1児の母として子育てを両立、東京五輪を目指す陸上日本記録保持者の決意と使命感 陸上の女子100メートル障害日本記録保持者の寺田明日香(パソナグループ)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、女性アスリートの結婚・出産について語った。…

1児の母として子育てを両立、東京五輪を目指す陸上日本記録保持者の決意と使命感

 陸上の女子100メートル障害日本記録保持者の寺田明日香(パソナグループ)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、女性アスリートの結婚・出産について語った。

 日本選手権3連覇など第一線で活躍したのち、23歳で一度は競技引退。結婚・出産を経て、3年後に7人制ラグビーに挑戦し、昨年、陸上競技に復帰すると、9月に29歳で日本新記録を樹立した。1年延期された東京五輪へ向け、5歳の娘の子育てとの両立で目指す「ママアスリート」は、女性アスリートの在り方について当事者としての思いとは――。

「『五輪に行きたいから結婚を諦める』という風潮がちょっとでも少なくなっていけばいい」と自身が日本スポーツ界のロールモデルになる決意と使命感を明かした。

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「家族と一緒に観に行きたいなあ……」

 20年夏季五輪の開催地が東京に決まった13年9月。当時、一人のスポーツファンとして、観戦を楽しみにしていながら、実際には選手となり、その舞台に立って家族に雄姿を見せようというアスリートがいる。それが、寺田明日香である。

 女子100メートル障害の日本記録保持者として、陸上界では知られた存在。しかし、日本スポーツ界、とりわけ陸上界においては稀有な存在でもある。その理由は彼女の名前が報じられる時、「ママアスリート」という枕詞がつくからだ。

 北海道・札幌出身。ともに陸上選手だった両親のもと、陸上競技を始めたのは小4の頃だった。5、6年ではともに学年別で100メートル全国2位となるなど、ジュニア時代から才能を発揮。恵庭北高ではインターハイで100メートル障害3連覇、卒業後は日本選手権で同種目3連覇を果たし、トップスプリンターとして名を馳せた。

 以降は怪我などで伸び悩み、12年ロンドン五輪の出場を逃すと、翌年にスパイクを脱いだ。23歳という若さ。引退を決めたのは13年6月で、その3か月後に東京五輪の開催が決まった。

「競技者としては、もう辞めたのに『東京でやるのか』という残念な気持ちはちょっとだけあったけど、海外に行かなくても五輪を観られると思うと、その方が嬉しかったです。東京で、開催の準備期間から体験できるのは貴重な経験。家族が欲しいと思っていたので、家族と一緒に観に行きたいと思っていました」

 引退の翌年、会社員だった佐藤峻一さんと結婚。その年に長女となる果緒ちゃんを出産した。母として幸せな日々を歩み始めたが、転機が訪れたのは、それから2年半後のこと。女子7人制ラグビー挑戦のオファーだった。

 東京五輪の競技に採用されており、接触プレーはあるが、抜群のスプリント力が生かされる。競技人口の少ない日本は他競技からの転向を強化策の一つとした。そこで、陸上競技で脚力を培った寺田に白羽の矢が立った。

 合宿が多い競技と聞かされた。まもなく3歳を迎え、元気盛りの小さな娘を置いて、長期で家を空けるのは葛藤があったという。それでも、悩みに悩み、出した答えは「やります」だった。

「自分の夢だった五輪出場のチャンスがもう一度巡ってきた中で、チャレンジしないことが自分の人生にどういう影響を及ぼすかをすごく考えました。家族はもちろん、娘にも負担をかける。でも、最後は自分の夢を諦めるより、生き生きと夢を追って努力していく姿を子供に見せた方が教育的にもきっといいんじゃないか、という結論に達しました。

 もちろん、家族に協力してもらわないとできないことだったけど、もし子供が将来、何かの壁に当たった時に『ママはああいう風になりたかったから、あんなに頑張っていたんだ』と思って、お手本となる姿を見せられたらと思っていたので。最後は割り切ってというか、本当に(周囲に)すみません……と思いながら(笑)」

 同じように子育てをしながら、選手をしているフェンシングの佐藤希望に練習拠点となるナショナルトレーニングセンター(NTC)の託児システムについて聞くなど、“先輩”にアドバイスをもらい、「ママアスリート」として生きていく決意を固めた。

母になったから続けられた競技「娘がいなかったらもうやっていなかった」

 実際、「ママアスリート」になると、何が大変なのか。第一に直面したのが「ママ」としての子育てだ。

 まさかもう一度、競技に戻るという想定はしていなかった。保育園に預けておらず、3歳になる頃に入園するのは難しかった。寺田の実家は北海道で遠く、母を呼び寄せることも困難。「そうなると、主人と主人の実家に頼るしかなかった。主人と主人の母に交代で見てもらい、本当に助かりました」とサポートに感謝する。

 競技に専念する環境は整っても、肝心な「アスリート」の体を取り戻すことは過酷だった。寺田の場合、陸上競技を引退して2年半。高い運動負荷から離れたばかりか、その間に妊娠・出産を経験している。「走る」「跳ぶ」という基本的な動作すら、感覚はまるで違った。本人は「以前の現役当時の動きは全く覚えてないくらいでした」と表現する。

「産後半年で陸上教室があり、ちょっと走った時はもう全く走れず、一般の方より遅いくらい(笑)。そんな状態からラグビーを始め、合宿もあって、代表のメンバーと同じように動かないといけないのはすごくつらかった。特に体重も減っていて、当時は168センチで47キロしかなくて、体重を増やしたり、体を作ったりしていく作業は過酷でした」

 もちろん、家事すべてを家族に任せることはできない。練習が終われば、母としての仕事も待っていた。子育てと選手の両立で最も大変だったことを聞くと「自分が疲れていても、やらなければいけないことがたくさんあること」を挙げた。

「自分が思うように動ける時間は、練習の時間しかない。それは、やっぱり大変でした。すごく疲れている日は独り身だったら、お風呂に入ってもう寝るという感じでいいけど、家族がいるので、一緒にお風呂に入る、歯磨きをする、部屋が散らかっていたら片付ける。競技に加えて、そういうことまで考えないといけないことは大変でした」

 大きな怪我の影響もあり、2年間で7人制ラグビーは断念。しかし、アスリートとしての思いは消えることなく、陸上競技に復帰すると決めた。夜に娘が熱を出せば、朝に練習があっても病院に走る。「アスリート」という肩書がつくから、世の母親たちがやっている仕事がなくなるわけじゃない。

 ただ、プラスになることもあった。男性アスリートが「守るものができた」と言い、存在をモチベーションに変えるように、女性アスリートの寺田も子供がいるから強くなれた瞬間が何度もある。

「大変だったけど、娘がいなかったら競技はもうやっていなかったと思います。娘がいることで競技に対する取り組み方が変わった。例えば、練習で上手くいかなかった時の対処法とか、『上手くいかないなら、私が変わればいいんじゃないか』と、以前より良い意味で適当になれる部分が増えた。それは子供がいなかったら、私の中では生まれなかった感覚なのかなと思います」

 それを証明したのが、昨年9月。富士北麓ワールドトライアル2019で12秒97を記録した。これは日本新記録であり、自身が19歳でマークした自己ベスト(13秒05)も10年ぶりに塗り替えた。結婚・出産、他競技挑戦を挟んでの快挙は陸上界を驚かせた。

 自らを実験台にするようにして挑戦している女性アスリートの結婚・出産の問題。寺田自身は結果を残し、海外では子を持ちながら活躍する女子選手はざらにいるが、日本はいまだに「結婚・出産を選択するなら引退」「現役を選択するなら結婚・出産は引退後」という二者択一の価値観が強い。こうした現状を当事者として、どう見るのか。

 寺田は「部活」という競技体系を例に挙げ、率直な思いを口にする。

「例えば、部活内で恋愛禁止、男女間のコミュニケーション禁止という風潮が割とあるので、そこから女性アスリートが誰かと付き合う、結婚するという話になると『競技以外に目を向けている暇があるんですか?』とみられる空気感は少しあったし、私自身も感じていました。ただ、そこを飛び越えて結婚、出産を経験してみると、応援してくださる方も多かったです。だからこそ、学生のカテゴリーから女性がライフステージを変える時の空気感を変えていければ、もっと女性アスリートは増えると思うんです。

 日本では『子供を妊娠・出産する、その後に復帰する』という女性アスリートのプロコトル(手順)のようなものがまだ作られていないし、クローズドにされがちな部分。サポート面においても、私も保育園に入れなかったし、子供を安心して預けられる環境がないとやっていけないもの。今までのママアスリートだったら親を呼び寄せて引っ越してもらい、一緒に住むという方が多かった。社会全体でサポートしていただけるような空気感になっていけば、もう少しやっていきやすくなるのかなと感じています」

女性の社会活動のロールモデルに「結婚・妊娠で諦めない環境を作りたい」

 女性としての幸せも、選手としての幸せも両方追い求めたっていい。寺田はそう信じ、自分が結果を出すことで一つのロールモデルになり、スポーツ界の空気感を変えたいと思っている。

「もちろん、一つのことを続ける大切さは分かっています。職人さんはそういう風に技術を磨いていくので、大切な日本的な文化だと思っているけど、『一つのものを手に入れたいなら、もう一つのものを諦める』みたいな風潮は、私はあまり好きではなくて……。大変だけど、いろんな人に助けをもらい、もちろん、自分が努力をすることでどちらも叶うんだと見せていきたいと思っています。だから『五輪に行きたいから結婚を諦める』という風潮がちょっとでも少なくなっていけばいいと、私は思っています」

 女性の社会進出の課題も絡み、大きな問題に見えるが、身近なところから変えていけることもある。例えば、前述のタブー視されがちな部活内恋愛も、その一つ。寺田は「高校生だったら恋愛をすると、そっちに目が向いてしまうと思われがちだけど、彼氏・彼女がいることで競技を頑張れる子もたくさんいるはずじゃないでしょうか」と訴える。

「変に隠して『悪いことをしているんじゃないか』と思わせるのではなく、オープンな関係をコミュニティ全体で見守り、それを力に変えるような雰囲気になっていってほしい」というのが、願いだ。

 そんな自身の経験と思考を次世代の後輩たちに話す機会があった。7月6日に登場した「オンラインエール授業」だ。「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開。インターハイ中止により、目標を失った高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画で、現役日本記録保持者のスプリンターが“先生”になった。

 持ち前の明るい性格で、技術論からメンタル論まで語り、現役陸上部員たちと笑顔あふれる1時間を過ごした。今回のインタビューを実施したのは、その授業後のこと。女性アスリートのモデルを変えようと奮闘している30歳。自身も引退後は会社員として働いた時期もある。だからこそ、高校生が立派な大人になる10年後、変わっていてほしい未来がある。

「アスリートに限らず、会社で働く女性もキャリアを目指したいから、その時の結婚を諦めたり、ライフステージを考え直したりということがある。その時しかないタイミングもあると思うので、諦めずに進んでいける社会を作っていきたいと思っています。『そんなことができるんだ』と少しでも思ってもらえるように、私自身はアスリートとして結果を含めて見せていきたいです」

 1年延期になった東京五輪を目指す自身は「ママアスリート」として実現させたい画があるという。昨秋のラグビーワールドカップ(W杯)をテレビで見ている時、娘がつぶやいた。

「なんで子供ができるの? 果緒もやりたいんだけど」。試合後、選手が子供をグラウンドに引き入れ、一緒に過ごす姿が羨ましかった。昨年の世界陸上では寺田が出場した100メートル障害で優勝したニア・アリ(米国)は子供2人をトラックに入れ、一緒にウイニングランした。それを見た娘は「なんで果緒はできないの? ママが負けたからでしょ」と叱咤された。

「また日本記録を出して私もタイマーの前で写真を撮ってもらいたいんです。日本の大会でできる空気感はなかなかないけど、こじ開けたいし、変えたい。日本選手権とか大きな大会でレース後に『早く、早く!』って客席から呼び寄せて撮れたら最高です」

 最後に、結婚・出産を含め、今後のキャリアに悩んでいる後輩の女性アスリートに向け、大切にしてほしいことを1つ挙げてもらった。寺田は少し逡巡した後、「自分一人でやることは諦めた方がいい」と言い、アドバイスを送った。

「絶対に自分一人ではできないので、すべてを請け負うという意識は捨てた方がいい。あとは誰が協力してくれるか。もちろん、一番近いのは旦那さん。その他の家族も含め、どう一緒にやってもらう環境を作れるかを考えてほしい。その環境を作れるのは自分自身だし、自分に魅力を感じてもらうこと。いろんな人たちとのつながりを大事にやっていくことが一番大切だと思います」

 女性が結婚・出産しても当たり前に競技を続ける環境になれば、女性アスリートの選手生命が延び、日本スポーツ界の競技力の底上げになるチャンスが生まれる。だからこそ、1人のトップスプリンターの挑戦は価値が大きい。

 インタビューも終わり。時間は午後6時を過ぎていた。「この後、家に帰って最初にやらなければいけない家事は何ですか?」と聞くと、途端に母の顔に戻った。

「お風呂(のボタン)をピッとやらなきゃいけない。出る時に忘れてきちゃったので……」

 そう明るく笑った寺田明日香の、母として、アスリートとして戦う日々は続く。どんなハードルも1台ずつ、「家族」で越えながら、東京五輪を目指して。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)