自分と向き合い続けて 現在早大水泳部で唯一パラ水泳に取り組んでいる中道穂香(スポ2=愛媛・南宇和)。五輪への出場を目指す選手と同様、真剣に競技に取り組む一方、大きな悩みはやはりパラ選手が持つ『個性』の存在。人によって大きく異なる個性を持つた…

自分と向き合い続けて

 現在早大水泳部で唯一パラ水泳に取り組んでいる中道穂香(スポ2=愛媛・南宇和)。五輪への出場を目指す選手と同様、真剣に競技に取り組む一方、大きな悩みはやはりパラ選手が持つ『個性』の存在。人によって大きく異なる個性を持つため正解の泳ぎも一人ひとり大きく違う。一層自分と向き合うことを求められ、精神的な鍛錬が日々続いている。

先天性右下肢欠損を抱える中競技に取り組んできた

 1960年のパラリンピック創設時から行われている水泳は、陸上競技に次ぐ150を超す種目数で実施。肢体障がい、視覚障がい、知的障がいがある選手が参加でき、その程度によってクラスが分かれている。中道のクラスはS9及びSB8。アルファベットは競技名を意味し、Sは自由形、背泳ぎ、バタフライを、SBは平泳ぎ。数字は障がいの程度を表し、大きいほど程度は軽くなる。また、1〜10は肢体障がい、11〜13は視覚障がい、14は知的障がいというようにカテゴリが決まっている。つまり、中道は肢体障がいの中で2番目に軽度のクラスの競技に出場しているということになる。泳ぎの方法も様々で、選手によっては飛び込み台からではなく水中からスタートする。その場合や背泳ぎではスターティンググリップを握ってのスタートになるが、グリップを握るのが難しい場合は補助具を使える。また競泳のバタフライや平泳ぎのルールでは、ゴールや折り返し時に両手で同時にタッチすることが求められるが、パラ水泳では障がいによっては片手でのタッチも認められている。

 小学2年生のときに水泳を始めた中道。小学4年生からは健常者の大会に出るなど本格的に競技に取り組み、小学5年生のときの担任の先生から、パラ水泳の大会が開催されることを教えてもらって、翌年初めて障がい者の大会に出場した。中学1年のときに強化育成選手となり、中学3年、高校1年と記録が伸びていく中で「このまま順当に上がっていければ私もパラリンピックに出られるのではないか」と思うようになった。しかし現実には壁にぶつかり、泳いでも記録が伸びない時期が続く中、「かなり追い詰められた状態で」早大に進学した。

 パラ水泳の選手として、自分にあった泳ぎ方を模索しなくてはいけないという難しさを感じている。以前は「大体の正解やセオリーがある健常者の泳ぎをなぞっていれば自分が泳げると思っていた」が、記録が伸び悩んだときに「自分に合っていないのではないか」と考えるようになった。転機となったのは大学入学後、パラ水泳のコーチに学び始め、同様に競技に取り組む選手数人と練習を共にするようになったことだ。「キックは打たなくても良いんじゃないなどとかなり思い切ったアドバイスをいただいた」という中道。もちろん、競泳でもトップの選手は自身の身体のほんの僅かな特徴に合わせた泳ぎをすることにはなるが、前提となる泳ぎの理想は大きく定まっている。一方、パラ水泳では選手によって身体に大きな違いがあるため、自分で模索していかなくてはいけない範囲が遥かに広いのだ。「一通りのセオリーの泳ぎを理解した上でのカスタマイズを、人よりもすごく大胆にしなきゃいけなかったり、難しかったり、緻密だったり繊細だったりというのがあると思うので、そこがやっぱり競技の難しさで魅力なのかなと思います」。実際に高校よりも泳ぐ距離は短くなっても、自分にあった泳ぎ方を研究し技術が向上したことでタイムは維持された。自身も健常者の気持ちや苦労を真に理解することはできないとしつつも、「一般的なやり方が通じる期間が健常者よりも短くて、泳ぎの半分くらいは自分のカスタマイズの良し悪しにかかっているのではないか」と感じている。水泳に限った話ではなく「障がい者は誰でもその壁にぶつからないといけないときが多分来る」とパラスポーツならではの難しさを語る。

バタフライは大学に入ってから1番伸びた種目だという

 また普段は学外で練習しているが、試合や合同練習を通して早大水泳部の部員にももちろん感化されている。「今まで触れてきた競技レベルよりも遥かに上の選手がたくさんいらっしゃるので、最初の合同練習に行った時は、自分がここにいても良いのかなと、すごく緊張しましたし、今でもすごく刺激をもらっています」。特に先輩の牧野紘子(教3=東京・東大付中教校)とは昨年のジャパンパラで話をする機会があり、競技と向き合う姿勢など憧れの選手の1人として学びを得ている。またコロナ禍の自粛期間中に特別に行われた、水泳部でのZOOMを通したオンラインの合同トレーニングにも参加。女子部のミーティングの回数も増え、コロナ前よりも却って交流が増えたという。

2020年冬季六大学対抗戦にて。中道(左)と牧野(左から2人目)

 東京パラリンピックについて、是非多くの人に見てもらえるイベントになってほしいと願っている。大会を観戦することで伝わることがたくさんあり、パラアスリートのすごさに加え、障がい者が普段どういう風に生活しているのかということを垣間見ることが社会の認識を変えていくのではないかと期待する。外国に比べると日本は障がい者理解が進んでいないと感じているという中道。「障がい者理解というと障がい者を区別しなければいけない感じになってしまうと思うんですがさらにパラスポーツの育成やレベルについても、中国、スペインやオーストラリアに比べると日本は遅れをとっている。選手の数が少なかったり、情報が少なかったり不透明な部分も多く、パラスポーツ自体が閉ざされたコミュニティで行われていることも問題として指摘する。

 パラリンピアンについて「どれだけ自分に向き合ってきたかという精神的玄人の集まり」「人間国宝」と表現した中道。自身も競技者として「自分に向き合うこと」を非常に大事にしている。現在は2024年開催のパリパラリンピックに向けて歩んでいる。幼少期から憧れだった大会に向けて、自分がパラリンピアン達と精神的に同レベルのところまで成長したいと強い気持ちで臨む姿は、やはりアスリートであった。

(記事 青柳香穂)