった黒人男性「Elijah McClain(エリジャ・マクレーン)」の名が記されている。

 試合後のオンコートインタビューや会見の席でその件について問われれば、「彼の存在はあまり広く知られていないので、知ってほしかった」と明瞭に答え、喧騒に背を向けることはない。

 そのうえで「多くの人が、自分の意志を表明することでストレスを感じないかと聞くけれど、そんなことはない。私を嫌う人がいるとしても、それはどうしようもないことだし」と、達観に近い心境を口にした。

 オンコートとオフコートを峻烈に切り離し、静寂が支配するスタジアムでひとつずつ勝利を重ねながら、彼女はその先にある究極的なゴールを目指す。