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MotoGP最速ライダーの軌跡(5) 
マルク・マルケス 中 

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。
5人目は、マルク・マルケス。現代MotoGPの「無敵の王者」の栄光の軌跡をたどる。

 右目の手術を無事に終え、二重視の問題を解消したマルク・マルケスは、2012年に2年目のMoto2シーズンを迎えた。



2012年、Moto2クラス最終戦バレンシアGPのマルク・マルケス

 開幕戦のカタールGPは予選で2番タイム、決勝レースでは優勝と、復活をアピール。第2戦のスペインGPはポールポジションを獲得したものの、0.2秒の僅差で優勝を逃した。このレースでマルケスを抑えて勝利を収めたのは、ポル・エスパルガロ。子どもの頃、スペインのカタルーニャ選手権を走っていた時代から切磋琢磨してきた好敵手だ。

 2人はこの年、激しいチャンピオン争いを繰り広げた。ポールポジション回数は、マルケス7回に対してエスパガロが8回という数字からも毎戦の激しい争いが見て取れる。ただし、優勝はマルケスが9勝に対してエスパルガロは4回。この結果からわかるとおり、全体としてはマルケスが優勢にシーズンを進めていった。

 チャンピオンを決めたのは、最終戦ひとつ手前の第16戦オーストラリアGPだった。エスパルガロがポールポジションからスタートして優勝。マルケスは3番手でゴールし、10年の125ccクラスに次ぐ2回目の世界タイトルを手中に収めた。

 2週間後に行なわれた最終戦バレンシアGPは、チャンピオンをすでに獲得したマルケスにとっていわば消化試合のようなもので、リラックスして臨めるレースだった。タイトル獲得の凱旋大会として、母国ファンの前に勇姿を披露するための場といってもいい。しかし、Moto2クラス最後の一戦に彼はそのような生ぬるい態度で臨まなかった。むしろ、この時のレースは、マルク・マルケスがマルク・マルケスである理由を象徴するような内容になった。

 土曜午後の予選で、マルケスは最速のエスパルガロに次ぐ2番手タイムを記録した。だが、日曜の決勝はフロントロー2番グリッドではなく、最後尾の11列目33番グリッドに着いた。金曜のフリー走行で他選手と接触し、転倒させてしまったからだ。その行為に対するペナルティとして、レースディレクションの下した処分が、最後尾スタートの厳しい裁定だった。

 グリッドは3人が1列を構成し、各列の間は9メートル離れている。つまり、ポールポジションのエスパルガロから11列目最後尾グリッドのマルケスまで、90メートルの距離がスタート時点ですでに開いているというわけだ。

 しかし、全27周の決勝レースが始まると、マルケスは猛烈な追い上げを開始する。オープニングラップで22人をオーバーテイクし、1周目が終わった段階ですでに11番手まで浮上していた。文字どおりのごぼう抜きだ。

 プレスルームでは、最後尾スタートのマルケスが果たしてどんな走りを見せるのか、みなが固唾(かたず)を呑んで見守っていた。猛烈な勢いでコーナーごとに何台も抜き去っていくマルケスの走りに、最初のうちこそ感嘆の声が上がっていた。だが、まるで「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という古典落語のほら話のような展開に、やがて呆れた感じの笑い声や拍手も起こり始めたように記憶している。

 ラスト3周ではついにトップに立ち、あまつさえ2番手に1.2秒の差を開いて優勝してしまった。この優勝は、今までにマルケスが達成してきた数々の勝利の中でも、もっとも劇的なもののひとつといっていいだろう。



劇的な勝利をあげた2012年バレンシアGPの表彰台でのマルケス

 後年にも、この時と似たような状況になった際には、マルケスはどれほど後方からでも、周囲のライダーたちとは異次元のスピードでひたすらトップを目指して走っていった。しかし、それらは必ずしも、この12年バレンシアGPのように大成功を収めたわけではない。

 例えば、18年のアルゼンチンGPでは、スタート時に犯した過失で、レース中にピットレーンをスロー走行するペナルティを科され、最後尾近くの19番手まで順位を下げた。そこから驚くべきペースで追い上げていったが、途中、他選手たちを危険に追いやり、転倒させてしまう選手もいた。最後は5番手でゴールしたにもかかわらず、そうした行為への懲罰としてゴールタイムに30秒のタイムを加算され、正式結果はポイント獲得圏外となった。

 また、もっとも記憶に新しいところでは、先日の7月19日のスペインGPも典型例だ。レース序盤にあわや転倒という瞬間を回避したものの、16番手まで大きく順位を下げた。そこから異次元のペースで追い上げ、レース終盤にはついに表彰台圏内まで到達してしまう。その常軌を逸した展開は、まるで少年漫画のようにドラマチックだった。しかし、残りわずか4周となったところで転倒。前回の冒頭で述べたように、右上腕を骨折してしまった。

 ともあれ、これらの事実から明らかなのは、マルケスの心の中の何かに火がついて尋常な状態でなくなった時、彼は周囲の選手とは異次元の速さを発揮するということだ。ただ、その才能は最高に劇的な結果をもたらすだけではなく、ときに自らに降りかかる災厄と化す場合もある、いわば「両刃の剣」のようなものなのかもしれない。

 13年に最高峰クラスのMotoGPへ昇格してから現在までの期間は、彼の裡に棲むこの両刃の剣を御し、意のままに操る方法を体得するための期間だったのだろう。それをある程度のレベルでうまく制御できるようになったからこそ、マルケスは、13年から現在に至るまで、最高峰クラスで6回の世界タイトルを獲得してきたのだ。ただ、これほどの高い資質を備えたライダーであっても、やはりときに過ちは犯しうる。だからこそ、人間同士が競い合うものごとには常に不確定要素が潜み、そしてそれこそがスポーツの醍醐味でもあるのだろう。

 さて、劇的なレースでMoto2のレースキャリアを締めくくったマルケスは、翌年からMotoGPへステップアップする。しかも、所属先はレプソル・ホンダ・チームだ。かつてミック・ドゥーハンが5年連覇を達成し、生きる伝説バレンティーノ・ロッシがその後を引き継いだトップチーム中のトップチームである。

 その後数年、チームは苦杯を舐めたものの、みなに愛されたニッキー・ヘイデンが栄光を取り戻し、近年ではケーシー・ストーナーが誰も寄せ付けない圧巻の強さをみせた。ストーナーが12年限りで現役を退いた場所に、新たにやってきたのがマルケスだ。レプソル・ホンダの歴史を作ってきた数々のライダーたちの衣鉢(いはつ)を継ぐ存在として、ホンダはもちろん、祖国スペインや世界中のレースファンが、当時19歳のこの若者に大きな期待を寄せていた。

 マルケスは、当然のように13年シーズン開幕前から大きな注目を集めていた。マレーシア・セパンサーキットで行なう2月のプレシーズンテストで、ドゥカティからヤマハへ復帰したばかりのバレンティーノ・ロッシはマルケスについて「自分が2000年に500ccマシンに初めて乗った時と同じ印象をもった」と述べた。きらめくような才能を開花させるもっともふさわしい場所へ最高の形で収まった、という含意だ。

 そして、こうも述べた。

「マルケスはきっとシーズン初戦から優勝争いをするだろうし、それは3カ月前(12年バレンシアGP)からずっと思っていたよ。初年度にチャンピオンを狙いに行く姿勢がなにより好ましいし、そのような態度はとてもいいことだと思うよ」  ロッシの予測は的中し、このテストから2カ月後の開幕戦カタールGPで、マルケスは最高峰クラスデビュー戦を3位で飾る。2位に入ったロッシの、わずか0.2秒背後だった。

 そして2週間後のレース、第2戦アメリカズGPで、マルケスはグランプリの歴史を一気に塗り替える。
(つづく)

【profile】 マルク・マルケス Marc Márquez  
1993年2月17日、スペイン・サルベーラ生まれ。幼少期からオートバイに乗り始める。カタルーニャ選手権やCEV(スペイン選手権、現・FIM CEV レプソル国際選手権)で実績を積み、2008年に125ccクラスでデビュー。10年に同クラスで年間グランプリとなる。11、12年のMoto2クラスを経て、13年に最高峰のMotoGPクラスに昇格。MotoGPクラスで19年までに計6回のチャンピオン獲得。2020年シーズンはレプソル・ホンダ・チーム所属。