それぞれのトップアスリートには、その特徴を象徴する言葉がある。陸上のウサイン・ボルトは〈スピード〉、サッカーのリオネル・メッシは〈バランス〉、水泳のマイケル・フェルプスは〈つかみどころがない…〉。そして男子テニス界の新しい王者、アンディ…

 それぞれのトップアスリートには、その特徴を象徴する言葉がある。陸上のウサイン・ボルトは〈スピード〉、サッカーのリオネル・メッシは〈バランス〉、水泳のマイケル・フェルプスは〈つかみどころがない…〉。そして男子テニス界の新しい王者、アンディ・マレー(イギリス)にはメンタルと肉体面、双方の質を考慮し、〈不屈の精神〉の呼び名を与えたい。  狭量な人々はマレーが今週、世界1位となったのは----彼はイギリス人初の世界ナンバーワンになった----長いこと、彼よりも上にいた3人の選手たちが、ついに退いたからだと主張するかもしれない。同じイギリスのビートルズ、いわゆるジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンが彼らの陰に隠れていたリンゴ・スターにマイクを渡し、歌う順番を与えるという非常に稀なことをやっただけなのだ、と。

 そこには少し、真実もある。

 17度にわたりグランドスラム・チャンピオンとなったロジャー・フェデラー(スイス)は2002年10月以来、初めてトップ10外に滑り落ちた。グランドスラムの決勝で3度マレーを倒しているフェデラーは長いことマレーの実力を測る尺度だったが、35歳となった今は衰えつつある勢力と言える。  ラファエル・ナダル(スペイン)の身体は今、彼のトレードマークだった“爆発的な”パワーテニスの代償を払わされている。そのテニスで彼はこれまでに14度のグランドスラム・タイトルを勝ち獲り、2014年7月まで141週間、世界ランキング1位の座を保持していた。

 30歳のナダルは以来グランドスラムで優勝しておらず、それどころか準決勝にも進出できていない。さらに左右両方の手首の故障に見舞われ、数回にわたりプレーの休止を強いられている。

 しかし、そのキャリアを通してグランドスラムにおける彼のマレーに対する戦績は非常にはっきりしていて、9度対戦してナダルが7勝を挙げ、ナダルが最後に負けたのは2010年全豪オープンまで遡る。  そして、マレーが今週月曜日に最高位から引きずり下ろして世界2位となったノバク・ジョコビッチ(セルビア)は、12のグランドスラム・タイトルを獲得し、そのうち5つを決勝でマレーを倒してつかんでいる。

 今年5月に全仏オープンを制して生涯グランドスラム(キャリアを通じて4つのグランドスラムのすべてで優勝すること)を達成したあと、ジョコビッチは不振に陥り、マレーのためにドアを半分開けたままの状態が続いている。もしもジョコビッチが考えを新たにし、新しい目標を手にふたたび意欲を燃やして体制を立て直したなら、マレーのナンバーワンは短いものになりかねない。  もしかすると、このもっとも競争が過酷な時代における“単なる”4番目に優秀な選手という事実は、そう変わるわけではないかもしれない。しかしマレーはもっともタフなこの時代の〈根気強さの象徴〉かもしれないのだ。なぜなら、より精神力のない選手だったら、こうも長いことビッグ4の4番目のメンバーであり続けることに失望し、崩れていたかもしれないのだ。だが彼は初めて世界2位となった7年以上前から76週をそのポジションで過ごしてきた。舞台袖での待ち時間としては極めて長いものだ。  最終的にマレーは、ほかの皆より長生きだった。彼はほかの選手たちを港から追い返した嵐の中、負けずに頑張り抜き、くぐり抜けた〈船乗り〉であり、何度も倒されながらも決してノックアウトされなかった〈ボクサー〉でもある。彼はフェデラー、ナダル、ジョコビッチから食らったパンチ(グランドスラムで彼らと25試合プレーし、20試合に敗れた)を上達し続けるための理由として使った。

 マレーは自分の運を呪い----もしもほかの時代に生まれていたら、全米で1度、ウィンブルドンで2度という以上の優勝を遂げていたはずだ----という蜃気楼を見て、道に迷ってしまったりする可能性もあったはずだ。だがそうする代わりにマレーはよりハードワークを積み、よりしっかりと身体のコンディショニングを行い、ついにチャンスがやってきたときに、それを間違いなくつかむための準備ができているように努力を続けた。  マレーの頂点への道のりを説明するとき、彼の過去を掘り下げてみたい誘惑にかられる。

 ある者は若き日のマレーがゴルフやラグビー、サッカーをやるのに適したスコットランドの厳しい気候の中でテニスを学んだことが、彼を精神的に鍛えたと主張するかもしれない。子供の頃、アンディと兄ジェイミーは家の中に張ったロープを超えるようにして風船を打ち合っていたという。  またある者は、心理分析に傾倒するかもしれない。1996年にマレーが通っていたダンブレーン小学校で銃を持った男が16人の子供たちと教師を惨殺した事件の中、生き延びたことがマレーの心に深い傷を与えた一方で、そこから奮起する方法を学ぶきっかけとなったと大胆に推測するかもしれない。  あるいは、自分をスペインのテニスアカデミーに送るよう両親にせがんだ10代のマレーを指して、それこそが彼が昔から犠牲を惜しまず努力する意思と意欲を持った人間だったという証拠だ、と言う者もいるかもしれない。  しかし、ここはよりシンプルに考えたい。世界1位のランキングは、彼が歩んだ旅路の報酬なのだ。フェデラー、ナダル、ジョコビッチという山々はあまりにも険しすぎると背を向けることもあり得たはずの中、様々な交差点や分岐点もあったはずだが、マレーは背を向けずにただただ歩み続けたのだ。  公共の面前で決して雄弁ではないマレーが2012年のウィンブルドン決勝でフェデラーに敗れたあとに言った、目を引くフレーズがある。  「僕はトライするよ。簡単なことではないだろうけど…」とマレーは溢れそうになる涙と戦いながら言った。  彼はこのとき、試合を通して自分を応援してくれたセンターコートの観客たち、世界中のファンたちに、敗者のスピーチをすることがいかに難しいかについても語っていた。

 しかし「簡単ではない」ことに「トライする」という哲学が、マレーという人そのものなのだと思う。(C)AP|JOHN LEICESTER