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MotoGP最速ライダーの軌跡(5) 
マルク・マルケス 下 

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。 5人目は、マルク・マルケス。現代MotoGPの「無敵の王者」の栄光の軌跡をたどる。 



2019年MotoGP第15戦タイGPで優勝し、最高峰クラス6度目のチャンピオンとなったマルク・マルケス

 マルク・マルケスがMotoGPクラスに昇格した2013年シーズンの第2戦は、初開催の会場で行なわれた。大会名称はアメリカズGP、戦いの舞台はサーキット・オブ・ジ・アメリカズだ。

 米国テキサス州オースティンに建設されたこのサーキットは、前年の秋に竣工したばかりで、どの選手も走行経験がなく、どのチームも過去のデータを持っていない。つまり、全選手とチームにとって、完璧なイコールコンディションでレースが行なわれるということだ。

 マルケスは、土曜の予選でポールポジションを獲得。20歳62日で、フレディ・スペンサーの所有していた最年少ポール記録(20歳153日:1982年)を31年ぶりに更新した。翌日の日曜は、決勝レースで優勝。20歳63日で達成したこちらの記録も、スペンサーが所有していた最年少レコード(20歳196日:1982年)を塗り替えた。

「開幕戦のカタールで表彰台に上がれたこともうれしかったけど、今日ここで勝てたのはさらにうれしい。でも、今年は1年目なので、他のコースに行くとみんなが走り慣れたコースばかりだからもっと苦戦するだろう。最善を尽くしてレースを楽しみながら、チャンピオンシップではなく一戦一戦を頑張って戦っていきたい」

 レース直後のマルケスは、謙虚な言葉で今後の展望を語った。だが、結論からいえば、この年は以後のレースでもコンスタントに表彰台を獲得し、シーズン中盤の4連勝などを含む計6勝を挙げて、最終戦のバレンシアGPで年間総合優勝を確定させた。

 ここでもまた、フレディ・スペンサーの所有していた史上最年少チャンピオン記録(21歳258日:1983年)を、20歳266日という新記録で更新した。ウィニングランでは、"Baby Champ on Board"(赤ちゃんチャンピオン乗車中、の意)と記した祝勝Tシャツをまとって走行した。数々の最年少記録を一気に塗り替えたパフォーマンスのすごみと、それを無邪気に喜ぶ表情の対比がなにより印象的だった。

 翌14年はさらに圧倒的な一年になった。3月の開幕以降、8月半ばまで無傷の10連勝の快進撃。そして、ホンダの地元であるツインリンクもてぎの第15戦日本GPで2位に入って連覇を決めるという圧勝のシーズンになった。

 15年はタイトルを逃してランキング3位で終えたが、16年から19年までは4年連続で制覇。最高峰クラスを戦ってきた7シーズンのうち、6回王座に就くという強さを見せてきた。 



2019年MotoGPタイGPのマルケス

 参考までに、13年から19年まで7シーズンのマルケスの成績を整理しておこう。

2013年:18戦6勝(16表彰台)ーチャンピオン 
2014年:18戦12勝(14表彰台)ーチャンピオン 
2015年:18戦5勝(9表彰台)ー年間総合3位 
2016年:18戦5勝(12表彰台)ーチャンピオン
2017年:18戦6勝(12表彰台)ーチャンピオン 
2018年:18戦9勝(14表彰台)ーチャンピオン
2019年:19戦12勝(18表彰台)ーチャンピオン 

 比類のない強さもさることながら、マルケスの卓越した才能を強く印象づけるのが、驚異的な身体能力の高さだ。

 旋回中にフロントが切れ込んで、普通ならそのままバイクが路面を滑走していきそうな場面でも、マルケスは肘や膝を駆使し、転倒を回避、立て直して走行を継続する。あるいは、バイクが大きな挙動を起こして振り飛ばされそうになった時でも、押さえ込んであわやクラッシュという状態を収束させてしまう。まるで物理法則を無視しているとしか思えない、超人的シーンはこれまでに何度もあった。

 マルケスが2年連続チャンピオンを決めた14年のシーズンオフに、当時、ホンダで陣頭指揮を執っていたHRC副社長(当時)の中本修平に、この身体能力の高さについて訊ねたことがある。

「マルクは、フロントが滑ることに対しては、100パーセント自分でコントロールできてしまうんですよ」

 当たり前の事実を淡々と述べるように、中本は指摘した。

「リアが滑り出すとラップタイムが落ちていきますけれども、フロントの場合は、バイクが横を向こうが、フロントが切れこもうが、対応してしまうんです。しかし、集中力が欠けるとどうしても反応がわずかに遅れてしまう。ちょっとした気の緩みが、レース中に出てしまうんですね。今のマルクの最大の課題は、そこですね」

 この時に中本の指摘していた「集中力の緩み」が、15年シーズンにタイトルを逃す一因になったともいえるだろう。その反省を教訓として、16年以降のマルケスはさらに強さを増していった。

 マルケスの驚異的な身体能力については、レース現場でホンダ陣営を束ねる現HRCディレクターの桒田(くわた)哲宏もこんな表現で説明したことがある。

「ぼくらにとっての1秒が、例えばこれくらい(と両手で15センチくらいの幅を示す)だとするじゃないですか。でも、マルクにとっての1秒って、これくらいの長さ(と両手を肩幅以上に広げる)の体感時間なのかもしれない。だから、その時間の幅の中できっと、彼はいろんなことをできてしまうんじゃないかと思うんですよ」

 ただ、当のマルケスに「なぜそういうことをできるのか」と訊ねても、「できてしまうから」という言葉以外にあまり意味のある回答は返ってこないのではないかという気がする。それは、100メートルを9秒台で走る超人的な陸上選手に対して「なぜ9秒台で走れるのか」と、10数秒でしか走れない一般人が訊ねたところで、理解可能な説明が返ってこないのとおそらく同じことだ。しかし、100mを9秒台で走る技術論としての言葉なら、我々一般人にも理解は可能だろう。

 その点に関して、マルケスはこれまでに何度も、その日に見せたスーパーセーブについて訊ねられているが、その度に、あっけらかんと笑いながら自分の取った対応について克明に説明をしてきた。それは常に奇跡的なマシンコントロールなのだが、聞いている側をなぜか楽しい気分にさせてしまう明るさは、天性のものだ。

 もうひとつ、どんなに強いプレッシャーでもそれを結果へ転換できてしまう強靱な精神も、マルケスの持つ大きな特徴といっていいだろう。

 例えば、18年に彼が日本GPでチャンピオンを決めた際に、そのウィークの推移について質問をした時のことだ。マルケスから、こんな言葉が返ってきた。

「今回のレースがホンダにとって重要だということは、最初からわかっていたよ。プレッシャーももちろん、感じていた。でも、ぼくはプレッシャーがあるとうまくやれるんだ。だから、プレッシャーは好きだし、プレッシャーがない時でも(あえて自分から)作ろうとするんだ。そのほうが集中できるんだよ」

 この強靱な精神力と並外れた集中力が、数々の負傷から復活し、乗り越えてきた原動力にもなっているのだろう。それに加えて、卓越した身体能力とライディングセンス、さらに、毎シーズンの厳しいチャンピオン争いを続けることで洗練させてきた冷静なシーズン戦略。これらがすべて噛み合うことにより、年々、マルケスのレースからは隙がなくなってゆき、一時期の彼は本当に無敵に見えた。

 しかし、この世に完璧な人間など存在しない。

 完全無欠に見えた一時期のバレンティーノ・ロッシが決して無敵ではなかったように、マルケスもやはり無敵ではない。彼らのように史上最強のライダーでも、ときに焦りという感情は、己をむしばむ裡(うち)なる敵として作用する。マルケスの場合、それが今年の初戦スペインGPでの転倒と骨折、そして数戦の欠場という顛末(てんまつ)につながったともいえるだろう。

 また、敵は己自身の裡のみならず、外からもひたひたと押し寄せてくる。年々歳々人同じからず、と古諺(こげん)にもあるとおり、最年少記録を次々と塗り替えてきた無邪気な若者も、今では27歳の青年になった。若い世代の選手たちにとって、マルケスという存在はすでに、倒すべき大きな目標である。

 グランプリ界を制覇する圧倒的な王者とその打倒を狙う好敵手、そして新たに台頭してくる若い世代の争いは、今まで何度も繰り返されてきた。これからもまた、時代とともに登場人物を入れ替えながら、彼らの果てしない戦いは続いてゆく。
(ダニ・ペドロサの回につづく)

【profile】 マルク・マルケス Marc Márquez 
1993年2月17日、スペイン・サルベーラ生まれ。幼少期からオートバイに乗り始める。カタルーニャ選手権やCEV(スペイン選手権、現・FIM CEV レプソル国際選手権)で実績を積み、2008年に125ccクラスでデビュー。10年に同クラスで年間グランプリとなる。11、12年のMoto2クラスを経て、13年に最高峰のMotoGPクラスに昇格。同クラスで19年までに計6回のチャンピオン獲得。2020年シーズンはレプソル・ホンダ・チーム所属。