1年後に延期となった東京五輪・パラリンピック。その舞台を目指し、努力を積み重ねてきたのは選手だけではない。車いすバスケットボールの国際審判員・二階堂俊介さんも、その一人。国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)の承認を受け、東京パラリン…

1年後に延期となった東京五輪・パラリンピック。その舞台を目指し、努力を積み重ねてきたのは選手だけではない。車いすバスケットボールの国際審判員・二階堂俊介さんも、その一人。国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)の承認を受け、東京パラリンピックに派遣されることが決定している。二階堂さんが、車いすバスケの審判員を務めるようになったきっかけとは何だったのか。そして、国際審判員になるために必要なスキルとはどんなものなのか。話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子
写真/斎藤寿子

車いすバスケットボール(以下、車いすバスケ)の審判員は国内に284人(※2020年7月16日時点)。そのうち国際審判員の資格を持っているのは、わずか9人。その国際審判員になるためには、どうすればいいのだろうか。

まずは、国内で開催される親善試合などの国際大会に、高いスキルが認められ、国際資格取得を目指す審判員が呼ばれる。現地では、ルールテストや英会話テスト、実技テストが行われ、その中から最も優秀な審判員が公式の国際大会へと派遣され、試験を受けることができる。

しかし、現地に行ったからと言って、必ず実技テストを受けられるとは限らない。大会開催の数日前に現地に集合し、そこで行われるクリニックでルールテストを受け、合格した審判員のみが実技テストとして、試合で笛を吹くことが許されるのだ。当然、ルールテストや試合中のコミュニケーションはすべて英語。これが日本人の厚い壁となっている。

「特に英語でのルールテストは、難しいんです。日本語だったとしても、悩んでしまうような難問がいくつもあって、それが英語となると、さらに難しいわけです。国際審判員になるために、英語でのルールテストに向けた勉強も頑張りました」

もともと英語に興味があった二階堂さんは、大学卒業後、1年間イギリスでボランティア活動をしていたことが役立った。2017年、二階堂さんは中国・北京で開催されたアジアオセアニアチャンピオンシップス(以下、AOC)でテストを受け、見事に合格。国際審判員の資格を取得した。

しかし、そんな二階堂さんも今、さらなる英語のスキルが必要だと感じている。

「相手が言っていることは聞き取れますし、ふだんの会話なら大丈夫です。でも、クルーチーフ(主審)になると、自分からコミュニケーションを図って、リーダーシップをとらなければいけない。そうすると、相手が納得するような説明だったり、気の利いた言葉で声がけが必要だったりします。そんなときに、パッと英語で言うのは難しいんです。

だからこそ、若い人には英語の勉強をすることをおすすめします。国際審判員に限らず、何をするにしても、英語が話せれば、選択肢が広がります。いざ『こういうことがしたいな』と思った時に役に立つと思います」 晴れて国際審判員となった二階堂さん。2018年には世界選手権(ドイツ・ハンブルク)、そして昨年は東京パラリンピックの予選を兼ねて行われたにAOCに派遣された。そこで、二階堂さんは、国際審判員として大きな手応えを掴んだ。

大会期間中、審判員は毎試合スーパーバイザーの厳しい目によってランク付けされる。そのランク付けによって、翌日どの試合を担当するかが発表される。ランクが高い審判員には、注目度の高い試合や決勝トーナメントの大事な試合が任される。決勝は進出した2チームの出身者を除き、その大会のトップ3人が選出。二階堂さんは、AOCの決勝で、その3人に選ばれたのだ。

「もちろん自国のチームが決勝に進出してくれることが一番嬉しいのですが、一方で審判員はみんな決勝で笛を吹くことを目標にしています。だから開幕戦に続いて、最終日の決勝戦にもノミネートできたことは本当に嬉しかったです」

また、AOCでクルーチーフに多く抜擢されてことも自信となった。車いすバスケでは、1試合にノミネートされる審判員は3人。その3人をクルーと呼び、一つのチームとして行動。そのクルーを、コート内外でまとめるリーダー役を務めるのがチーフである主審だ。

クルーチーフは、試合に向けてミーティングを行ったり、コートに向かう移動のタイミングなど、試合終了までの全ての行動で、イニシアティブをとっていく。

二階堂さんいわく、日本人の国際審判員のスキルの高さは世界からも認められているのだという。特に正確性という点においては、諸外国からもリスペクトされている。だが、その一方で、日本人にはクルーチーフを務めるスキルが不足しているといわれているそうだ。

クルーチーフを務めるには、スキルはもちろん、ほかの審判員に対するリーダーシップ、試合中にトラブルが生じた時には、テーブルオフィシャルや両チームとのコミュニケーションが必要となり、マネジメント力も必要となる。そして、そのためには語学力も必須。自己主張が強い諸外国の審判員やチームをうまくまとめるのは、日本人にはそう容易なことではない。

しかし、昨年のAOCでは、二階堂さんがクルーチーフに抜擢された試合が多く、マネジメント力が認められた証でもある。 そのAOC最終日、二階堂さんに朗報が届いた。それは、東京パラリンピックへの派遣を知らせるメール。

「決勝戦が終わってロッカールームで携帯を見たら、東京パラリンピックへの派遣の通知が来ていたんです。本当は、その場で叫び声をあげたいくらい嬉しかったです。そこに向けて頑張ってきたので…。夢のまた夢だと思っていたことが現実となって、泣きたいくらいでした。

でも努力してきたのは、審判員みんな同じ。自分以外は、誰が派遣されるかもわからなかったですし、漏れてしまった人もいるでしょうから、喜びは自分の中だけにそっとしまいました」

今回、東京パラリンピックには2人の日本人審判員が選ばれた。奇しくももう一人は順天堂大学バスケットボール部の一学年先輩である小野裕樹さん。同じ東北ブロックである青森県出身の小野さんもまた、菅野さんから指導を受けた一人だ。

「同じ東北ブロックの人で、しかも順大の先輩である小野さんと2人で選ばれたというのは、やっぱり嬉しいですよね。国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)の人からすれば、僕と小野さんが先輩と後輩だなんて知らないでしょうし、近隣県同士だなんて知らないでしょうから、奇跡だと思うんです」

聞けば、2人はこれまで切磋琢磨してきた仲だという。審判員としては二階堂さんが先輩だが、はじめに国際審判員の資格を得たのは小野さん。しかしその後、二階堂さんはパラリンピックに次ぐステージである世界選手権を経験。その翌年には、小野さんも女子U25世界選手権に派遣された。

「東京パラリンピックでは、日本の審判員が優秀であることを証明する責任があると思っています。そして、一緒にパラリンピックを目指して頑張ってきた審判員の仲間の思いも背負って、しっかりと与えられた仕事をしたいと思います」

審判員としての経験は10年以上となる二階堂さん。最後に、やりがいを聞いた。

「好きなスポーツに、より身近なところで携われることが、何よりの喜びです。そして選手と同じコートに立って、黒子ではあるんですけど、一緒にゲームを作っていく。それがやりがいですね。試合後に選手やチームから握手を求められて『ありがとう』『ナイス、レフリー』と言われた時は、微力ながら素晴らしい試合となった一端を担うことができたのかなと、嬉しい気持ちになります」

1年後に東京パラリンピックが開催されることを信じて、二階堂さんは、さらなるスキルアップを目指して、日々トレーニングを続けている。

(プロフィール)
二階堂俊介(にかいどう・しゅんすけ)
1976年11月生まれ、福島県出身。順天堂大学スポーツ健康科学部卒業後、2年間は福島県いわき市の特別支援学校に講師として勤務。その後イギリスに渡り、1年間障がい者の自立支援のボランティア活動に携わった。帰国後、福島県内の特別支援学校の教員となる。現在は、福島県立大笹生支援学校高等部で学部主事を務める。教員の傍ら、車いすバスケットボールの国際審判員として活動。2021年の東京パラリンピックへの派遣が決定している。

※データは2020年8月11日時点