向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第8回:魁聖(1) 4カ月ぶりの本場所開催となった大相撲七月場所。本来なら愛知県名古屋市で行なわれるはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場を東京・両国国技館に変更して開催された…



向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第8回:魁聖(1)

 4カ月ぶりの本場所開催となった大相撲七月場所。本来なら愛知県名古屋市で行なわれるはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場を東京・両国国技館に変更して開催された。観客も従来の4分の1 となる2500人までとし、厳戒態勢のなかで15日間を無事に乗り切った。

 全力士たちが「不要不急の外出禁止」を言い渡されるなか、「僕はインドア派だから、自粛はさほど苦にならなかったですね」と語るのは、身長195cm、体重201kgという恵まれた体格を誇る魁聖だ。サンバやサッカーにはあまり興味がないというが、現在、ブラジル出身の唯一の関取である。そんな魁聖の、これまでの相撲人生に迫る--。

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 今年2月くらいから、日本でも深刻さが増してきた新型コロナウイルスの感染拡大。僕たち力士は3月の春場所(3月場所)に臨むため、2月20日くらいに大阪に乗り込んだんですが、2月末からは外出禁止などを含めた厳しい規制が敷かれていました。

 春場所は無観客で行なわれたのですが、会場に行く時も公共交通機関の使用は禁止。関取衆の出番に際して、待機が必要になる若い力士は手弁当持参です。コンビニとかで弁当を買うことも許されなかったんです。

 新聞記者などのメディアも支度部屋に入れず、取材は廊下でロープ越しの会話です。土俵に上がると、シーンと張り詰めた空気が漂っていて、なんとも不思議な空間の中での本場所でしたね。

 4月、東京に戻ると「緊急事態宣言」が発令されて、社会的にも厳戒態勢になりました。2週間延期された夏場所(5月場所)は、結局開催が見送られ、七月場所は名古屋ではなく、東京の国技館で開かれることに......。

 相撲という競技は、人と人がぶつかり合うわけですから、"濃厚接触"が起こりやすい。それに、相撲部屋は団体生活で、ウチの部屋(友綱部屋)の場合も、若い力士は大部屋で一緒に過ごしています。だから、「もし誰か1人が感染したら......」という不安はありましたね。外に出るのが怖かったし、タクシーで移動するのにも、マスクを二重にして、消毒グッズをいっぱい持っていきました。

 日々の稽古に関しても、内容が変わりました。各部屋の師匠の判断になるのですが、力士同士がぶつかり合う稽古はなるべく禁止とされていました。ですから、僕たちは四股やテッポウなどの基本運動を中心に体を動かしていて、7月に入るくらいから、土俵での稽古を再開させました。

 こうしたなか、相撲勘を取り戻すのはなかなか難しかったですね。いつもは場所前になると、ウチの部屋に横綱・白鵬関などが出稽古に来てくれるので、いろいろなタイプの力士と稽古することができました。でも、今や出稽古も禁止ですから、自分の部屋の中だけでの調整でしたからね。

 それと、困ったのが体のケアです。僕は今33歳。昨年は夏場所(5月場所)と名古屋場所(7月場所)のふた場所、ケガで途中休場するなど、結構体にガタがきています。それで、トレーナーさんとか、鍼灸師の先生に部屋に来てもらって治療を受けることが多いんですが、そうした先生も、移動の自粛に伴って頻繁に通ってもらうことができなかった。

 ともあれ、七月場所が予定どおり行なわれたことは、よかったと思います。限られた人数とはいえ、お客様も入れて開催することができましたしね。お客様としては、僕たち力士に声援を送ったり、同伴者と一緒にアルコールを飲んだりすることはNGでしたから、普段とは違う雰囲気に戸惑いもあったと思うのですが、僕たちは拍手をいただけただけで、うれしかったです。お客様たちからの応援って、本当に力になりますから。

 同場所では、元大関・照ノ富士の「復活優勝」で盛り上がりました。序二段まで番付を下げて、そこからの復活でしょ。どれだけ根性があるんだ......って、感心させられるというか、心底驚かされました。僕のほうは、6勝9敗。思い描いていたような相撲は取れなかったけれど、ケガなく終われてホッとしています。

 僕が生まれたのは、ブラジルのサンパウロ。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが日本人なので、日系3世ということになります。ブラジル出身と言うと、サンバとか、賑やかなイメージがあるかもしれませんが、自分は昔からブラジルっぽくないって言われています。静かでインドア派。マンガとかアニメ、ゲーム好きな......まあ、オタクって感じです。

 僕は小っちゃい頃から体が大きくて、お父さんの勧めで柔道をやっていたんです。でも、技とかうまく決まらなくて、ほとんど腕の力で相手を倒していたんですよ(笑)。

 相撲と出会ったのは、16歳の時。体の大きさを見込まれて、「やってみないか?」みたいな感じで、サンパウロ市内のチーム『サントアマーロ』に入ったんです。

 当時、ブラジルで相撲をやるのは、ほとんどが日系の人でしたね。『サントアマーロ』の稽古は週に1回、土曜日の夜だけだったんですが、僕、だんだん相撲を取る楽しさがわかってきて、日曜日の朝にも、市内にもうひとつある『サンパウロ』というチームでも稽古していました。

 そうしているうちに、どんどん相撲が趣味みたいになってきて、日本の大相撲をインターネットで見るようになりました。まだその頃は、画像もクリアとは言えなかったし、力士の顔と四股名もあまり一致しなかったんですけどね(笑)。

 好きだったのは、魁皇関。強くてすごいなぁと、ずっと憧れていました。

 翌年からは、国内の相撲大会や南米相撲選手権などの試合にも出るようになって、2004年、18歳の時に初めて日本に来ました。世界ジュニア相撲選手権というU-18の世界大会のブラジル代表として、です。

 あとから考えてみても、大阪で行なわれたこの大会に出ていたメンバーはすごかった。豪栄道関、栃煌山、碧山(ブルガリア)とか、いわゆる「ロクイチ組」(昭和61年度生まれ)ですね。

 僕は個人無差別級に出ましたが、優勝が豪栄道関。2位は現在幕下にいるハンガリー出身の舛東欧で、3位が栃ノ心(グルジア)と僕でした。

 その大会が行なわれたのが7月で、運よく大相撲の名古屋場所も見ることができたんですよ。テレビ中継での観戦でしたけど、初めてきれいな画面で大相撲を見ることができて、「わぁ! やっぱり力士って、カッコイイなぁ......」って思いました。



 この時から、僕の憧れは、具体的な将来の目標になっていったんです。

 ブラジルに戻ってから、『サンパウロ』チームで相撲を教えていた黒田吉信さんに、「僕もプロになりたいです」って相談しました。黒田さんは数年前まで、玉ノ井部屋で若東という四股名の十両力士だった方で、その道には詳しかった。

 そして、ちょうどその頃、友綱部屋でブラジル出身の魁ノ浜(のち、魁心と改名)の日本国籍が取れて、外国人枠が1つ空いたんです。そこで、僕を紹介してくれた。

 外国人枠は、1部屋1人という決まり(移籍などを除く)。当時は、朝青龍関の活躍などもあって、モンゴルとか各国から、大相撲に行きたい少年がいっぱいいたみたいだけど、誰かが引退したりして、空きが出ないと入れない状況でした。そういう意味では、僕はラッキーだったと思います。

(つづく)

魁聖一郎(かいせい・いちろう)
本名:菅野リカルド。1986年12月18日生まれ。ブラジル・サンパウロ出身。友綱部屋所属。恵まれた体格と迫力ある寄り、押しで土俵を沸かせる。ゲームやマンガ、アニメが好きなインドア派で、コーラとお肉が好物。2014年に日本国籍を取得。