リバプール生まれの往年のテニススター、アンジェラ・バクストン(イギリス)が85歳で亡くなった。「ウィンブルドン」優勝者であるバクストンは、若くして引退したためその現役時代は短かったが、テニス界…

リバプール生まれの往年のテニススター、アンジェラ・バクストン(イギリス)が85歳で亡くなった。「ウィンブルドン」優勝者であるバクストンは、若くして引退したためその現役時代は短かったが、テニス界に大きなインパクトを与えた。英The Sun紙が報じている。【動画】バクストンの友人、ダブルスパートナーだったギブソン

1956年は彼女のキャリア最高の年だった。「ウィンブルドン」女子シングルスでは決勝に進出し、シャーリー・フライ(アメリカ)に敗れて準優勝。女子ダブルスではアリシア・ギブソン(アメリカ)と組んで優勝したのだ。二人はその6週間前の「全仏選手権」でも優勝しており、ギブソンはグランドスラム大会で優勝した最初の黒人選手となっていた。

だがバクストンはその翌年、手首に怪我をしてわずか22歳の若さで引退を余儀なくされた。

しかし、バクストンが大きなインパクトを残したのはコート上だけではなかった。バクストンとギブソンは、常に二人がさらされた差別や偏見と闘った先駆者だった。

バクストンの両親はユダヤ系ロシア人の移民だった。バクストンはキャリアを通じて反ユダヤ主義に苦しめられ、その宗教的背景からしばしば他の人々には許された特権を拒否された。

二人が「ウィンブルドン」でフェイ・ミュラー(オーストラリア)とダフネ・シーニー(オーストラリア)のペアを6-1、8-6で破って優勝した翌日には、「一つの新聞が“マイノリティが勝利”という、誰も気付かないような小さな記事を出したきりだったわ」

「ウィンブルドン」優勝者が通常与えられる特権、オールイングランド・クラブの会員権は、バクストンが何度申請しても与えられなかった。

バクストンは引退後に結婚、3人の子供を産んだ後で夫と別れたが、テニスから離れることはなかった。バクストンはコーチになり、テニス関連の本を出版し、トレーニングセンターを設立した。

そしてバクストンは、ギブソンが高齢になり精神的・肉体的な病に苦しんでいた時に、ギブソンの医療費と生活費を捻出するため、ギブソンが亡くなる2003年までに100万ドル(およそ1億円)以上を集めた。

バクストンの訃報に、テニスレジェンドのビリー・ジーン・キング(アメリカ)やマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)らも哀悼の意を表した。また元プロテニス選手のカトリーナ・アダムズ(アメリカ)は、「アンジェラはテニスにも人種差別が蔓延していた1950年代に、他の誰も差し伸べなかった友情と支援の手をアリシア・ギブソンに差し伸べました」と語った。

※為替レートは2020年8月21日時点

(テニスデイリー編集部)

※写真は1956年「ウィンブルドン」でのバクストン                        (Photo by L. Blandford/Topical Press Agency/Getty Images)