サッカー名将列伝第10回 アーセン・ベンゲル革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は、フランス人のアーセン・ベンゲル監督。アーセナルを22年間指揮して数々のタイトルを…

サッカー名将列伝
第10回 アーセン・ベンゲル

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は、フランス人のアーセン・ベンゲル監督。アーセナルを22年間指揮して数々のタイトルをもたらし、日本でも監督を務めたことから、度々代表監督候補として名前が挙がる名将だ。スタープレーヤーの実力を引き出して、魅力的なサッカーを繰り広げた、その手腕とは。

 GKにはドイツ代表のイェンス・レーマン。4-4-2の4バックの中央はコロ・トゥーレ(コートジボワール)とソル・キャンベル(イングランド)のコンビ。このふたりのスピード、パワー、高さは、無敗優勝の支えになっていた。

 当時のプレミアリーグは、多くのチームがアーセナルと同じ4-4-2を採用していた。重要な攻め手はハイクロスで、どのチームにもパワフルなFWがプレーしていたものだ。アーセナルのセンターバック(CB)コンビの高さと強さは、プレミア独特の"空爆"を跳ね返すうえで不可欠だった。

 トゥーレとキャンベルはふたりとも黒人。フランス人のベンゲルは早くから黒人選手のパワーやスピードを買っていて、コートジボワールのクラブと提携を持つなど独自のコネクションを築いていた。

 現在では黒人CBはむしろ主流になっているが、ベンゲルは時代を先取りしていたと言える。右SBのローレン・エタメ(カメルーン)、左のアシュリー・コール(イングランド)も黒人選手である。ふたりともスピードがあるだけでなくテクニックに優れていた。

 MFの中央はパトリック・ビエラ(フランス)とジウベルト・シウバ(ブラジル)。長身でパワー、運動量、守備力が抜群だった。ふたりともテクニックに優れ、攻守において安定感がある。ビエラはより攻撃的で、中盤から一気に前線へ飛び出していくダイナミックなフリーランニングは、有効な攻め手になっていた。

 サイドハーフは右がフレデリック・リュングベリ(スウェーデン)、左はロベール・ピレス(フランス)。リュングベリは走力があり、神出鬼没。ピレスは足技とパスワークに冴えをみせるプレーメーカーのタイプ。ピレスとアンリの左サイドは、そのままフランス代表の武器にもなっている。

 2トップはアンリとベルカンプ。アンリは攻撃の先頭に立ち、カウンターアタックでは左に開いてロングパスを受けて、そのままフィニッシュに結びつけるのが十八番。相手の背後に5メートルのスペースがあれば、ボールをプッシュしてスピードでぶっちぎれるので、この「5メートル・アドバンテージ」が猛威を奮った。左45度から、右足のインサイドでファーポストへ巻いていくシュートでゴールを量産した。

 ベルカンプは少し引き気味にプレーし、中盤と前線を連結。自らもゴール前では絶妙のボールタッチで、得点、アシストの両面で大活躍している。

 ベルカンプを筆頭にアンリ、ピレスの3人はクリエイティブなプレーを随所に見せたが、むしろ4バックとボランチのフィジカル能力の高さがインヴィンシブルズの基盤になっていた。

 そしてボールを奪うと、それぞれの特徴を生かした攻撃でゴールを直撃する。じっくりキープして崩せるタイミングを伺うというより、効果的な攻め込みを何度も繰り返していた。そのぶん相手にもカウンターを食らうのだが、行き来の激しい試合は英国の伝統でもあり、ファンの好みとも合致していた。

 イングランドでは異質と見られていたベンゲル監督下のアーセナルだが、そうは言ってもプレースタイルはイングランドらしいスピード感とチャレンジ精神に溢れていた。

 無敗優勝の偉業のあと、アーセナルはスタジアム建設に伴う緊縮財政の影響もあり、リーグタイトルを獲れなくなってしまったが、ベンゲル政権が22年もつづいたのは、インヴィンシブルズの鮮やかな記憶があったからではないかと思う。

アーセン・ベンゲル
Arsene Wenger/1949年10月22日生まれ。フランス・ストラスブール出身。現役引退後ストラスブールのユースチームから指導者生活をスタート。カンヌのアシスタントコーチを経て、84年からナンシーで監督。87年~94年はモナコを率い、国内リーグ優勝、チャンピオンズリーグベスト4などの手腕を発揮した。95~96年は名古屋グランパスを指揮。その後プレミアリーグのアーセナルの監督に就任し、22年間の長期のなかでプレミアリーグ優勝3回、FAカップ優勝7回などの成績を残している