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MotoGP最速ライダーの軌跡(5) 
マルク・マルケス 上 

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。
5人目は、マルク・マルケス。現代MotoGPの「無敵の王者」の栄光の軌跡をたどる。

 まずは、彼を巡る現在の状況から話を始めることにしよう。



2010年、125ccクラスで初タイトルを獲得した17歳のマルク・マルケス。写真は第16戦ポルトガルGP表彰台

 最高峰クラスを6回制覇し、小・中排気量クラスも合わせると計8回の年間総合優勝を達成してきたマルク・マルケスは、2020年も当然のようにチャンピオン候補最右翼と見なされていた。

 しかし、7月19日にヘレスサーキットで開催されたシーズン初戦スペインGPの決勝レースで転倒、右上腕を骨折した。2日後の火曜日にはバルセロナで手術を実施し、骨折部位にチタンプレートを挿入して12本のスクリューで固定した。同じくヘレスで2週連続開催となる次戦アンダルシアGPは欠場必至と思われたが、出場の意思を示して世界を驚かせた。

 25日午前のセッションを走行したものの、やはり手術直後の腕の状態は万全ではなかった。午後にはそれ以上の走行は難しいと断念し、開幕2戦はノーポイントになった。

 次のレースは8月9日のチェコGPだ。捲土重来(けんどちょうらい)を期すマルケスは、可能な限り体調を戻して復帰するため、厳しいトレーニングを続けた。しかし、挿入したチタンプレートに力が加えられたことによるゆがみが見つかったため、プレート交換の再手術を余儀なくされた。結局、8月9日から23日まで続く3週連続のレースを欠場することになり、開幕から第5戦までのポイント獲得はゼロとなった。これで、マルケスは今季のチャンピオン争いからは事実上、脱落することになった。

 開幕前には誰も予想できなかった、あっけない王座からの陥落だ。

 マルケスは最高峰クラスへ昇格した13年に、数々の最年少記録を塗り替えながら世界王座に就いた。その後も15年を除けば毎年チャンピオンを獲得し、文字どおり「無敵」の王者として現代のMotoGPに君臨してきた。その折々には何度か大きな負傷もあったが、超人的な努力と精神力ですべて克服してきた。

 とはいえ負傷は、ある意味でライダーにはつきものとも言える。つまり、二輪ロードレースはそれだけ危険と背中合わせのスポーツである、ということだ。そして、その競技で世界の頂点を競うMotoGPライダーたちは、紙一重の領域を常に見極めながら栄光を目指して戦っているのだろう。

 マルケスの場合は、最小排気量の125ccクラス(当時)で世界選手権に参戦を開始した最初のシーズンから、すでにケガと無縁ではなかった。ある意味では、彼はケガと二人三脚で世界選手権の世界を戦い、幾多の困難を乗り越えながら成長してきた、といってもいいかもしれない。

 マルケスがグランプリライダーとしてのキャリアをスタートさせたのは08年、15歳の時だ。カタルーニャ選手権やCEV(スペイン選手権、現・FIM CEV レプソル国際選手権)で実績を積み上げ、MotoGPの世界へ到達した。

 しかし、125ccクラスのデビューシーズンは開幕2戦を欠場し、第3戦ポルトガルGPでのデビューになった。序盤2レースの欠場理由は、プレシーズンテストで転倒して右腕の尺骨(しゃっこつ)と橈骨(とうこつ)を骨折したためだ。

 少々ワケありの世界デビューになったが、この年は早々に第8戦イギリスGPで3位表彰台を獲得している。その事実は、ルーキーシーズンからすでに逸材の片鱗を見せていた証だ。

 11歳の頃のマルクスを見いだして支援を続けてきた元125cc世界王者のエミリオ・アルサモラや、スペインの熱心なモータースポーツファンにしてみれば、参戦初年度の表彰台獲得は「我が意を得たり」との思いを強くしたことだろう。

 当時のマルケスは、小柄な少年で、ルールが定める選手とマシンの合計最低重量に到達するためには、21キロに及ぶウエイトをマシンやライダー自身に搭載しなければならなかった。そうした不利な条件を抱えて、他の選手たちと互角に競っていたのは確かに驚異的だ。

 それでも、多くの若い才能がひしめくクラスで強烈な存在感を発揮するほどの輝きは、当時の彼はまだ見せていなかった。しかも、シーズン終盤のマレーシアGPで初日の金曜午前に大きな転倒を喫し、右脚の脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を骨折。この負傷により、同日午後以降の走行と最終戦は欠場することになった。

 翌09年はKTMファクトリーチームに抜擢(ばってき)された。2回のポールポジション(フランスGP、マレーシアGP)と1回の3位表彰台(フランスGP)を獲得し、年間ランキングは8位。結果にも明らかなとおり、ダイヤの原石が十分に磨き込まれて光を放つには、まだ至っていない。マルケスがその恐るべき才能をようやく世界に示し始めたのは、次の年、10年シーズンだ。

 結果からいえば、マルケスは10年シーズン全17戦で12回のポールポジションを獲り、10勝を含む12表彰台でチャンピオンを獲得した。



2010年、最終戦バレンシアGPのマルケス

「この若い選手はものすごい才能の持ち主なのかもしれない」と世界が気づいてざわつきはじめたのは、はたしてこの年のいつごろだっただろうか。10年前の出来事なので、記憶があやふやになっている部分もあるが、古い知り合いのスペイン人ジャーナリストから「このライダーはチェックしておいたほうがいいぞ」と注意を喚起されたのは、シーズンも半ばに差し掛かる時期だったように思う。第5戦イタリアGPでグランプリ初優勝を飾ってから5連勝の快進撃を続ける途中の、どこかのレースだった。

「度胸とスピードは一級品、才能はホンモノだ。将来、必ずMotoGPのトップライダーになる」という言葉は、同郷ゆえの身びいきという点を差し引いたとしても、マルケスが自分の成績で十分に実証しつつあった。しかも、同様の言葉を複数のジャーナリストから聞いた。10年当時は、MotoGPクラスでホルヘ・ロレンソやダニ・ペドロサがトップライダーとして活躍していた。人材が豊富で選手層の分厚いスペインに、またひとり新たな逸材が登場してきたというのが、彼らから話を聞いた時の正直な印象だった。

 話を11年に戻そう。Moto2クラスへの昇格にあたり、アルサモラは大手燃油企業や金融機関をスポンサーに据えてチーム・カタルーニャ・カイシャ・レプソルを結成する。このチームでチーフメカニックを担当したサンティ・エルナンデスは、マルケスが最も信頼する右腕として現在に至るまでグランプリをずっと伴走し続けている。

 Moto2昇格初年度にも関わらず、マルケスはシーズン7勝という卓越した成績を挙げ、才能を大きく開花させていく。だが、この年のタイトルを逃し、ランキングは2位で終えた。

 最終戦ひとつ手前のマレーシアGPで転倒を喫した際、その影響が右目の視神経に及び、シーズン最後の2レースを欠場したからだ。シーズンオフには、二重視を矯正する手術をした。選手生命を左右しかねないほどの負傷を経験したマルケスは、厳しい試練を乗り越えて、12年に2年目のMoto2シーズンに臨んだ。

 この時、彼の年齢はまだ19歳に過ぎない。
(つづく)

【profile】 マルク・マルケス Marc Márquez  
1993年2月17日、スペイン・サルベーラ生まれ。幼少期からオートバイに乗り始める。カタルーニャ選手権やCEV(スペイン選手権、現・FIM CEV レプソル国際選手権)で実績を積み、2008年に125ccクラスでデビュー。10年に同クラスで年間グランプリとなる。11、12年のMoto2クラスを経て、13年に最高峰のMotoGPクラスに昇格。MotoGPクラスで19年までに計6回のチャンピオン獲得。2020年シーズンはレプソル・ホンダ・チーム所属。