2019年、2001年生まれの17歳の新星が、ローランギャロス準々決勝でディフェンディングチャンピオンのシモナ・ハレプ(ルーマニア)から衝撃的な勝利を奪い取った時、世界中のメディアはこんな風に…

2019年、2001年生まれの17歳の新星が、ローランギャロス準々決勝でディフェンディングチャンピオンのシモナ・ハレプ(ルーマニア)から衝撃的な勝利を奪い取った時、世界中のメディアはこんな風に書きたてた。【動画】ハレプを翻弄するアニシモワのコンビネーションショット!

「スター誕生」

そう表されたアマンダ・アニシモワ(アメリカ)は、金色に光り輝く長い髪、180cmという長身、ロシアの系譜、そして何よりも10代で開花した才能によって、マリア・シャラポワ(ロシア)と比較されるようになった。「小さい頃から彼女のプレーはよく見てきて、ロールモデル的存在。インタビューでの受け答えも好きだし、コートの外でも美しい人」と、本人にとってもシャラポワは憧れの存在だ。

ただし「次代のシャラポワ」と呼ばれるのは、あまり好きではない。「比較されるということは、私が彼女のようになれると人々が考えていること。それは自信になる」と認めつつも、「私には私の将来がある。私は次のアマンダになりたいだけ」と断言する。

シャラポワが幼くしてフロリダに渡ったのだとしたら、ロシア生まれであるアニシモワの両親が祖国からアメリカへ移住してからの境遇は少し似ているかもしれない。アマンダの姉マリアが10歳の頃、つまりアマンダが生まれる前の1998年のことだ。移住当初、両親はニューヨークの金融業界で働いていたが、最高のテニス環境を娘たちに与えるため、一家でフロリダへ。アマンダが3歳の時だった。ちなみに姉は大学までテニスを続け、現在は親のようにニューヨークの金融業界で働いている。そんな姉の見よう見真似で2歳からテニスを始めた妹は、2015年に14歳で初めてのITFジュニアタイトルを手にすると、めきめきと頭角を現した。

翌2016年の初夏には「全仏オープン」のジュニア部門で準優勝に輝き、ジュニア世界2位へと駆け上がった。その夏の終わりには「全米オープン」の予選にさえ出場した。「ジュニア」部門ではない。アニシモワにとって生まれて初めてのWTA大会、つまりプロの世界への挑戦だった。「一番大好きなグランドスラムの大会で初戦に勝てたなんて、素敵な気分」と語った時は14歳にすぎなかった。その時は予選2回戦で夢の舞台を離れたが、1年後の2017年には「全米オープン」のジュニア部門で栄冠を手にした。そして翌2018年、初めての「全米オープン」本戦出場を果たす。

ただし、アニシモワにとって初めてのグランドスラム本戦は2017年「全仏オープン」(1回戦敗退)で、グランドスラム本戦で初勝利をあげたのは2019年「全豪オープン」。それも1回戦だけでなく、3回戦まで勝利をあげた。「間違いなく人生最高の試合」を実現させ、2000年以降に生まれた選手として史上初めてグランドスラム16強入りを成し遂げた。

そして冒頭の「全仏オープン」での快挙へと続く。つまり「人生最高の試合」を上書きし、自らが4ヶ月あまり前にオーストラリアで樹立した記録もあっさり塗り替えた。21世紀生まれとして男女を通じて史上初の四大大会ベスト4入り。本人は試合直後に「アグレッシブに戦った」と語り、対戦したハレプは「彼女は非常に冷静だった」と振り返った。「信じられないようなタイミングセンスだし、ボールを打つたびに相手を痛めつける。フットワークに改善の余地があるが、彼女ならできるはず」と分析したのは、アニシモワのもう一人の憧れ、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)を指導するパトリック・ムラトグルーだ。また多くの解説者やメディアは、「あの両手バックハンドのダウンザラインはすごい!」と絶賛した。

「私の考えでは、彼女は世界一のバックハンドを持っている」。2019年4月にヘッドコーチに就任したJaime Cortesはこう断言する。そう、大躍進には理由があった。クレーでの戦力強化のため、アニシモワはCortesの母国であるコロンビアまで教わりに行った。さらに、かの地で初のWTA大会タイトル(クラロ・オープン・コルサニタス)をも勝ち取った。

また、2019年1月から中村豊の指導も受けている。彼は、シャラポワを鬼門だった「全仏オープン」の優勝に導き、生涯グランドスラムを実現させた名フィジカルトレーナーだ。

つまり、幼い頃にコーチを務めてくれた父と、遠征には常に帯同する母、10歳からIMGのエージェントとしてサポートしてくれたマックス・アイゼンバッド、そして11歳から師事するニック・サビアーノ…と、長年アニシモワを支えてきた“アニシモワ・グループ”が、Cortesと中村の加入でさらに強化されたのだ。

しかし、そんなグループは大きな喪失を味わう。2019年8月半ば、公私ともに娘に人生を捧げてきたアニシモワの父親が急死したのだ。直後の「全米オープン」は出場を辞退。9月下旬に中国で2大会に参加したが、本来のプレーにはほど遠かった。この年に世界21位までランクを上げたことで「WTAエリート・トロフィー」への出場権も手にしたが、やはり欠場を決めた。

ティーンエイジャーはゆっくりと悲しみを乗り越えた。「テニスをプレーし、コートに立ったおかげで、私は乗り越えられた。私を幸せにしてくれるものこそが、父を幸せにしてくれるはずのものだから」と、再びテニスに全力を注ぎ始めた。

そもそもスポーツ業界が、若く美しき才能を放っておくはずもなかった。ローランギャロスでの飛躍をきっかけに、2019年11月にナイキと大型契約。米New York Post紙の報道によれば、契約金額は「シャラポワと同じくらいの額」だそうだが、それ以上との噂さえある。2020年1月にはゲータレードがスポンサーに乗り出した。同社が契約を結んでいるテニスプレーヤーは、彼女以外にはセレナだけだ。

ちなみに、こうした大スポンサーがティーンエイジャーに投資するのは、アイゼンバッドによるとSNS時代が影響しているという。かつてシャラポワを担当していた彼はこう語る。「シャラポワがグランドスラムで初めて勝った2004年にはSNSはなかった。でも今はある。そこが大きな違いだね。だからこそスポンサーの求めることも、大きく異なる」。だからこそアニシモワが「全仏オープン」でハレプを破った時、アイゼンバッドは彼女のソーシャルメディア露出度を高めるよう、マーケティンググループを総動員した。

2020年8月現在、アニシモワのInstagramには16万人ものフォロワーがいる。チワワのマイリーちゃんと遊んだり、大好きな食べ物の一つであるお寿司を食べたり。新型コロナウイルスで活動がままならない日々には、そんな可愛らしい日常をたくさん見せてくれたが、シーズン中断明けの近頃はやはりコート上でのショットがメインだ。

「シャラポワに次ぐティーンエイジャーでのグランドスラム勝者になりたい」「次の大きな目標はグランドスラムで勝つこと。近いうちに」と2019年シーズンに語っていたアニシモワ。ただしアイゼンバッドが「非常に地に足の着いた人間」と表現するように、夢を見ているだけではない。「私は完成品ではない。まだまだ練習すべきことはたくさんあるし、まだまだ積み上げていくべきことも多い」

2020年8月31日、つまりアニシモワの19歳のバースデー当日に、待ちに待った「全米オープン」が開幕する。しかも大好きな自国のグランドスラムと、相性の良いパリの赤土で立て続けに戦えることは、本人にとって楽しみでたまらないはずだ。

(テニスデイリー編集部)

※写真は2019年「全仏オープン」でのアニシモワ

(Photo by Clive Mason/Getty Images)