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『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第I部 五輪での戦い(5)<<過去の連載記事はこちらから

数々の快挙を達成し、男子フィギュア界を牽引する羽生結弦。その裏側には、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2018年平昌五輪男子フィギュア個人フリーで演技する羽生結弦

 2018年平昌五輪の男子フィギュアスケート個人ショートプログラム(SP)でトップに立った羽生結弦は、演技後にポツリと漏らすように言った。

「明日も今日のようにやればいいのかな」

 羽生のSPは、プログラム全体のみならず、すべてのジャンプについても、入りのスピードから跳び方までしっかりとコントロールされていた。歴代世界最高得点にはわずかに届かないながら、111.68点を記録した。羽生の言葉は、この演技の感想を聞かれ、「すべて計算尽くしたような冷静さを感じた」とこちらが答えたのに対しての反応だった。

 そして翌日、五輪連覇の期待がかかったフリーを迎えた。

 メリハリのある曲の強い音を意識しながら落ち着いて滑り出すと、滑走前の6分間練習で1つもクリーンに決まらなかった冒頭の4回転サルコウを成功。出来栄え点(GOE)の加点を満点の3点にすると、次の4回転トーループも加点3の出来で決め、3回転フリップも淡々とこなす。SPと同じように、まったく力みのない美しいジャンプだった。

「前半は丁寧にいったというか、やっぱり6分間練習でサルコウが不安だったので......。とにかくサルコウさえ降りられれば、前半の感覚で後半のジャンプも跳べると思っていました。何より、サルコウもトーループもアクセルも3回転ジャンプも、すべて何年もやっているので体が覚えていてくれました。ただ、右足で跳ぶルッツがもっとも大変なので、『右足がよくもってくれたな』という感じでした」

 フリーを終えた後、羽生は自らの演技を笑顔でそう振り返ったが、後半の滑りは厳しい戦いになった。

 本番前に懸念されていたのは、フリーを滑り切るスタミナだ。ケガから復帰し、トリプルアクセルが跳べるようになったのは本番の3週間前で、4回転ジャンプはさらにその後。そうした中、フリーのプログラムを通しで練習できた回数は極めて少なかったに違いない。

 それでも、SPでの力みのないジャンプは、ケガ前より完成度が高くなったように見える洗練された跳び方で、このジャンプならばフリーでも体力がもつのではないかと思えた。期待どおり、後半に入ってすぐの4回転サルコウ+3回転トーループは加点2.71点できれいに決めた。

 ところが次の4回転トーループは着氷が乱れて1回転ループ+3回転サルコウを跳べず、連続ジャンプにできなかった。そのため、トリプルアクセルに付ける予定だった2回転トーループを1回転ループ+3回転サルコウに変更してカバーしたが、そのジャンプには少し力みが感じられた。

 続く3回転ループは確実に跳んだが、「足の痛みがもっとも影響する」と話していた3回転ルッツは着氷で乱れ、GOEも減点された。やはりスタミナ切れが露見したか......とも思われたが、結局、後半の4回転トーループと3回転ルッツ以外に大きなミスなく終えたところは「さすが」としか言いようがない。演技終了後、羽生は右手の人指し指を立て、「1」という数字を表した。

「演技が終わった瞬間に勝てたと思いました。前回のソチ五輪の時は、フリーが終わった後は『勝てるかな?』という不安しかなかったのですが、今回は『自分に勝てた』と思いました」

 羽生のフリーの得点は、4種類6本の4回転に挑み、SPの悔しさを晴らす215.08点を獲得したネイサン・チェンに次ぐ206.17点。総合得点を317.85点に伸ばし、後に控えていたハビエル・フェルナンデス(スペイン)や宇野昌磨に10点以上の差をつけ、66年ぶりとなる五輪連覇という記録を達成した。



平昌五輪の金メダルを手にする羽生

 フリーのジャンプについては、4回転サルコウと4回転トーループを2本ずつ。後半にトリプルアクセル1本と、4回転を2種類入れてもっとも基礎点が高くなる構成にした。その構成を決断したのは、試合当日の朝だったという。

「4回転ループを跳びたいとか、跳びたくないではなく、今回の試合はやっぱり勝ちたかったし、勝たなければ意味がないと思っていました。この試合の結果は、これからの人生にずっとつきまとってくるものだと思ったので、大事に大事に結果を取りにいきました」

 SPでトップに立ち、フリーを迎える間も精神的に追い込まれることはなかったという。今の状態でできる精一杯の構成で滑り切り、SPの歴代最高点に準じる評価をもらえたことで、自分のスケートに自信が生まれ、フリーのジャンプ構成の決断につながった。

 試合後は、ケガの状態の悪さについても初めて口にした。右足首の靱帯損傷だけにとどまらず、さまざまな痛みがあったという。痛み止めの注射が射てない部位の痛みが引かなかったこともあり、飲み薬を服用して本番に臨んでいた。羽生は「痛み止めがなければ、3回転ジャンプすら跳べなかった」と明かしている。

「でも、(ケガの原因となった)4回転ルッツや4回転ループに挑戦していたからこそ選択肢が多かったと言えるし、それらの挑戦が、今回の構成をやるうえで大きな自信になりました。ここまでやってきたことには、ひとつとして無駄なことはなかったと思います」

 状態が完全ならば、ここまで勝ちに執着することはなかったかもしれない。しかし今回は、体が万全とはいえない状態で無理を重ねて迎えた五輪。羽生は、「表彰台の頂点に立つ」という強い気持ちで出場していた。

 そんな思いが表れていたからこそ、羽生の演技は見るものすべてを魅了し、五輪連覇という最高の結果をもたらしたのだ。  平昌五輪プラザで行なわれたメダルセレモニーの後、羽生はソチ五輪との違いをこう話した。

「4年分積み上げてきたものがあるのかなというのと、ソチの時のがむしゃらさとはまた違って、今回は本当に(メダルを)獲らなきゃいけない使命感もありました。19歳の時はまだ時間があると思っていたんですけど、やっぱり今回はもう時間がない、あと何回五輪に出場できるかわからないという緊張感の中にいました」

 スケートができること自体が「普通のことではない」とも感じたという。五輪はフィギュアスケートでは頂点の大会。そこへ至るにあたり、多くの人の支えを感じ、ひとりでやっているのではないということをあらためて、平昌五輪で実感した、と。

「本当に気持ちよく締めくくれたと思っています。あまり覚えてはいないけど、最後にガッツポーズをしたし、氷に『ありがとう』と言いました。最終的には、金メダルが決まって泣いていたから、やっぱり満足していると思います。ソチ五輪とはそこが違うかな」

 心の底から解放されたような、さわやかな笑顔だった。

*2018年2月配信記事「番記者は見た。羽生結弦、ケガしたからこそ勝つ『金メダルへの執念』」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。