> 松下信治がバルセロナで表彰台の中央に立った。今季6ラウンド目、F1のサポートレースとして開催されているFIA F2のレース1での出来事だ。 本当は開幕当初から、すべてのレースでこれをイメージしていた。しかし現実はそれと真逆で、予選では1…

 松下信治がバルセロナで表彰台の中央に立った。今季6ラウンド目、F1のサポートレースとして開催されているFIA F2のレース1での出来事だ。

 本当は開幕当初から、すべてのレースでこれをイメージしていた。しかし現実はそれと真逆で、予選では10位以下に沈み、決勝でも集団に飲み込まれて上位で戦うことができないレースが続いた。



FIA F2で今季初優勝を果たした松下信治

 毎戦インターネット回線を通じて話をしていても、松下の表情に滲む苦悩の色はどんどん濃くなっていった。精神的にもかなり追い詰められていた。

「今までで一番ですかね......。予想していた位置とは真逆に行ってしまっているので、すごくしんどい。トップ10以内で8位とか9位でもうちょっとだなっていう順位ならまだしも、そういうレベルじゃなかったんで、そこがすごくつらかった」

 実はバルセロナの勝利も、予選18番グリッドからの大逆転劇だった。

 あえて主流ではない硬いほうのタイヤを履いてスタートし、レース終盤まで引っ張る作戦。ちょうどそのタイヤ交換のタイミングで事故が起き、セーフティカーが入る幸運に恵まれた。つまり、ピットストップ1回分のタイムロスを帳消しにすることができたからだ。

 だが、同じ戦略を採った7人のドライバーには、等しくそのチャンスがあった。しかし、そこまで引っ張ることができたのは松下のみ。優れたタイヤマネジメント能力があったからこそ、松下はこの大逆転のチャンスを視野に入れた戦略を成功させることができたのだ。

「ここは抜けないサーキットだから、変についていってもタイヤを傷めるだけですから、序盤は抑えて走りました。だから(オプションタイヤスタートの)チームメイトと比べると、そこでかなり差がついたんです。だけど、そこでセーブした分だけあとで良くなったので、作戦としてはよかったと思います」

 もちろん、幸運だけで勝てたわけではない。セーフティカーが明けたあとは、それまで上位を走っていたドライバーたちと同じ条件での戦いになった。それでも松下は2台を抜いてトップに立ち、最終周にはファステストラップも記録し、勝利を掴み獲ってみせた。

 前2台のバトルを冷静に観察し、「ここで抜かないとチャンスはない」という瞬間にはアグレッシブにブレーキングを遅らせてコーナーに飛び込み、サイドバイサイドのバトルで抜き切った。レースでは強い......それを証明したドライビングだった。

 では、開幕からこの走りができずに低迷したのはなぜか? 問題は、予選と松下の経験にあった。

「予選の走らせ方は......今年タイヤが18インチになって8kgも重たくなったことで、F2マシンの挙動が大きく変わったんです。ブレーキングは止まらないし、コーナーで速度が落ちる速さも全然違って、トラックみたい。

 ブレーキングは得意だけど、そこで攻めすぎると速く走れない。FIA F3のマシンみたいにブレーキングで攻めすぎないで、しっかりとコーナーの出口を考えたドライビングをしなければならなくて。それがF3からステップアップしてきたルーキーたちが自然と馴染んでいる理由みたいです」

 松下と同じようにF2での経験豊富なドライバーたちの多くが、今年の18インチタイヤの扱いに苦労している。頭ではわかっていても、予選でフルプッシュすれば攻めすぎてしまう。これまでの13インチタイヤを履いたF2マシンの感触が身に染みついているからこその苦戦だ。

 松下のチームメイトであるフェリペ・ドゥルゴビッチは、今年FIA F3からステップアップしてきた。松下よりもスムーズに今季のF2マシンに馴染み、レース2で2勝、シルバーストンではポールポジションも獲得した。

「チームメイトのほうが速いから、そのドライビングスタイルに合わせようとするんだけど、そうすると自分の本来のスタイルを崩すことになる。自信があるはずのブレーキングも自信をなくし、問題のコーナーもイマイチ対応できてなくて、どっちつかずの状態になってしまった。自分の中でイメージする速いドライビングと、このクルマでの速いドライビングがまったく違う状態なんです」

 予選が悪ければ後方からのスタートになり、遅い集団の中で走ることになれば、本来の力を発揮することはできない。上位で走れば優勝争いができるドライバーでも、集団に埋もれればトップ10まで浮上することすら難しい。それがFIA F2というレースの難しさだ。

 GP2時代から数えて5年目のシーズン。現在26歳の松下は「これが本当に最後の挑戦」とはっきり口にする。

「去年はもう少しのところでスーパーライセンスが取れなくて、実力的にもうちょっと足りなかった部分もあるけど、運やタイミングの悪さもあった。『もうやり尽くしたし、これ以上やりようはないな』と思っていたら、今ここにいません。だから、F1への思いも変わっていない」

 松下を育成ドライバーとして支援してきたホンダからは、今季は国内レースに戻り、スーパーフォーミュラやスーパーGTといったカテゴリーでホンダのドライバーとして走り、貢献してほしい......ということだった。

 しかし、1年のブランクを経て2019年にFIA F2にカムバックした時も、松下は自分で行動を起こし、必死に参戦資金を集めて自分の思いを貫いた。それと同じように、今回も自力で最後の挑戦をすることを選んだ。

「4年間やらせてもらって結果を出せなかったことは事実。後輩もいるし、これ以上F2参戦を支援できないのも仕方がないことだと思います。だけど、僕は日本に戻りたくなかった。だから自力で資金を集めて、もう1年やると決めました」

 レーシングドライバーとしてのキャリアを考えれば、スーパーフォーミュラやスーパーGTといった国内レースを選ぶと、シートと申し分ない収入が保証される。しかし松下は、何の保証もない茨の道だとしても、自分の思いを貫いた。

「自分のやりたいことを我慢して、日本で(自動車メーカー専属の)プロとして生きるのは嫌だった。自分が行きたい道に挑戦して、最後まで燃え尽きたいと思ったんです」

 そういう信念を貫くところは、小林可夢偉に似ている。そうでなければ、F1という世界で戦っていくことはできない。

 今シーズン、ホンダの育成ドライバーとしてFIA F3からステップアップした角田裕毅は、シルバーストンのレース2で優勝するなど表彰台3回の活躍を見せており、こちらもF1へのステップアップを目指している。

 その一方で、松下はランキング4位以内に入ってスーパーライセンス取得条件をクリアし、F1への夢をつなごうとしている。そこには何の保証もないが、挑戦しなければ道は開けない。

「スーパーライセンスを取得したとしても、2021年にF1に乗れる可能性がどれだけあるかは正直わかりません。だけど、自分にできることは結果を出すことがすべて。結果を出せなきゃ候補にすらなれない。

 候補になってもシートが空いていなければF1には行けないけど、それは自分の力でどうにかできることではないから、考えても仕方がない。だからF2で結果を出すことに100%集中していますし、あきらめていません」

 松下のレーシングスーツには、腰の下まで無数のスポンサーロゴが貼られている。それだけ多くの人や企業が松下の思いに賛同し、支援してくれていることの証だ。

 バルセロナでようやく光明を掴んだ松下は感慨深そうに語った。

「本当に苦しかったけど、あきらめて投げ出さなくてよかった。いい時はいい風が吹くし、悪い時は悪い風が吹く。その時は耐えるしかない。シーズンはまだ半分なんで、まだトップ4の可能性はある。

 最低でもトップ4はゲットしたい。応援してくれている人たちと約束しましたから。賛同してくれている人がたくさんいるので、それに応えたいだけです」

 FIA F2の2020年シーズンは6ラウンド12戦が終わったが、まだ折り返し地点にも到達していない。12月の最終戦アブダビまで、松下の挑戦は続く。