> 大坂なおみにとって、"敬意"は自らを成長させる栄養素であり、ネットを挟む対戦相手を破る源泉にもなるようだ。 2年半前、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)の元ヒッティングパートナーであるサーシャ・バインが大坂のコーチに就任した時、彼は大坂…

 大坂なおみにとって、"敬意"は自らを成長させる栄養素であり、ネットを挟む対戦相手を破る源泉にもなるようだ。

 2年半前、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)の元ヒッティングパートナーであるサーシャ・バインが大坂のコーチに就任した時、彼は大坂のモチベーションを上げるため、セリーナが自らを鼓舞するために認(したた)めたメモを見せたことがあったという。



ソーシャルディスタンスを確保しながら対戦相手と挨拶

「憧れのセリーナの言葉を見て、なおみもやる気が出たようだよ」

 バインはそう言い笑ったが、大坂にその"セリーナ・メモ"の内容を尋ねた時、彼女は眉根を下げるいつもの少し困ったような表情を浮かべ、「正直、よく覚えてないわ」と答えた。

「私の場合、いいプレーができている時の精神状態は、相手に敬意を払っている時。セリーナの方法は、私にはうまく当てはまらないと思ったから」

 はたして大坂が、セリーナのメモの内容を本当に覚えていなかったのか否か、それはわからない。単に、自分が公(おおやけ)にすべきことではないと思った可能性もある。いずれにしても言えるのは、それは、大坂の思考法にはそぐわないものだったということだ。

 新型コロナウイルスによるツアー中断後、初の参戦大会となるウェスタン&サザン・オープンの3回戦。

 対戦相手のダヤナ・ヤストレムスカ(ウクライナ)に鮮やかなウイナーを奪われた時、大坂はうなだれでも苛立ちを露わにするでもなく、ラケットの面を手で軽く数回叩く、拍手のジェスチャーを見せた。

 20歳のヤストレムスカは、鋭いサーブとパワフルなストロークを武器に、ランキング25位まで駆け上がってきた成長株だ。そしてコーチは、大坂の元コーチであるバイン。大坂の長所も弱点も熟知する、ヤストレムスカにとっては格好の参謀である。

 ただ大坂は、そのような雑念は頭に入れないようにしたという。

「自分でコントロールできないことを考えても仕方ない。私は、私がやるべきことに集中した」

 この考え方は、相手からウイナーを奪われた時にも自身を律した、彼女の勝負哲学でもある。

「今日の対戦相手は、コートのどこからでも強打を放つことができる。私にはどうしようもないことがある」

 相手の武器や美点をそのように受け止めたうえで、時折飛び出す「私にはどうしようもない」スーパーショットには、ただ称賛の拍手を送った。

 その行為の背景にある感情も、まさに、相手への敬意である。

「私は長い間、強くなりたいと思って練習してきた。だから、相手がすばらしいボールを打った時には、これこそがこの6カ月間、彼女が捧げてきた努力の成果なんだと思うことができた。世界最高レベルの選手たちと対戦できることは、私にとっても喜ばしいこと」

 この心の置きどころこそが、大坂のテニスに安定感をもたらした大きな要素だ。

 ヤストレムスカ戦での大坂は「初戦時ほどの緊張はなかった」というが、ラリーが単発に終わることも多く、「あまり動けていない」と感じていたという。

 だからこそ彼女は、自らのサーブの精度を高め、あまり多くないであろうブレークのチャンスに集中した。

 第1セットは、第3ゲームでの2本のブレークの危機をしのぐと、直後のゲームでブレーク奪取。このコロナ禍の間に強化してきたというサーブを、球種、コースともに巧みに打ち分け、相手に的を絞らせなかった。

 第2セットでも相手のサービスゲームをブレークし、直後のゲームで瀕した危機を切り抜けると、手にした手綱を緩めずにゴールまで疾走する。相手にしてみれば、どんなに鮮やかなウイナーを決めても乱れる気配のない大坂の佇まいに、逆に心を揺さぶられただろう。

 最後は、フットフォルト(サーブの際にベースラインを踏んでしまうこと)によるダブルフォルトで、試合が決するという珍しい幕切れ。1時間10分のスピード勝利で、大坂がベスト8へと名乗りを上げた。

 相手のすばらしいプレーに、そしてそれを得るまでに捧げてきたであろう努力に敬意を払う大坂だが、それほどの相手に完勝しても、自分のプレーには満足しないのが彼女の興味深い点だ。

「まだ、自分が望んでいるレベルのプレーはできない。でも、そこに向けて進んでいるという感触はある」

 過去最高の自分に出会うためにも、さらなる尊敬できる相手との対戦を求めて、歩を進める。